脳サーチ効果の兆し?
ラーメンの行列は、いくぶん短くなっていた。
僕をいれて十六人。
僕の前には、両方の耳にイヤホンをした若いカップル。男の子の顔には、やわらかい産毛がうっすらと生えていた。肌の感じからすると、高校生かもしれない。
二人は小さくからだを動かして、同じようなリズムをとっていた。音は聞こえないが、同じジャンルの音楽らしい、
「ねえ」
女の子がイヤホンを外して、男の子の肩先を指でつついた。
「なに?」
男の子は、片方のイヤホンを外した。
「私たちの前で、売り切れってことはないよね」
「それはないと思うよ」男の子は、にこっと笑って首を振った。「それだったら、店の人がしらせてくれるだろうからね」
二人ともきれいなアクセントだった。
男の子が、思い出したように言った。
「ところで、君は何にするの?」
女の子は、目をぱちぱちさせた。
「どうして、そんなことを訊くの。美味しい店を紹介するって言ったのは、誰なの?」
最後のほうは、すこし苛立ちが滲んでいた。
「あ、そっか」
男の子は、すこしだけ笑ってスマホを取り出した。
「ここのとんこつラーメンには、三種類あるんだ」
彼は画面を彼女に向けた。
「ほら、これが醤油とんこつ味。こっちが塩とんこつ味で、これが、旨みそとんこつ味」
しばらく二人は頭をくっつけるようにして、小さな液晶画面を見つめていた。
「私が食べたいのは、一番美味しいラーメン。それを頼んで」
「それがね」男の子はすこし間を置いてから言った「どれも美味しいらしいんだ」
「らしい?」女の子は、相手を見つめた。「ということは、食べたことはないってこと?」
その言葉を待っていたように、男の子は、嬉しそうに微笑んだ。
「調べたんだ。ほとんど徹夜で。一度に三種類食べる人もいるらしいよ」
女の子は眉間に、可愛らしいしわを寄せて、スマホに視線をやった。
「もしかすると、これって、ネットの書き込み情報?」
男の子は、ニッと笑った。
「ピンポーン」
「サイテー」
女の子は、ふて腐れたような表情を見せた。
「だったら、ついてこなければよかった。美味しいラーメンを知っている男の子は、他にもいっぱいいるのよ」
「でも、食べてみなければ分からないだろう」
男の子は、前方に目をやって、あごをしゃくった。
「それに、みんなこうして並んでいるじゃないか。絶対に美味しいに決まっているよ」
女の子は、横目でじろりと彼を見た。
「良いことを教えて上げる」
彼女の口元には笑みが浮かんでいた。男の子は、ほっとしたような表情を浮かべて言った。
「なに?」
「浅はかな人間を見分ける方法」
とたんに男の子の顔が曇った。浅はかな人間の烙印が自分に押されることを悟ったらしい。
「みんなこうして並んでいる、って聞こえたんだけど」
女の子は、通りの向かいを指差した。そこには信号を待つ、大勢の人の姿があった。
「あの人たちは、みんなのうちには入らないの? みんなって、全員ってことじゃないの?」
言葉尻を捉えられた男の子は、何も言わずに俯いた
どこかで聞いたセリフだった。
テレビだったかな。映画だったかな。
僕は、真向かいのTSUTAYAの看板のあたりを見つめながら考えた。
二分ほどで、やっと思い出した。
マドンナが、Pに言った言葉だった。
思い出したが、ある疑問が生じた。
どうして、あんなドラマチックな場面を今まで忘れていたのだろう。
「みんなは、お前のことを、うるさいババアだと言っているぞ」
ババアのひと言で、教室は凍り付いたようになった。
それまでも、毎日のようにマドンナとPの舌戦は続いていたが、Pが、そんな品のない言葉を使ったことは一度もなかった。
後で聞いた話だが、僕以外の生徒も、講師のミスダツも、P自身も、これでマドンナの堪忍袋の緒が切れたと思ったらしい。
だが、全員の思いは、見事に裏切られた。
マドンナは、にやっと笑っただけだった。
「あら、そう」
落ち着いた声で言った彼女は、教室を見まわしてから続けた。
「みんなと言ったら、全員ってことじゃないのかしら?」
Pが偉かったのは、否定はしなかったことだ。
「もちろん、そうさ」
Pは当然というような口調で言った。
「みんなっていうのは、全世界の人間のことを言うんだ。うるさいババアで検索すれば、誰かさんの名前が出てくるんだ」
その日のPは、僕から見てもどうかしていた。どうしたんだ。やめろよ。と言いたかったが、口を挟めない空気があった。
マドンナは、冷静そうな目で、Pを見つめたままで質問した。
「つまり、私は、みんなから嫌われているってことなの?」
「俺には分からない」とPは即座に言った。「うるさいババアを、どう捉えるかは個人の感性の問題だからな」
教室に嫌な空気が漂い始めた。その日のPの言葉の中に、影像に関するものや、授業に関係のある言葉が一切含まれていなかったからだ。
「分かったわ、個人の感性なのね」
マドンナは、ため息のような息を吐いた。
「この際だから、言うわ」
それからもう一度、教室を見まわした。
「みんなにも聞いてもらいたいことがあるの」
彼女は、肩にかかった長い髪を片手で背中に回した。そして、たっぷり時間をとってから口を開いた。
「世の中には、物好きな人間もいるってことを忘れないでほしいの。こんな私のことが、大好きだという人間もいるのよ」
その言葉が終わらないうちに、ほとんどの生徒の視線は、一人の人物に向かい始めた。




