(10)
「さて、次は……」
ひととおり身支度を整え終えた私は、次に今現在における最大の懸念事項に向き合うことにした。
私は部屋の入り口のドアに近づき、声をかけた。
「先生、まだそこにいますか?」
「もちろんです。部屋に入れてくれますか?」
「ヘンなことしない?」
「もちろんです」
「じゃあいいわ。入って」
ドアの鍵を外して開けると、満面の笑みを浮かべた先生が立っていた。
「やあ、その服着てくれたんですね、とってもお似合いですよ。実に可愛らしい!」
「あ、ありがと……」
思わず顔が赤くなる。“可愛い”などと言われるのにはちょっと抵抗があるけれど、褒められるのは悪い気がしない。
「先生も早くシャワーを浴びて。風邪を引いてしまうわ」
「僕は風邪なんか引きませんよ?」
「ナントカは引かないって言うけど、そういうわけにも行かないわ」
「必要ないんだけどなぁ……」
「いいから! 濡れた服だって乾かさなければ駄目でしょう?」
と、私は先生の背中を押して、バスルームに押し込んだ。
そして、ドア越しに
「ちゃんとシャワーで体を温めないと駄目ですからね!」
と、叫んだ。
先生がシャワーを使っている間に、濡れた髪をきちんと乾かしておこうと思ってドレッサーの前に座った。
自分でうまく切る自信が無いから、伸ばしっぱなしの髪もだいぶ伸びた。
ブラシとドライヤーを使って長い髪を乾かしている自分を鏡で見ていると、やっぱり自分が女になっていることを、強く意識してしまう。
「イヴさん」
「あら、ずいぶんとはや……」
声をかけられて振り向くと、そこには腰にタオルを巻いた裸の先生が!
「ちょっ! なんてカッコしてんのよ! バスローブぐらい羽織りなさいよ!」
「いえ、どうせ脱ぐんですし、今更恥ずかしがらなくても……」
「ヘンなことはしないって言う約束でしょ!」
「セックスは変なことじゃありませんよ?」
「……雨、やんだかしら?」
「イヴさぁ~ん……」
ああ、もうそんな情け無い顔しないでよ!
「……はぁ~、もう! あのね、私も男だったから先生の気持ちもわからないではないけど、私にはまだそういう、なんていうか……“超え難い一線”てものがあるのよ」
「僕とじゃ、嫌なんですか?」
「嫌!……と言うわけじゃないけど、今はまだ……その、まだ駄目なの。怖いのよ」
「怖い? 僕がですか?」
「……そうじゃないわ。その、いろんなことが。私はまだ、今の自分の置かれた状況に心の底では受け入れられていないのよ。だって! ……そうでしょ? 何かに襲われて、自分は確かに死んで、その時の恐怖は今でも心に焼き付いている。でも、それから1300年も経ってから、女の体で生き返らされて……。地球もあんなふうになってしまっていて、ここには先生と、他には誰もいないコロニーに、二人っきりなんて現実、辛すぎる……」
「イヴさん……」
口にすることで、私はあらためてこの過酷な現実を理解した。
それは止めようもなく悲しくて辛く、寂しかった。
何も無い宇宙空間に、裸のまま放り出されたような気がした。
「本当は私、もっと前に気がついていた……。世界には私たち二人っきりしかいないんじゃないかって……。でもね、でも……」
だめだ、泣きそうになる。ぐっとこらえようとしても、女々しい泣き言なんか言いたくないと思っているのに、どうしてこんなに気弱になってしまったんだろう?
自分がまだ男で生きていたとき、どんなに過酷な状況下でも、EVAで何度も死にそうな目にあっていても、決して諦めずに、現実に立ち向かっていた。
だから、だから……何だろう?
現実は……自分は女の体で、何の力もなく、この世界で生きていく術も判らない。
先生の庇護が無ければ、明日にでも死んでしまうかもしれない、無力でひ弱な少女でしかないのが、今の現実の自分。
先生はそっと私の肩に手を回し、そっと抱き寄せた。
先生の、固くてちょっと冷たい感じのする体。
でも、それでも包まれるような、安心感があるのは……?
不平不満ひとつ漏らさずに、わがままな私の面倒を見てくれるのも、先生が私を大切に思ってくれているからなのだと理解できる。
いっそこのまま、先生に身を任せてしまえば楽になれるのかもしれない。
けれどそれは自分を見失い、放棄してしまうことになるのではないか?
「泣いているんですか、イヴさん……」
いつの間にか私の目は、涙を止めることが出来なくなっていた。
「イヴさん……」
肩に回された先生の腕の力が増し、私は抱き合うようにぎゅっと抱きしめられた。
このまま先生のしたいように、身を任せてしまおうと思った。
そうすれば、今のこの辛い気持ちも、癒されるだろうと思った。
けれど先生の手が腰に回されたとたん、体が反応した。
両手を先生の胸にぎゅっと押し付けて、体を引き離した。
正面に先生の驚いた顔。
「ごめんなさい! でも、私はやっぱりまだ!」
私はくちゃくちゃの泣き顔のまま、それでも先生を拒否してしまった後ろめたさに、乱暴に唇を先生に押し付けた。
「今はまだ、これで精一杯なの!」
そう叫んで、私は部屋を飛び出した。




