(5)
翌朝、体調がすぐれないのを理由に断ろうかと思ったが、先生が熱心に勧めるので、プレゼントされたワンピースに着替えた。
「やっぱり、とてもお似合いです。実に可愛らしい。素敵ですよ、イヴさん」
「あ、ありがとうございます……」
褒められるのは、悪い気がしないけれど、可愛いといわれてしまうのはちょっと複雑な気分だった。
そしていつものように、先生に手を引かれて、オアシス区画に行った。
昨晩は就寝時刻になった頃から、鈍い腹痛を感じてよく眠れなかった。
今もそれは感じていたが、妙に嬉しそうにしている先生を見たら、今日は体の調子が悪いとは、言えなかった。
しかしオアシス区画についてみると、人工の庭園とはいえ、小鳥のさえずりまで聞こえる自然環境の中で、私はとてもリラックスしていた。
少し暑さを感じる程の太陽灯の光も、芝生の上に座っていると、微かに風が吹いていてとても気分が良い。
お腹の鈍い痛みも、今はそれほど感じない。やはり、ストレスが原因なのだろうか?
昼食が済んだら、先生に診てもらったほうが良いだろうか?
それとも、ストレスの原因を取り除くためにも、先生にもう一度外の世界に生かせてくれと、お願いしたほうがいいだろうか?
私はぼうっと、そんなことを考えていた。
「落ち着いているようですね、診察してもいいですか?」
まどろみ掛けていた私が無言でうなずくと、先生は持ってきていた鞄から、器具を出して、ノースリーブのワンピースを着ている私の腕をとり、体温と血圧を測った。
背中のファスナーに手を回そうとしたら先生は、『脱がなくていいから』といって服の上から聴診器を当てた。
「熱も無いみたいですし、疲れがたまっているのかな? 今薬をあげますね」
言われるままに、うんうんとうなずいて、差し出された薬を飲んだ。
薬は直ぐに効いてきて、私は眠くなってきた。そういうと先生は私を抱き上げ、いつの間に用意したのか、ひときわ大きな木の木陰に敷いた毛布の上に、寝かせてくれた。
薄いタオルを私の体に掛けると、低くて優しい声で言った。
「ここは、このコロニーで一番の場所です。今までの皆さんも、そう言っていました」
「……皆さんって、誰のこと?」
「……」
先生は横になった私の髪をゆっくりと撫でるだけで、答えてくれようとはしなかった。
柔らかな光の太陽灯と樹木がつくる木陰。時折小鳥のさえずりも聞こえてくる。
草の匂いのする、さわやかな風に吹かれながら、されるままに頭をなでられていると、その気持ちよさに眠くなってきた。
ふと気が付くと、いつの間にか先生の姿が見えなくなっていた。
動くのも億劫で首だけ動かして見回したが、近くにいる気配は無かった。
視界の隅を、金属光沢を放つ機械が掠めた。
気になって見つめると、それはこの楽園を維持・整備するロボットのようだと判った。
それはなにやら地面を掘り返したり、雑草を抜いたりしているようだった。
野放図に繁茂しようとする植物は、あんなふうに定期的に手を入れなければ、こんな整った景観は保てない。育つがままに放っておいたら、ジャングルのようになってしまうか、ただの荒地と化してしまうだろう。
一通りの作業を終えたのか、ロボットは軽快なメロディを奏でながら、移動していった。
どこへ行くのかと見ていると、どうやら木々の陰になってはっきりとは判らないが、ドアのようなものに向かっている。ロボットの整備室に帰るところのようだ。
整備室……?
私は起き上がり、ロボットの向かう方向へと走った。
そして、ロボットと一緒に、ドアの向こう側へ行くことに成功した。
暗くてよくは判らないが、大型の機械類が通路に沿って並んでおり、天井や壁には何本ものダクトやパイプが走っていた。そして至るところに、雑多な部品の山が築かれている、とても……とても懐かしい光景。
そう、ここは俺の職場だった。
いや、正確にはここではなかったかもしれない。だが見覚えのある区画構造に、胸がざわめいた。
メンテナンスはコロニー外殻ばかりじゃない。人々が暮らしている居住区画に隣接する、オイルと金属粉の入り混じった独特の臭いのする場所が、俺の居場所だった。
俺は記憶を辿りながら、足早に通路を歩いていった。
コロニーの大部分は、同じ区画構造の繰り返しだ。だから、ここがたとえ俺の職場とは違っていたとしても、そうたいした違いはないだろう。
確かこの階段を4階層下りて、正面にある独特の唸りを放っている機械が、大気濃度調整ユニットのジェネレーターで、その向こうが混合器。そしてクーリングユニットをはさんだところに、作業員詰め所があって、ドアを開ければ!
