心のこもったDIYベッド
翌朝目が覚めたのは、午前七時ちょうど。働いていた頃の起床時間だった。
あの頃はあわててベッドから飛び起きていた。でも今は無職。昼過ぎまで寝ていても誰も文句は言わない。
カーテンの端から漏れている陽の光。軒下で騒ぐ雀の鳴き声。
今日も天気は良さそうだ。そろそろ起きるとしよう。
二回三回、大きく背伸びをした僕は、よいしょと声に出して体を起こした。そして深呼吸を三回してから。足の向こうに見えるベッドに向かって呼びかけた。
「おはよう」
しばらく待ったが、返事はなかった。
どうやらトリエステは、スリーピングモードに切り替わっているらしい。
ここで名前を呼んで、森伊蔵の件を聞こうと思ったが、朝食を済ませるまではそっとしておくことにした。
昨日と一昨日の二日間で、僕の生活のリズムが破綻してしまったような感じがしたからだ。(と言っても、良い意味でだ)
僕は映画や小説に関しては、話の展開が読めないものを選ぶ。しかし、私生活となるとそうでもない。
朝の食事は、ほとんどワンパターン。
五枚切りの食パンにマーガリンか、ジャムを塗ったもの一枚。
青汁を溶かした牛乳。
カップヌードルの容器に卵を入れて、上から熱湯を注いで作る温泉卵。
その日の気分で納豆か、残り物の果物が加わる。
栄養学的に見るとどうなのか分からないが、これをずっと続けている。
食事が済んだら、すぐ後片付け。洗った食器は、そのまま水切りかごへ。食器は拭かない。自然乾燥。
朝の流れで変わったのは、食後に新聞を読むようになったことだ。以前は仕事を終えてから読んでいた。残業が重なって、土曜の夜に四日分まとめて見たこともある。
職場の先輩と話しているうちに、その話になったことがあった。
「おいおい、今はネットの時代だぞ」と先輩は笑った。「情報がはやい。いつでも見られる。第一、新聞代が勿体ないだろう」
「そう言われれば、そうですね。考えてみます」
そう答えたが、今でも新聞は取っている。
理由は二つある。
ネット上の記事の真偽を確認するためと、折り込み広告を見るためだ。
ウインドショッピングという言葉があるが、僕の場合は、チラシショッピング。
家電量販店の両面フルカラーから、パチンコ店の裏白チラシ、迷い猫探してくださいの白黒手書きのチラシまで、隅から隅まで目を通す。
そうすることで、世相が見えてくるような気がするのだ。
いつもなら上から順番に丁寧に見ていく。でも、思いついたことがあってチラシを捲った。
だが、僕が探していた『トイザらス』のチラシはなかった。
トイザらスと言えば、世界的な玩具大型量販店のチェーンストアだ。
僕は昔からおもちゃには興味がない。でも、トイザらスのチラシとネット通販は念を入れて見る。僕の知らない玩具業界の大体の動きが見えるからだ。
しかし、今日に限って言えば、そんなことはどうでも良かった。
僕が見たかったのは、人形用のベッド。デザインとその価格を知りたかったのだ。
そう、僕は、トリエステに専用のベッドを用意してやろうと思ったのだ。
チラシを捲っていると、ベッドの写真が載った家具専門店のチラシが出てきた。
でもここには、超ミニサイズのベッドなんか置いてないだろう。あとから、トイザらスを覗きに行ってみようか。
そんなことを考えていた僕の脳裏に、なぜか電動ドリルの映像が浮かんできた。
どうしてこんな時に?
