(13)
アンドロイドにとって、初期化とはどういう意味を持つのだろうか?
機械にとって無駄なデータとは?
意味の無いロジックとは?
人間と機械は違う。機械にとっては合理性が全て。
でも、人にとっては?
どんな些細なことでも、それは大切な記憶に違いない。
忘れてしまうかもしれない記憶でも、それは同じ。
忘れようと思っても忘れられない、辛くて悲しい記憶でも、それはやっぱり忘れちゃいけないんだと思う。
それにあのアンドロイドは……先生は、人間らしく振舞っていたからこそ、私は怒りもしたし、慰められたりもした。もし先生が、ALICEみたいに、合理的で感情の無い、ただの機械みたいに振舞っていたとしたら、どうだったろう?
私は、私はこんなに……こんな気持ちには、ならなかった。
荒れ果てたコロニーに、管理コンピュータと意識を持たないただの自律機械たち……。
その中に人間は私たった一人……。
それでも孤独を感じなかったのは、人のように振る舞い、人のように話す、アンドロイドがいたから……。
馴れない電動車の運転で、私はハンドル操作を誤った。
人の手が入らなくなって、1300年も放置されていたコロニーの道路は所々荒れていて、崩れかけて補修が必要な部分が、至るところに点在していた。
スピードを出しすぎていた私は、そのうちのひとつを避ける事が出来なかった。
ガツンと言う激しい衝撃とともに、電動車が飛び跳ねてスピンした。
そして道路わきの建物が、スローモーションのように目の前に迫ってきた。
☆彡
「……さん! ……ヴさん! イヴさん! お願いです! 目を覚ましてください!」
先生が、私の体をゆすっている。
痛いからやめてよ。
「イヴさん! 僕がわかりますか? どこか痛いところは?」
ああ、だから痛いからやめてよ……。
どこだここは? 視界一杯の先生の顔越しに、コロニーの廃墟が見える。
背中に当たるごつごつとした感覚から、どうやら私は、地面に倒れているらしい。
ああ、痛いからそんなにゆするなよ……
そう言おうと思ったけれど、頭を打ったのか全身が痺れていて、口までもが思うように動かない。
起き上がろうとしたが、全身に激しい痛みが走り、私はまた気を失ってしまった。
それからどれくらい、気を失っていたのだろう?
私はベッドに寝ていて、体の痛みはまだあったけれど、少しずつ意識ははっきりとしてきていた。
ふと見ると、右手だけは体に掛けられていた毛布から出ていて、先生にぎゅっと握りしめられていた。
「……先生?」
「気が付きましたか? イヴさん、良かった」
それまで、私の手を握ったままうつむいていた先生は、私が声をかけると直ぐに顔を上げて私を見つめ、にっこりと笑った。
「私……、いたたた」
「あ、まだ起きてはいけません。右足と、肋骨の一部にヒビが入っています。それに体のあちこちに打撲の痕があります。まだしばらくは、そのまま寝ていてください」
「私、事故を起こしたのね……」
「はい。何を慌てていたのか、判りませんが、電動車のスピードの出しすぎでハンドル操作を誤ったようですね」
まるでその場で見ていたかのように、先生が言う。
「何を慌ててって……、そうだ、先生! 記憶……いたたたた!」
「まだ起き上がるのは、無理ですってば」
「先生、初期化されたんじゃなかったの?」
「何のことです?」
「だって、ALICEが、先生を初期化したって、だから私……」
「初期化? もしかして、ガーベッジコレクションのことですか?」
「ガーベ……?」
「私のこの本体にも記憶領域は持っていますが、さすがに215年分もの容量は無いので、古いデータや、重複していたり、矛盾の多い思考サブルーチンは、圧縮したり消したりして、ALICEの側へ転送していたんです」
「ALICEへ?」
「私は彼のサブセットですから。でも、おかげで私の記憶領域に余裕ができましたし、アクセスも早くなったので、これまで以上にイヴさんをお守りすることが出来ますよ、期待していてください」
「それじゃ、先生が私のこと忘れたり、感情をなくしてしまったりとか、そういうわけじゃ……」
「ハードウェアロジックに移した部分は消えませんよ? イヴさんのパーソナルデータや人間らしく行動するための基本ロジックは、メモリー領域ではなくて、重要な部分から順番にハードウェアロジックに移しています。極端な話し、私の体が破壊されたとしても、その部分のハードウェアが壊れなければ、元通りに戻せます。そもそも私のデータのバックアップは、常にALICEにも転送していますから、入れ物さえあれば、私自身のパーソナリティは失われることはありません。そこが脆弱な人間とは大きく違うところですね」
と、先生は自慢そうに言った。
そ、それじゃ、私があんな思いまでして、こんな怪我までして心配したってのに、このポンコツアンドロイドは……
「あ、ALICEから伝言があるようですが、聞かれますか?」
「伝言?」
「謝罪したいそうです。再生しますね……
『――誤解させてしまった様で申し訳ない。ユニット搭載ハードウェアロジックの消去は、物理的な換装が必要である。したがって貴方が懸念していると推測される、彼の行動パーソナリティに関するロジックの消去は現時点では非常に困難である。今回のことで、貴女への説明不足が貴女の安全を大きく損なう可能性があると認識した。今後貴女に対する情報の開示は無制限とすることとしたので、これをもって謝罪としたい。今後は何なりと質問していただきたい』
……だそうですけど、ALICEに何か誤解を受けるようなことを言われたのですか?」
途中から先生の声が、あの堅物コンピュータの合成音声に変わったけど、そんな機能もあるのか?
