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些細な指摘、その1

 トリエステがオープン記念セールの賞品にされたのは、間違いないようだ。

 でもここで、君は何等の賞品だったの、なんて言ったら、アイドル気分になっているトリエステの機嫌を損なう。

 それに僕が知りたいのは、森伊蔵との絡みの部分だけなのだ。

 そこで僕は、話の流れがはやくなるように、驚いた振りをすることにした。

「本当にそんなことがあったの?」

 声のトーンを少し上げて言うと、それに合わせるように、トリエステは早口で答えた。

「そうよ、誰が見ても絶体絶命の状況だったの。ハラハラドキドキの連続。でも、私、そこを軽々と乗り越えたの」

「すごいね、君は」

 トリエステは、歌うような口調でつづけた。

「あなたも知っていると思うけど、愛さえあれば、どんな困難な出来事でも乗り切ることができるの。蝶が空を舞うようにヒラヒラとね」

 ラブストーリーの映画にでてきそうなセリフ。僕には苦手な部門。

 何か言おうと思ったが、言葉が出てこない。

 僕は基本的にラブストーリーは見ない。だからと言うわけではないだろうが、言葉の欠片さえも浮かんでこなかった。

「最終的に勝ち残ったのが、二人の男性だったの」

 トリエステは、一番格の高い賞品だったらしい。

 で、その二人と森伊蔵がどういうふうに繋がるの? 

 と言おうとしたとき、気になることが頭に浮かんだ。

「あのさ」

 と言ったところで、僕は口をつぐんだ。

 あやうく、どんな抽選方法だったの、と言うところだった。

 それを言えば、トリエステの気分を害するのはもちろん、午前零時まで、一人の女性として扱うと決めた自分の誓いを破ることになる。

 現時点において、このノートパソコンは、トリエステという名の謎多き女性なのだ。

「いや、ちょっと、喉が詰まったもんだからね」

 そう言って、空咳でごまかそうとする僕に、トリエステが、さらりとした口調で言った。

「で、その抽選方法というのはね」

 思わず咳き込んでしまった。もちろん芝居ではない。

 僕は、じっとトリエステを見据えて訊いた。

「僕の頭の中が見えているんじゃないだろうね?」

 僕の声は震えていたかもしれない。

「意味がわからない」

 と言って、しばらく黙り込んだトリエステが、探るような口調で言った。

「あなたには、私がMRIに見えているってことかしら」

 エムアールアイ?

