僕の足もとに埋まっているもの
そこまで言われると、受けないわけにはいかない。
「分かった」と僕は言った。「どっちが正しいかやってみよう」
森伊蔵酒造のウエブサイトを開いたところで、思わず笑みがこぼれた。
今月の登録締め切り日が、今夜の午前零時までだったのだ。
さっき見たネットの書き込みの中に、電話予約は最終日を絶対に避けるべし、とあった。
宝くじ売り場が最も混雑するのが初日と最終日。森伊蔵の場合も、今日が一番電話が繋がりにくいはず。
僕の勝利は、確定したようなものだ。
トリエステにダメージを与えるのなら、日付が変わる三秒前に電話をかけるのが一番効果が高そうだ。
だが、僕はトリエステに恨みを持っているわけではない。トリエステが、くじ運の話を持ち出したのは、僕に自信を持たせるためだろう。
そのことについては感謝しないでもない。ただ、決めつけたような言い方が気に入らないだけなのだ。
しかし勝敗がはっきりしているものを、ぎりぎりの時間まで待つ必要はない。何かアクシデントが起こる可能性もある。指が滑って、ボタンを押すタイミングが狂う場合もある。午前零時を一秒でも過ぎてしまえば、勝負は一ヶ月延びてしまう。
僕は予約電話の番号を書き写したメモ用紙を持って、トリエステの横に腰を下ろした。「じゃあ、いくよ」
と言って携帯電話を取り出した。そして、市外局番から順にプッシュしていき、最後の番号を押す前に、小さく笑った。
そのおかげなのかどうか分からないが、聞こえてきたのは予想していたとおりの音声だった。
「こちらはNTTです。只今おかけになった電話は現在大変込み合っております」
「ほらね」
僕は、トリエステの上に、携帯をかざして見せた。
「これでも、僕のくじ運が強いって言うの?」
「何よ、その勝ち誇ったような言い方は」トリエステは、苛ついたような声で言った。「外れればいいと思っていたでしょう。当選するつもりなんて、最初からなかったでしょう」
「まあ、そういうことだね」僕は、正直に答えた。「どう考えてみても、酒の味が分かる人に当たった方が良いだろうからね」
しばらくしてからトリエステは、落ちついた声で言った。
「確かに一理あるわね」
そしてそのあと、言い聞かせるような声で、付けくわえた。
「でも、当たったからといっても、自分で飲まなきゃならないって規則はないでしょ」
「どういうこと?」
「飲めないあなたには分からないかもしれないけど、酒やビールは贈答用によく使われるの」
それぐらいのことなら知っている。でも僕は何も言わずに続きを待った。
「だったら、お世話になった方に差し上げたらどうかしら」
なるほど、それはグッドアイデア。プレゼント用になんて考えてもみなかった。
そこで僕は、幻の焼酎と呼ばれるものがあることを教えてくれたのは、Pの父親だったことを思い出した。
Pに送ってやろう。そうすれば、あの親子の仲直りのきっかけになるかもしれない。
だがそこで、気がついた。
「でも、それは当たったときのことだろう。電話も繋がらない状態ではどうしようもないと思うんだけど、」
「まだ分からないの?」トリエステが話を遮った。「電話が繋がらないのは、あなたのせいなのよ」
「僕の?」
「決まっているでしょ」
あまりにも確信に満ちた口調。僕は思わず自分の頭の後ろを掻きながら訊ねた。
「決まっているの意味が、よく分からないんだけど……」
するとトリエステは、何か考えるように数秒ほど沈黙してから、
「分かりにくいかもしれないけど、例え話をしてもいいかしら」
と言った。
「いいよ」
と答えると、トリエステは、
「飛行機って知っている?」
と言った。
その質問に、僕は張り切った。
僕は飛行機には結構詳しい。小学生の頃、お年玉で「飛行機の歴史」という絵本を買ったことがある。歴史に名を刻んだ飛行機なら、シルエットだけでも当てる自信がある。
「色んな種類があるけど、君の言うのは、旅客機? それともセスナのような軽飛行機?」
「種類は、どうでもいいんだけど、ひとつだけ条件があるの」
トリエステは、そこでクスッと笑った。
「サハラ砂漠の、ど真ん中まで飛べること」
たしか、星の王子様が不時着したのがサハラ砂漠だった。でも、あの物語に出てきた飛行機は絵本には載っていなかった……
からかわれていることに気がついたのは、それから十数秒経ってからだった。
でも、僕に怒りはなかった。
僕の出任せ話を、どのように活用するつもりなんだろう。そんな興味が湧いてきたのだ。
だが、ここで何か言わなければ、古いパソコンに逆手を取られた恰好になってしまう。 しばらく考えているうちに、いい方法が見つかった。
僕は笑顔を作って、トリエステに訊ねた。
「まさか、上空三千メートル地点から小さな針を落とすんじゃないだろうね。飛行機を降りたらキャラバン隊を組むんじゃないだろうね」
僕のはしゃいだ声につられたのか、トリエステも高いトーンで答えた。
「すごいわね、あなた。どうして、私の心の中がわかったの?」
その嬉しそうな声に、僕の口が勝手に動いた。
「たぶん、君と僕には深い縁があるってことなんだろうね」
「それって、運命の糸っていうこと?」
トリエステが確認するような口調で訊いてきた。
「違う」
調子に乗った僕は、わざと首を振ってから答えた。
「もっと、もっと深いものかもしれない。僕たちは、遠い昔から繋がっていたのかもしれない」
これもサハラ砂漠の話と同じ、思いつきを言葉にしただけだった。
(僕は今まで色んなことに気づかないまま人生を過ごしてきた。後から考えてみると、このときの僕とトリエステの会話の中にも、とても重要なことが隠されていたのだ)
「すっごく、嬉しい」とトリエステは言った。「じゃあ、このあと、私が何を言おうとしているか、ちゃんと分かっているということなのね」
「いや」
僕はもう一度首を振った。でも今度は芝居ではなかった。本当に分からなかったのだ。
「残念ながら、分かるのは、そこまでなんだ」
しばらくの沈黙のあと、トリエステは、少し気落ちしたような声で言った。
「本当に、サハラ砂漠に落ちた針が、どこにあるのか分からないの?」
「考えようとしたんだけど、見当もつかない」
するとトリエステが、謎めいた言葉を吐いた。
「捜し物は、あなたの足もとにあるの。でも、あなたには見えない」
捜し物?
僕は首をひねった。
僕が探しているものって、何だろう。
今の僕に、捜し物なんてないはずだけどな、と思いながらもトリエステの言葉を繰り返した。
捜し物は、僕の足もとにある。でも、それは、僕には見えない。
やがて、小さい頃母親が読んでくれた童話を思い出した。
「チルチルとミチルが出てくる物語と、よく似ているみたいだね」
「似ているけど、少し違うの。あなたの足もとにあるのは、青い鳥じゃないの。次のステップに行くためのアイテムなの」
トリエステは、そこで話を止めた。
たぶん僕が何か言うと思ったのだろう。
でも僕には、トリエステの言葉を頭の中で反芻するのが精一杯だった。
ふうーっ、
トリエステは、深いため息を吐いてからつづけた。
「そのアイテムが見えないのは、あなたの足もとの深いところに埋まっているからなの。それを掘り出さない限り、あなたの第二章は始まらないの」