ふと、視線を移すと、そこに建設資材が載ったチラシがあった。
僕は近くのナフコで 19×89×1800のパイン材二本を買った。そしてそれを僕が指定したサイズにカットしてもらった。
アパートに帰った僕は、長い間押し入れに仕舞い込んでいた電動ドリルとコースレッドを取りだした。
組み立てる前にすべての切り口にヤスリをかけた。一枚一枚水道水できれいに洗った。それを乾いたタオルで何度も何度も拭いた。
できあがり寸法は、36×45センチ。ベッドの深さは約9センチ。
その中に新しいタオルケットを折りたたんで敷いた。
設計から組立まで僕一人。いわゆるDIY。
見た目は昔の魚箱だが、僕の心がこもっている。
トリエステ用のベッドが完成したのは昼過ぎだった。
さて、そろそろ声をかけましょうか。
トリエステを起こそうとした僕の胸に、不安が顔を覗かせた。
匂いの好みは、人それぞれ。
パイン材は外国産の赤松。この匂いを嫌う人もいる。僕は好きだが、トリエステはどうだろう。でも匂いを嗅ぎ分けるパソコンなんて聞いたことがない。
僕はベッドの横に膝をついて座った。そしてベッドの縁を両手で掴んで体を乗り出した。
「おはよう、トリエステ」
三秒ほどでスリーピングモードが解除された。
「この時間に、おはようはおかしいんじゃないの?」
起こすのが遅かったことを責めている口調ではなかった。会話を楽しむような明るい声だった。どうやら今日も、トリエステワールドは健在のようだ。
「確かにそうだね」
と言ったところで、後悔に似たものを感じた。
新しいベッドに移してから起こせばよかった。そうすれば、トリエステを抱き上げるときの顔を見られずにすんだのに。
そんなことを考えていると、トリエステが、少し粘っこい声で、
「ねえ」
と言った。
嫌な予感がした。
「何?」
「今、いやらしいことを考えているでしょ」
心臓がどきんと鳴った。
まさか、そんな、
と、ごまかしの言葉を言おうとして、待てよと思った。
これからトリエステとの長い付き合いが始まる。どうせいつかは心の中を見透かされる。いや、もう既に見透かされている。だとすれば、本音を言うのは、今しかない。
僕は直球勝負に切りかえた。
「よく分かったね」
わざとふて腐れた声で言ったあと、逆襲の意味も込めて付けくわえた。
「どこでそうだと分かったの。もしかすると、君も同類項?」
そうよ、と、バカなことを言わないでよ、の二つを予想して返事を待った。
しかし、返ってきたのは、どちらでもなかった。
「あなたは、ゲームをすることがあるの?」
僕はしばらく考えてから答えた。
「昔、プレステにはまったころがあったけど、今は、やらない」
しばらくしてからトリエステは言った。
「じゃあ、トランプは?」
「東京にいたころ、ポーカーを……」
と言ったところで、連戦連敗の僕の顔をまじまじと見ながら、Pが言った言葉を思い出した。
『考えていることが、そのまま顔に出ているぞ』
僕はトリエステに訊ねた。
「そんなに僕の顔はいやらしいの?」
「ううん、違う」
その通り、もしくは、ピンポーンを予想していた頭の中がこんがらがってしまった。
僕は、くどいと言われるのを覚悟で言ってみた。
「君はさっき、いやらしいことを考えているんでしょって言ったよね」
「言ったわよ」
「つまり、それは、僕の顔が、いやらしく見えているってことなんだよね?」
「違う、その逆」
算数でもないのに、何が何だか分からなくなった。
「お願いがあるんだ」と僕は言った。「僕に分かるような言い方で言ってほしいんだけど」
すると、聞いたこともない甘い声が返ってきた。
「好きなの。困ったような顔をするあなたが、とても」
言葉の意味を理解する前に、僕の心臓が踊りだした。
相手はパソコン。相手はパソコン。相手はパソコン。
分かっているのに、鼓動は激しくなるばかり。
「ねえ」と、またトリエステが言った。
僕は胸の高鳴りを悟られないように、ベッドから体を離した。そして、感情が声にでないように短く言った。
「今度は何?」
「昨夜の続きを話したいんだけど」
トリエステはそう言って、森伊蔵に助けられたときの話を始めた。