 十数秒後に、二つのことが分かった。

 MRIは脳検査に使われる装置。

 MRIは、僕の質問とは無関係。

 くそっ、

 腹が立ってきた。

 旧式のパソコンにからかわれた上に、僕の知識の程度まで測られてしまったらしい。

 こうなれば、遠慮なんかしていられない。

「僕が言おうとしていた抽選方式という言葉を使った理由を訊きたいんだ」

「なんだ」トリエステは、がっかりしたようなため息をついた。「そんなことだったの」

「なんだじゃない。そんなことじゃない」僕は大声で言った。「ごまかさないで、はっきり言ってくれ」

「ごまかすも、何も……」

 最初は戸惑ったような声だった。だが、少しずつ苛立ちの混ざった口調になった。

「店長が、いつもお客さんに抽選方法を説明していたからよ。それにお店の中には、一等賞品時価数千万円の次世代パソコン、トリエステと印刷したチラシも貼ってあったし」

聞き終えたとき、僕の体の中の力は抜け落ちていた。

 しかし、その代わりに、忘れていた記憶がいくつか浮かんできた。

一万円お買い上げ毎に抽選券一枚と書かれたポップが空調の風に揺れていた。

 くじ運が悪いから抽選券はいりませんと言う僕に、じゃあ、これをと言って、店長が、ワイヤレスキーボードをサービスしてくれた。

 完全な僕の勘違い。

 トリエステの苛立ちは、怒りに変わっているかもしれない。

 するどい突っ込みを覚悟した。

 しかし、トリエステは、あっけらかんとした口調で「さて、ここで問題です」と言った。

 肩すかしを食らって、話の流れがどうなっていたのか分からなくなった僕には「なに?」と言うのが、精いっぱいだった。

「その抽選方法を、当てて欲しいの」

 と、トリエステは、何かを楽しむような声で言った。

「ああ、そのことね」

 そう言ってみたものの、僕の思考力の低下は明らか。こんな状態では何も考えられない。

「一発で当てたいから、少し時間をくれる?」

 ギブアップは嫌だから言ってみると、明るい声が返ってきた。

「もちろんよ」

 思考力が鈍ったときは、糖分補給が一番。

 手元のコーラに手を伸ばそうとすると、トリエステが訊いた。

「いつもそんなに飲むの?」

 この問いかけに思考力は必要ない。

「2リットル入りのコーラを飲んだことはあるけど、このサイズのコーラを一日に四本も飲んだのは、今日が初めてだよ。いつもは二日に一本かな」

「ねえ」トリエステが遠慮がちな声で言った。「些細な間違いを指摘されても平気?」

 何が言いたいのか分からなかった。

 僕は正直に答えた。

「相手によるけどね」

「私だったら、どうなるの?」

「もちろん、ぜんぶ許すよ」

 即答すると、トリエステはくすくす笑い始めた。

「それって、どんなに苛つくような事態になっても、我慢するって意味?」

 なぜだか分からないが、僕の心理状態はトリエステからは丸見えらしい。だとすれば隠す必要はない。

「そうだよ」僕はあっさり白状した。「パソピアで君と再会してから、ほとんど苛ついているんだ」

 怒り出すんじゃないかと思ったが、トリエステはくすくす笑いながら言った。

「じゃあ、些細な指摘、その1」

 妙に明るい声だった。

「あなたは、今日一日だけでコーラを四本飲んだと言ったわよね」

 コーラに関する指摘だとは思ってもいなかった。

 一日にコーラを四本。一日にコーラを四本。

 僕は頭の中で繰り返した。

 四本ともメーカーが違っていたが、一日にコーラを四本という言葉の中に、おかしなところはどこにもなさそうだった。

 もっと深く考えてみようとして、ふと思った。

 些細なということは、言った本人が気づかない程度のものなのだろう。だとしたら、考えても無駄。

「言ったよ」

 とだけ答えて、返事を待った。

「そのボトルを、よく見てよ」

 僕はボトルの首を持って、目の前に持ってきた。

 赤いラベルに白い文字でCOCA-COLA。今飲んだばかり。中身も間違いなくコカコーラ。

 今日のコーラは四本ともメーカーが違っていた。ラベルもそれぞれ違っていたから、このボトルの中身が、ウーロン茶にでも見えたのかもしれない。

「些細なことって何?」

 僕は催促した。

「コーラを四本飲んだということは、四本とも完全に飲み干したってことでしょ」

 予想もしない返事に、がっかりした。

 言葉尻を捉えただけだった。

 これは指摘じゃない。いちゃもん、もしくは、言いがかり。

 残っていたコーラを頭からかけてやろうかと、一瞬思った。

 でも、もちろんそんなことはしない。

 僕の中で、トリエステは、まだ淑女なのだ。

「ほんとだね。まだ残っているから、三本とちょっとと言うべきだったね。気がつかなかったよ、ありがとう」

 と言った僕は、そこで話題を変えて、気になっていた質問をすることにした。

「さっき君は、些細な指摘、その1と言ったけど、その2もあるの?」

「そう」と答えたトリエステは「でもその前に」と言った。「あなたは、いつもそうやってコーラを飲むの?」

 てっきり、グラスを使わないことを指摘されたと思った。

「そうだね、だいたい直接ボトルに口をつけて飲むんだ。君から見ると、行儀悪そうに見えるかもしれないけどね」

「私が言いたいのは、そんなことじゃないの」トリエステが話を遮った。「半分のところで口を離す理由が知りたいの」

 今度も、何が言いたいのか分からなかった。

「あのさ」と僕は言った。「クイズ形式はやめて、単刀直入に指摘してくれないかな。実を言うと、頭がこんがらがりそうなんだ」

「わかったわ」

 トリエステが素直にうなずいたのを確認した僕は、改めて訊ねた。

「半分のところって、どういうこと?」

「ずっと見ていたんだけど、何口か飲む毎に、ボトルから口を離すのよね、あなたは」

 言われてみれば、たしかにそうだ。僕は一気飲みができない。炭酸にむせるのだ。

 僕は何も言わずに、話の続きを待った。

「どうして、ちょうど半分になったのが分かるの?」

 それが、僕に対する質問だと言うことは分かった。でも、質問の意味がまったく掴めなかった。

 質問の趣旨を訊こうとして、面白いことを思いついた。

 僕は笑いたくなるのを堪えながら訊ねた。

「君の場合、些細なことを指摘されたら、どうなるの? 怒り出すの? それとも」

 突然の質問に戸惑ったのか、答が返ってきたのは、二十秒ほどしてからだった。

「相手があなただったら、全部許すわ」

 返事が遅れた割には平凡な答だった。でも、嬉しかった。

「ありがとう」

 と言った僕は、笑顔を浮かべてボトルをちょっとだけ振って見せた。

「君は、ちょうど半分と言ったよね。ちょうど半分の意味は分かっているんだよね」

 と念を押した。

「もちろんよ」

 トリエステは、余裕に満ちた口調で答えた。

「ちょうど半分と言ったら、二分の一のことでしょ。つまり残っているコーラの量と空気の量がまったく同じということよね。あなたは、四本ともちょうど半分になったところで、口からボトルを離したの。うそだと思ったら、今のボトルを調べてみてよ。ぴったし半分だから」

「どうやって調べるの?」

 僕はしばらくボトルに視線をやってから、トリエステを見た。

「計量カップを使って?」

「そんなの必要ないでしょ」トリエステは、はっきりした口調で言った。「ボトルを水平にすれば、一目瞭然でしょ」

 なるほど、たしかにそうすれば分かる。

 でも、ぴったしは言い過ぎだろう。半々ぐらいで止めておけば、僕からさらに突っ込まれる心配はないのに。

 そんなことを頭の隅で思いながら、サイドラックの上にボトルを横たえた僕は、揺れが収まるのを待った。

 鳥肌が立った。

 トリエステの言った通りだった。

 定規で引いたような水平線が、ボトルを均等に分けていた。

「どうして、ぴったりだと分かったの?」

 トリエステは答の代わりに、笑いを含んだ口調で、

「些細な指摘、その2」

 と言った。


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