トリエステに言われて、ネット検索
「あなたは知らないと思うけど、最終日は足の踏み場もないほどの盛況ぶりだったの。周辺道路の流れをスムーズにさせるために警察官が動員されたのよ。それだけじゃないの。決勝戦の模様は世界中に生中継されたんだから」
で始まったトリエステの話を、僕の視点で『翻訳』すると、こうなる。
最終日に詰めかけた人数は、最大で三十人程度。
あのパソコンショップが、三年もしないうちに倒産した理由は色々あるらしいが、そのひとつは間違いなく店の狭さだろう。
なにしろ、客が二十人も入れば満杯状態。通路を行き交うことさえ困難だった。
店の前は交通量の激しい片側二車線道路。百メートルほど先に、大勢の学生が乗り降りする電停がある。不特定多数の客を相手にするには最高の立地条件。
だが、駐車場があまりにも狭すぎた。普通車三台が、やっとだった。
近くのコンビニに車を置きっ放しにしたり、店の前に路上駐車する客もいた。その日、駐車違反の切符を切られた客がいたのかも知れない。
世界中に生中継というのは、インターネット配信以外に考えられない。それを見た人間がいたとしたら、関係者ぐらいのものだろう。
そのあとトリエステは、決勝戦までの男同士の熱き戦い。勝ち残った二人の人物像。そしてトリエステを手中に収めた男の心理状態など、事細かに語った。
もしそれが客観的な事実に基づいているのなら、それをそのまま伝えなければならない。 だが、前も言ったように、それはあくまでトリエステの思い込み、あるいは推測によるものだ。(という僕自身も、推測で言っているわけだが……)
まあ、そんなわけで、その部分の話は割愛して、森伊蔵という言葉が出てきた場面から再開する。
「ちょっと待ってくれ」僕は思わず大きな声で言った。「森伊蔵のおかげって、そんなことだったの?」
「そうよ、でも、これって奇跡でしょ。もし、もう一人の男がジャンケンで勝っていたら、私は商売敵の手に渡って、ばらばらに分解されていたのよ」
「でもさ、その男は産業スパイと決まったわけじゃないだろう。君の性能を手帳に書き付けていただけだろう。そんなの誰でもするよ」
「ところが私には分かるの。一発で」
と言われると、あ、そうですかと言うしかない。
「それだけじゃないの。もし私をゲットした男が、時間ぎりぎりに来なかったら、あなたとの再会はなかったのよ」
「どうして?」
「は虫類のような目をしたあの男は、店のトイレを借りるつもりだったの」
「どうしてそれが分かったの」
「だって、激戦を戦い抜いて、私を手にした途端、思い出したのよ。自分がトイレを我慢していたことを」
トリエステはそこで間を置いた。
「でもここからが、偶然という名の奇跡の始まりなの。『ちょっと、これを』と言って、男は私を店長に預けたわけだけど、もしあのとき、店長に電話が来なかったら、店長が私を持ったままバックヤードに行っていなかったとしたら、私とあなたの再会はなかったの」
「つまり、バックヤードの奥に置いてあった森伊蔵を目にすることはなかったというわけだね。その男が、アルコールを受け付けないタイプだったら、君はその男のものになっていたというわけだ」
「そういうことになるわね」トリエステは、当時を懐かしむような声でつづけた。「今思うと、あれは私の願いを神様が聞いてくれたんじゃないかしら」
神様という言葉は便利だ。理屈に合わないことでも、神様が……神様の……ですべて片がつく。
別に反論する理由もなかった僕は、疑問に思ったことを口にした。
「森伊蔵が幻の焼酎と言われていることは知っているけど、どれくらいの価値があるの?」
「さあ?」とトリエステは言った。「ネットで調べてみれば分かるんじゃないの」
僕には焼酎の価値なんかどうでもよかった。だが、ネットで調べてみたいことがあった。
マリアナ海溝とバチスカーフの二つの言葉で、トリエステにたどり着けるかどうかだ。
僕には一発でヒットするという自信があった。
「分かった」
僕はそう言って、デスクトップパソコンの電源を入れた。異音が聞こえたほうのデスクは繋いでなかったから、なんの異常もなく立ち上がった。
マリアナ海溝、バチスカーフ。
とキーボードで入力。
それを、ヤフーで検索。
予想した通りだった。
一番上にマリアナ海溝。その下にトリエステという名前の潜水艇の写真。三番目がバチスカーフ。その下にも、トリエステ関連のサイトがずらっと並んでいた。
ネット検索は、はやい。便利だ。
しかし、今回のトリエステに関してだけは、ネットを使わずによかったと思った。
マリアナ海溝とバチスカーフを思い出した時点で、ネットを使っていれば、映像を学んでいたころの自分を思い出すことはなかった。
ミスダツのことも、脳サーチのことも思い出さなかったはず。となれば、ラーメン店で若い二人と出会うこともなかった。プチ記憶消失になることもなかった。
当然『森伊蔵』で検索することもなかった。
そんなことを頭のすみで考えながら、僕はエンターキーを押した。