……中は無人だった。明かりもついていない、埃だらけの殺風景な部屋には、長い間誰も入った形跡が無いようだった。
外壁よりも一段飛び出した、コロニーの一番外側にあるこの部屋には窓があって、直に外の宇宙を見ることが出来る。
俺は窓に駆け寄って外を見た。
資材搬入口を兼ねたエアロックのために、一段へこんだ外殻構造の下側を見ると、星空が見える。
部屋の電子窓とは違う、この目で見る生の星空。
コロニーの自転にあわせて、ゆっくりと動いている星々は、涙が出るほど懐かしかった。
そして、ずっと忘れていた、大切なことを思い出した。
「駄目じゃないですか! 勝手にこんなところまで来てしまって」
「え?」
叱り付ける厳しい声がして振り返ると、難しそうな顔をしている先生が立っていた。
「ここにいてはいけません! 直ぐに部屋の外へ出てください」
「何か危険な物でもあるんですか? デブリ警報(軌道上を巡る宇宙塵群による被害警報)でも?」
ここは、メンテナンス要員の詰め所だから、そんな警報が出ているのならば、部屋のモニタには警告画面が、表示されている筈だった。
けれど今は何も表示していない。
「いいから、早く!」
先生はいつに無く、苛立ったような大声で叫んだ。
そのとき、背後からオレンジ色の光が差し込んできているのが、先生のいる側の壁に反射してきた。
「え?」
「振り返っちゃいけませんっ!」
先生の警告にもかかわらず、思わず振り返ると、窓の外に赤茶けた大きなものが見えた。
赤熱した小惑星かと思って、思わず一瞬目をつぶったが、恐る恐る目を開くと、それはさっきまで見えていた星々と同じように、コロニーの自転運動にあわせて動いていった。
「あ、あれは……?」
「だから、振り返ってはいけないといったのに……」
「先生、あれは、なんですか? あの、赤い星は? ここは“エデン”ですよね? L4ポイントに浮かぶ、スペースコロニーですよね?」
「そうです」
「それじゃ、あれは……? まさか、地球?」
もう一度振り返って窓の外を見ると、雲のかけらひとつ無い、赤茶けた表面の星がゆっくりと視界の外へ消えていくところだった。
「今から約1300年前に、戦争がありました。戦争……と言うのは正確ではないかも知れません。“核兵器の廃絶を訴える地球市民同盟”と名乗る団体……環境テロリストがいっせいに蜂起したのです。彼らの仲間の中には、軍の関係者もいて、多分厳重に管理されている筈の施設にも、彼らが入り込んでいたのでしょう。詳細は今も判りませんが、破壊活動をしようとしたのだと思います。けれど無知で愚かな彼らは、そんなことを同時多発で起こせばどういうことになるか、考えることが出来なかったのでしょう。施設のセキュリティ装置が動作しました、それも各地でいっせいに」
「そ、それって……」
「多分、あなたの想像通りです。敵国の核攻撃が始まった、或いはそれに準じた事態が起きたのだと、防衛システムが判断したのだと思います。反撃のための核兵器発射シーケンスが始まってしまいました」
「でも……」
「止められませんでした。最終判断は人間の手で行われる筈なのですが、機能しなかったのだと思います。環境テロリストたちの行動は、今も全てが明らかにはなっていませんが、愚かな彼らが国家の防衛システムが、どのように構築されているかなどと知ることが出来た筈がありません。“人間の判断を要する”という最も脆弱な部分を、それと知らずに突いてしまったのだと思います。大規模な核施設への全面攻撃と判断した自動防衛システムは処理を継続、ICBM(大陸間弾道弾)が予め設定されていた目標に向けて発射されてしまいました。あとは……、説明が必要ですか?」
「M・A・D(相互確証破壊)……?」
私は思わず床にへたり込んでしまった。
二十世紀の終わりに誰だったかが予言した、たちの悪い冗談としか思えないような結末。
一方が核兵器を使えば、もう一方の国も……。それが現実のものとなってしまったというのか?
「うそでしょう、先生……? うそでしょう、そんなこと、そんなバカな事!」
「…………」
朝から鈍い痛みのあったお腹が、鉛に変わったかのように、重く痛んだ。
「そうだ! ここは……、“エデン”は地球とは別でしょう? コロニーにはたくさんの人が住んでいたじゃないですか、その人たちは?」
「あれから、約1300年の時が経ています。さっき、私はそう言いました」
「死んだって言うの? 私たちの他には、もう誰も残っていないって言うの?」
「…………」
先生は答えなかった。答えなかったことが、答えなのだと思った。
「あなたには、こんなこと知って欲しくなかった。何も知らないまま、この小さなコロニーで、何不自由なく……イヴさん?!」
私は、先生の言葉を信じることができなかった。
だがそれ以上に伝えられたことのショックが大きくて、その場に倒れこんでしまった。
「お腹が、痛い……」
「しっかりしてください!」
先生があわてて私を抱き起こそうとした。私は下腹部の痛みがいっそう強くなった気がして、手を当てると、太ももに何かが流れ落ちるのを感じた。
「血が……、イヴさん! しっかり!」
下半身のどこかから血が出ているのだろう、ワンピースの裾から太腿を伝って赤い血が一筋流れ落ちていた。
ヤブ医者め、体を再生したとか言っていたが、やっぱり失敗だったんだろう。
私は、もう一度死ぬのか……?
先生が必死になって私に呼びかけていたが、精神的ショックの連続と下腹部が押しつぶされるような痛みと出血で、私はそのまま気絶してしまった。




