指先の火花
しかし、どんなに目を凝らしても、トリエステの姿はなかった。
ひょっとすると、僕は今、目を閉じているんじゃないだろうか。
混乱した頭に、そんな考えが浮かんだ。
さっそく試してみた。瞬きを繰り返すこと数回。新しい事実発見。
目を閉じても開いても、視界に変化なし。
僕は目を閉じた状態で「万事休す」と言った。
「実を言うと、君の姿はまったく見えないんだ。でもね、不思議なことに目を閉じているのに白い空間だけは見えるんだ。たぶん僕は、魂だけになってしまったんだ。この調子でいけば、もうすぐ君の声も聞けなくなると思うよ」
僕が言い終えるのを待って、トリエステは「そんな心配なんかしなくていいの」と言った。「いま、あなたと私はしっかり繋がっているんだから」
優しい声だった。気休めだろうと思った。でも、事実だとしたら、自分が置かれている状況を把握しておいたほうがよさそうだ。
「君に届いているのは、右手だけ?」
「そう、右手の人差し指だけよ」トリエステは嬉しそうな声で答えた。「でも、あの日と違うところがあるの。指は、ずっと、くっついたままなの」
具体的な言葉に、それを確認したくなった僕は、自分の右手に意識を集中させようと試みた。
しかし、いくらやってもだめだった。
「ざんねんながら、何も感じない。自分の身体が、どこにあるのかさえも分からない」
「ぜったいに諦めちゃだめよ」トリエステは語りかけるような声で言った。「このまま深呼吸を続けていれば、きっと何かがみえてくると思うの」
今の僕にとって、トリエステの指示に従う他はない。
深呼吸を再開してしばらくしたときだった。
「あっ」
トリエステが小さく叫んだ。
僕は深呼吸をとめた。
「どうしたの?」
「ビビッときたの」
「何が?」
「電流のようなもの。あなたの指先から……」
僕は何も考えずに深呼吸をしていた。僕の深呼吸と電流のあいだに、何か関係があるのだろうか。だとすると、反応が速すぎるような気がする。
「本当に?」
しかしトリエステはそれには答えなかった。
「そんなことより、深呼吸を続けて」
聞き分けのない子供を叱るような声。
とつぜん、元の世界に戻れるかもしれないという思いが沸いてきた。
トリエステには、何かが見えかかっている。なんとなくそんな感じがした。
「分かった」
気を取り直して二、三回深呼吸を繰り返したとき、ドラマの中でしか聞けないようなセリフが聞こえてきた。
「あ、火花が見えた」
僕が期待していた種類の言葉。だが、ぬか喜びはしたくない。
僕は聞こえなかったふりをして訊ねた。
「何が見えたの?」
「火花、小さな火花」
トリエステは興奮したような声で答えた。
僕は少し考えてから言った。
「じゃあ、こんどそれが見えたら、その瞬間に教えてくれ」
深呼吸と火花の関係は、すぐ分かった。
すべての息を吐き出し、次の深呼吸に入った瞬間、僕の指先に火花のようなものが発生するらしい。




