表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
52/107

ガラガラ、ドシャーンで消えたもの

急に視線の集中砲火を浴びる格好になったミスダツは、びくっとしたように体をねじって僕たちを見た。

「な、何だよ、おい」

 慌てたような声。彼の頬は、赤みを帯びているように見えた。

 すかさずマドンナの親友の一人が、数年前に還暦を迎えたミスダツをからかうような口調で言った。

「好きになるのは勝手ですけど、年を考えてくださいね。六十過ぎは、四捨五入すると百歳ですよ」

 ピューッ、

 誰かが口笛を吹くと、いっせいに笑い声が起きた。

 生徒の間では、マドンナを見るミスダツの目は、いつもいやらしいという定説がまかり通っていた。どうやらそのことは、本人の耳にも届いていたらしい。

「俺も君たちに、言いたいことがある」

 ミスダツは、開き直ったような口調で反撃に出た。

「俺が好きなのは、君たち全員だ。男も女も関係ない。特定の人間をひいきすることもない」

 ミスダツは、そこで一息入れると講師の顔に戻った。そして、間合いを取るように、咳払いをひとつしてからつづけた。

「でも、特に好きなタイプの生徒は、と訊かれれば、俺はこう答える」

 ミスダツは、自然な笑顔を浮かべた。

「たとえば、いつもバトル形式で授業を盛り立ててくれる、そこの二人のような」

 と言ったところで、言葉を切った。

彼の視線の先に誰がいるかは、見なくても分かっていた。僕たちは、ミスダツに顔を向けたまま、次の言葉を待った。

 だが、ミスダツは何もしゃべらなかった。呆れたような、感心したような、複雑な表情を浮かべて一点を見つめているだけだった。

 そうなると、当然、生徒の目は、ミスダツの視線の先に向かう。

と、そこまで思い出したところで、異変が起きた。

ガラガラ、ドシャーン。

 雷が落ちたかと思った。何かが崩れ落ちたような音。アニメ番組で聞くような大音響が、すぐ横で鳴り響いた。

 耳を塞ごうとした拍子に、バランスを崩して尻餅をついてしまった。

何ごとが起きたのか、まったく分からなかった。気がつくと、辺りは暗くなっていた。

 膝をついて立ち上がろうとした僕の背筋を、冷たいものが走った。

 目の前の薄闇に、しろい物体がふわりと浮かんでいた。

 しかも、それは、僕のほうに近づいてくる。

 宇宙人?

 それとも、ここは異次元の世界?

 すぐ、そんなことを想像してしまうところが、僕の幼いところだ。

「だ、誰?」

 僕は首をすくめながら問いかけた。

 白い物体から、声が聞こえてきた。

「誰と言われても、なあ」少し間があって「自転車屋のおっちゃんや」とつづいた。

 不自然な関西訛り。

 僕は、そっと顔を上げた。

 僕を見下ろしていたのは、初老のおっちゃん。白いつなぎ服を着た、みごとなスキンヘッド。

「大丈夫かいな、ほら、つかまりや」

 おっちゃんは、手を差し出した。

「結構です」

 明るい声で答えた僕は、弾みをつけて立ち上がると、両手でジーパンの尻を叩きながら、周りの様子をうかがった。

 音の正体が分かった。

 さびの浮いたシャッターが閉まる音だった。開いたままの、もう片方のガラス戸の向こうに、組立中の自転車が見えた。

「怪我せえへんかったか?」

「大丈夫です。心配かけてすみませんでした」

 おっちゃんは、不思議そうな目で僕を見た。

「何してたんや、こんなとこで」

 そんな質問がくるとは思ってもいなかった。でも、今の状況下で、見れば分かるでしょう、なんてセリフは言えない。

「ラーメンを食べようと思って、並んでいるところです」

「そやろと、思たんやけどな」おっちゃんは、腕組みをして、すこし首を傾げた。「それやったら、ここやのうて、も少し前に並んだほうがええんと違うか」

 そこで僕は気がついた。

 言葉づかいはやわらかいが、暗に、商売の邪魔をするなと言っている。毎日毎日、自分の店の前に並ぶラーメン目当ての客に、不満を持っているのだろう。

 それだったら、僕に言わないで、ラーメン店のオーナーに言って下さいよ。

 心の中でそう言った僕は、あることに気づいた。 

 僕の前にカップルの姿がなかった。いや、それだけではない。行列そのものが消滅していた。

 一瞬、頭がくらっとした。

 やっぱり、ここは、どこか違う世界。

 観察するような目で、僕を見ていたおっちゃんが「ほら」と左手の親指を横に向けた。「ラーメンやったら、はよういかな、閉まってまうで」

 おっちゃんが指し示した方に見えていたのは、さっきのカップルの後ろ姿だった。二人はラーメン店の、入り口の横にいた。

 そこでようやく事態がのみ込めた。

 なんだよ、もう。

 僕の早とちり。勘違い。考え事をしている間に、行列が進んだだけらしい。

「ほな、わしは店を閉めるよって」

 にこっと笑って、背を向けたおっちゃんに、僕は「ご迷惑をお掛けしました」と一礼して、ラーメン店に向かった。

 風にのって漂ってくるとんこつスープの匂い。

 その時点で、僕の五感の第一位の座を仕留めていたのは、間違いなく嗅覚。

 脇の下に挟んでおいたDVD入りの袋が、どこかに消えてしまっていることに気づかなかったとしても、しかたない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