疑問、追求、肩すかし
『金輪際、夢の世界の出来事などという言葉は使わない』
老夫婦のラーメン店で、僕はそう誓った。
でも、この際そんなことはどうでもいい。
「教えて欲しいんだけど」懇願するように言った。「これは夢の中の出来事じゃないんだよね」
「あらら、この前もそんなこと言ってなかった?」
トリエステは、少し驚いたような声で言ったあと、クスクス笑いながら、
「ここにペンチがあれば、自分のほっぺたで試せたのにね」
と付けくわえた。
一本取られた恰好になったが、悔しさはなかった。僕はトリエステの軽やかな笑い声に、ついつられてしまった。
「ペンチのない世界でよかったよ」
笑いながら言ったからだろう。頬の筋肉が緩んだような気がした。
もしかすると、体が動くようになったかもしれない。短絡的にそう思った。
「君が、死後の世界だというのなら、そうなんだろうね」
と言って、トリエステに顔を向けようとしたが、まったく動けなかった。
愕然となった。
蜂蜜のエネルギーは、さっきの運動で使い果たしてしまったのだろうか。だとすると、蜂蜜を取りに戻れない。このままの恰好で、永遠に生き続けることになる。
考えているうちに、いくつかの疑問が湧いてきた。
ここが死後の世界だとすると、どうしてトリエステも一緒なのだろう。どうしてトリエステは落ち着いていられるのだろう。
その疑問を解消する答が浮かんできた。
催眠術。
僕は今、催眠術にかかっているのかもしれない。もちろんかけたのはトリエステ。
でも、僕に催眠術をかけてどうするつもりなんだろう。
トリエステは、もっと大がかりなジョークを考えているのだろうか。
でも何のために。
結論は出なかったが、トリエステの話の中に矛盾点を見つけた。
「いくつか聞きたいことがあるんだけど」
と僕は言った。
「いいわよ」
弾んだ声にムカッときた。
人の気も知らないで。
僕はいきなり本題から入ることにした。
「君は一体、何者なの?」
「あら、嬉しい。やっと私に興味を示してくれたのね」
トリエステはそこで言葉を切ると、
「あなたからは、どう見えているのかしら」
と言った。
はぐらかされたような感じがしたが、頭の中を整理するつもりで考えてみた。
トリエステは、会話機能付きの古いパソコン。ソフトがなければただの箱。しかし会話を重ねていくうちに、いまでは見方が変わった。
トリエステは、パソコンに姿を変えたいろんな性格を合わせ持つ女性。
魔性の女とまではいかないが、僕の心を常に刺激する術を心得た女。
トリエステが人間だったら、理想の女性なのかもしれない。
しかし、それを口にするわけにはいかない。
質問の目的は、矛盾点を突くため。失言を誘うため。目的を突き止めるため。
僕はゆっくりとした口調で、
「君との会話を思い出してみたんだけどね」
と言った。そして、少し強い口調でつづけた。
「一言で言えば、君は平気でウソをつく卑怯者」
言葉に詰まるか、逆ギレする。そのどちらかだろうと思った。だが、トリエステは歌でも歌うような調子で、
「あ~ら、ショック。どうしましょ。私のどこをみてそう思ったのかしら?」
と言った。
どうやら窮地に陥ったとき、余裕たっぷりにみせる設定がなされているらしい。
だとしたら、こっちにも考えがある。
ソフト開発者と対決しているような気持ちになった僕は、一気に問いつめることにした。
「ここに来る前、君は『私は人間の女性でもなければ、パソコンでもない』と言っていたよね」
「確かに言ったわ」
期待していた肯定の言葉が返ってきた。
嬉しくなった僕は、よしよし、次は違うと言ってくれ。頼んだよ、と心の中でつぶやいてから口を開いた。
「でも君は、さっきそれを覆した」
僕の願いが通じたのか、トリエステは、
「そんな覚えはないわ」
と言った。
「そうかな、そうだったかな。よく、思い出してご覧よ」
思いっきり優しい声で言う僕は、真犯人と対決する探偵気分。
「君はさっきこう言ったんじゃないかな。『まずは、この手作りのベッド。普通の人は、こんな箱の中にパソコンは置かないと思うの』てね」
矛盾点を突かれたときの反応が楽しみだった。
しかし、あっさりと肩すかしを食らってしまった。
「それがどうしたの。箱の中のパソコンの話はしたけど、それが私だとは言っていないわよ」
確かにトリエステは、それが自分だとは言っていない。しかし、話の流れからすると、自分がパソコンだと認めたのは明らかだ。
しかしここで無理に攻めると、相手の術中にはまってしまう。
僕は、自分が有利になるまで相手のペースに乗るふりをすることにした。
「確かにそうだね。でも、君の居場所はノートパソコンの中だと仮定したほうが、僕にとっては都合がいいんだけどな……」
わざと語尾を濁して反応をみた。
「あなたの好きにすればいいわ」
トリエステは優しい声で言った。
「質問、その2」と言って、ふと思った。
理想の女性の件は取り消そう。
この手の性格の女性と遭遇することがあったら、一目散に逃げだすことにしよう。こんなわけのわからない人と一緒になったら、僕は一生落ち着きのない人生を送ることになる。
「ここが死後の世界だとしたら、君も死んだと言うことだよね」
「少しニュアンスが違うけど、まあ、だいたいそんなところ」
「ニュアンスが違うって、どういうこと?」
「私は死んだわけじゃないの。あなたが連れてきただけ」
僕はしばらくその言葉の意味を考えてみた。しかし、話の基準を、どこに置けばいいのか分からなかった。
会話機能がおかしくなった状態で音声を発しているとしたら、考えるのは時間の無駄。 僕は頭に浮かんだことを口にすることにした。
「今回も、お姫様だっこで連れてきたんだろうね」
「さあ、どうでしょう」笑いながら答えたトリエステは、急に真面目な口調になった。「どうして、私が死んだと思ったの?」
そこで僕は、自分の過ちを素直に詫びた。
「君をこんな目に遭わすつもりはなかった。君の電力源が光だとは知らなかったんだ。タオルケットで体を覆ってしまったせいで、君は……」
と言ったところで、トリエステは僕の話を遮った。
「何か勘違いしているみたいね。私のエネルギー源は、光じゃないわよ」




