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蜂蜜の効用

 僕の体が勝手に動いた。

 気がついたら横に一回転して、一メートルほど離れた床に這いつくばるようにして身構えていた。

 何だ、今のは。

 自分の心臓の鼓動を聞きながら、冷蔵庫の下を睨んだ。

 冷蔵庫はキャスター付きの台車の上に乗せてある。

 台車は自分で作った。冷蔵庫を可動式にすると下回りの掃除が楽だと聞いたことがあった。しかし一度も動かしたことはない。キャスターを取り付けたら、掃除機の先が自由に出入りできるほどの隙間ができたからだ。

 僕は息を止めて、うす暗い隙間を睨みつけた。

 しかし、いくら目を凝らしても、動くものの気配はなかった。

 エネルギー不足で、脳がおかしくなったのだろうか。幻だったのだろうか。

 時間経過とともに、自信が薄れていく。

 いや、そんなはずはない。確かに見た。

 何かが、ぎらりと光った。

 僕が驚いたように、相手も驚いたのだろうか。でも、逃げだしたとすれば、一体どこへ消えたのだろう。冷蔵庫の内部だろうか、それとも流しの向こうだろうか。

 でも、ゴキブリや、昆虫類ではなかった。ネズミのような小動物でもなかった。

今まで見たことのない目だった。あんなひょろ長い形をした……

 僕の思考は、そこで止まった。

 まてよ。

 さっき目にしたものを脳裏に蘇らせたとたん、僕の胸の鼓動が激しくなった。

 しかし、先ほどとは違う意味での鼓動だった。

 あれは目じゃなかった。あんな形の目をした動物がいるはずがない。

 もし、僕の予想が正しければ、僕は助かる。トリエステも助かる。

 あれはフォークかナイフ。そのどちらかだ。

 考えてみると、あれはまちがいなく金属の光沢だった。窓明かりの具合で光って見えたんだ。掃除機が届かないキャスターと戸棚との隙間にはさまったかたちで落ちているんだ。

 しかし、違ったときの落胆を考えると、ぬか喜びは禁物。ここは慎重に慎重に。

と自分を制しつつも、絶対の自信があった。

 だが、僕の予想は外れた。そこにはフォークもナイフもなかった。しかし、落胆はなかった。

 出てきたのは割り箸だった。

 たぶんコンビニで何かを買ったとき付いてきたのだろう。いつごろ落としたものなのか分からない。でもセロファンに入ったままだった。しかし、割り箸にカビが生えていたとしても、僕は迷うことなく使っていた。

 神様ありがとうございます。と言おうとしてやめた。

 この件に関して、神様に願い事はしていないことに気づいたからだ。

「ありがとう」僕は天を仰いで言った。「君のおかげで助かったよ。そのお礼というわけじゃないけど、いい情報がある。我々人類が滅亡したあとの地球を支配するのは、君たちゴキブリだという説があるらしいんだ。君たちの世界に輪廻転生があるのなら、そのころに生まれ変わってくるといいかもしれない。君なら、みんなから尊敬される指導者になれると思うんだ。でもこれは僕個人としての意見だけどね。じゃあね、片目のジャック君」


 蜂蜜をなめる前にトリエステに声をかけていれば、そのあとの展開は変わっていたかもしれない。と今になって思う。

 でもそのときの僕は、焦っていた。少しでもはやくトリエステの元に駆けつけたかった。それに、トリエステをビックリさせてやりたいという気持ちもあった。

 トリエステからは見えていないというのは分かっていたが、僕は姿を隠すようにして腹ばいになったまま蜂蜜をすくい上げた。

 割り箸にくっついた小ぶりの梅干しぐらいの蜂蜜。

 僕はそれをしげしげと眺めた。

 このサイズで、どの程度のエネルギーが確保できるのだろう。トリエステにかぶせてあるタオルケットを外せるだけの体力が生み出せるのだろうか。

 でも、それは、舐めてみれば体感として分かる。

 僕は箸先を見つめて「頼むよ、蜂蜜君」と言った。そして体をねじるようにして仰向けになった。

 最初は舌先にのせるつもりだった。でも、僕はここ数日、水分も食料もとっていない。そんな体には刺激が強すぎるかもしれない。

 絶食を長くつづけた後の食事は、おもゆのような流動食からはじめるらしい。心臓の薬ニトログリセリンは、舌の下に含ませて溶解させると聞いた。

 よし、それでいこう。

 蜂蜜を舌の裏に付け、割り箸を前歯で軽く嚙んで数秒ほどで最初の反応が起こった。

 まるで口の中が火事になったような猛烈な熱さ。

 しかし、それは火傷につながる熱さや、激辛食品を口にしたときの刺激とは全然違う種類のものだった。

 うまく言えないが、燃えるような情熱。

 それは口から喉。喉から胃。胃から腸と、理科で習った消化器官の順に従って、ゆっくりとおりていった。


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