……じゃなくて! あーもう、何が何だか!
能天気な先生の顔を見ていたら、怒る気力も失せたわ!
「……どっと疲れた。少し、一人にしてくれない? 頭が痛くなってきたわ……」
「そうですか? 鎮痛剤は、これ以上は投与できないので、何も薬をあげられないのですが……」
「いいのよ、これは薬じゃ治らないから……」
「そうですか? では、何かあったら呼んでください。大声を出す必要はありませんよ。ガーベッジコレクションの結果、私の処理速度は25%増しです。この病院区画周辺にいる限り、1ピコセカンドたりとも、イヴさんの状態を見失うことはありません」
「ああ、そう。期待しているわ……」
私はこめかみを押さえながら、もう片方の手で毛布を引っ張り上げた。
足音とドアの閉じる音を確認して、私は被っていた毛布をまくり上げてベッドを起こすと、深いため息をついた。
体を動かさなければ、全身のだるさが気になる程度。
それはいい。焦って運転をミスったのは自分のせいだから、それはガマンするしかない。
でも、薬で治らない痛み。
そう、その原因にも気付いていた。
たぶん、そうなのだ。
私は先生を失うことを恐れている。
なぜなら、認めたくは無いが、私にとって先生が……
突然、ガラッと部屋の戸が開き、先生が慌てて入ってきた。
「イヴさん! 体の調子は? 脈拍と血圧が急に上がっています。熱も少し……」
「わ、ワたしはへイき! な、なんでもないから!」
「しかし、顔だって見る見る赤くなって……」
「い、いいから、なんでもない……これは別に、体の異常とかじゃないから!」
「けれど主治医として、今の状況は見過ごせません!」
「だからなんでもない! 体のほうじゃなくて、これは気も……いや、なんでもないから、しばらくしたら落ち着くから、今は一人にして!」
私は毛布を被ってやり過ごそうと思ったが、先生はそれを強引に引き剥がそうとした。
何度か押し問答になったが、私が強硬に拒んだせいか、先生も諦めたようだった。
「本当に大丈夫ですか? 具合が悪くなったら、いつでも駆けつけますからね」
そう念押しする先生に、私は毛布を頭から被り、手だけ出してひらひらさせて、わかったというサインを出した。
一体どうして私の異常を察知したのかと思ったら、体のあちこちに巻かれた包帯にインジケータのような小さな光を発している黒いテープの部分があった。
これか! たぶん体温か何かを電力源にして、脈拍だの血圧だのを無線でどこかに送っているんだ。それをALICE経由か何かで先生に送信しているんだな。
これじゃまるで、私の心の動きまで監視されているみたいだ。
はがしてしまおうかと思ったが、データが途切れたとたんにまた血相を変えて、飛び込んでくるに違いない。
まったく、そんなに私のこと……。
いやいやいやいや、だめだめだめだめだめ、意識したら、また血圧が……。
いまは、何も考えないようにしよう。
傷が癒えたら、まじめに考えよう。
だから……
投与されていた薬の効きが強くなってきたせいか、しばらくまどろんでいるうちに、私はまた深い眠りの底に就いた。




