第2章 現場確認
南が運転する車両の助手席で、北木刑事がぽっかりと口を開けて、居眠りをしている。それを横目に南は、
(普段怖い先輩だけど、アラサー独身関西女。無防備な姿を見せられると、変な気を起こしちゃうよ。僕は年上には興味ないけどね)
井上奈美の住所に着いた。車を止めると同時に、北木は目を覚ました。
「着きました」
「うーん」
北木は欠伸しながら、目を細めて頷いた。
「あのマンション?」
「ええ、アパートって聞いてたんですけど、結構大きな建物ですね。古そうですけど」
「オートロックとか無さそうや。何階?」
「2階だそうです」
4階建てのその建物は古く、エレベータは設置されていないようだった。車通りもそれほど多くない前面道路に駐車して、二人は車を降りた。南が建物に入ろうとすると、
「まだやで。周辺を観察してからやん」
北木がそう呼び止めて、首で合図した。彼女は生活安全係に就いて5年目だった。捜査手法も堂に入っている。新人の南は現場捜査はまだ経験が浅く、今日は奈美の自宅に立ち寄ったくらいにしか、考えていなかった。
「南くん。あんた、2階のベランダに登れる?」
北木は建物のベランダを見上げてそう訊いた。
「ええ。人目を気にしなければ、余裕で登れそうです」
「そやんな」
「208号室なので、恐らくあの部屋じゃないかと・・・」
「角部屋やん。怪しー。横に外階段あるし、簡単に侵入できそうやん。1階の手摺りとかに、足跡とか無いか?」
北木は、1階の部屋のベランダに近づいて、よーく観察した。
「大丈夫そうやな」
それを南は棒立ちで見ていた。
「何してねん。こうやって下調べしてから訪ねんにゃで! 普通に女子の部屋に入れてもらうつもりで来たんか?」
「いえ。先輩・・・さすがですね」
二人は外階段を上り、208号室に向かった。その途中でも北木は、きょろきょろと何かないか探しているようだ。
「何かありますか?」
「分からへん」
奈美の部屋のドアに着いた。
「あんた、ピンポン押して」
「はい」
南は人差し指でインターホンのスイッチを押した。
ピンポーーン
「あぁ、ああ。指で押したら、あんたの指紋がつくやんか」
『はい?』
「あ、こんにちわ、井上さん。城西警察生活安全係の北木と申します。南刑事も一緒です」
ガチャガチャと鍵が開いた。少し開いたドアの隙間から、奈美が片目で外の様子をうかがってから、ドアチェーンを外した。
「急に何ですか?」
「すみません。何の連絡もせず、来てしまって」
南は咄嗟にそう謝った。
「調書を読んで気になったんで、現場確認のため来ました。お手間は取らせません。2~3確認させてください」
北木はニッコリ笑いながら、落ち着いた標準語で話した。
「台所を見せてもらうことできますか?」
「え? 今ですか?」
奈美は南を見た。
「あ、南は部屋には入りません。私だけで結構です」
「それなら・・・」
北木は奈美に招き入れられると、振り返り、
「あんたは外で待ってて、何も触らんといてや」
と言ってドアを閉めた。南は2歩後ずさりした後、もう一度近づいて、ドアに耳を当ててみた。
ゴン!
内側からドアを叩く音がした。
「見えてんで!」
北木がのぞき穴から見ていたようだった。
玄関の内側には一畳ほどのスペースがあるが、下駄箱はない。プラスチックの5段トレーに、靴が収納されている。その天板に置いた箱に鍵が入れてあった。北木はその中に自転車の鍵を見つけて、
「自転車で通勤されてるんですか?」
「はい、駅までは。そこからバスです」
そんな話をしながら、靴を揃えて脱いで、中へ進んだ。右の扉がトイレ、左側がダイニングルームである。キッチンの流し台の奥に窓があり、南が立っているのが摺りガラス越しに見えた。風呂はキッチンに隣接されているが、部屋の奥側なので、窓は無さそうである。
「お風呂が覗かれる心配はないですね」
「でも脱衣所が無いんで、台所の窓から透けて見えそうだし、電気消して気をつけてます」
北木は注意深く、部屋の様子を伺いながら、
「そうかそうか。じゃ、カップ麺があったのはどこですか?」
「この流し台の横です」
「お湯を沸かした形跡ってありました?」
「お湯はこのポットに沸かしたのが保温してあるんで、どれくらい入ってたかは分からないです」
北木は流しの周辺を、更に注意深く見渡して、
「お箸はいつもここに?」
流し台の横の水切りトレーに固定されてる、鉛筆立てのようなケースを指差した。
「はい。さっき、新しいの買ってきました」
奈美がそう言って、小さなダイニングテーブルの上に置かれた、未開封の箸を見せた。
「窓の鍵は、いつも掛けたままですよね」
「はい」
「たまに開けることとかありますか?」
「換気扇使うんで、ないです」
北木は天井近くの古い換気扇を見た。こんな壁に取り付けた古い換気扇は、使用時にスリットフィンが開いて、外から覗かれる可能性もあるが、摺りガラスに透ける位置なので、その心配は無さそうだ。そして窓枠に手をかけ、鍵を開けて奈美を見た。
「少し、窓開けますよ」
「あ、はい」
10センチほど窓を開けると、
「南くん。窓枠とかに、指の跡とか付いてない?」
「それ見てたんですけど、何も無さそうです」
「じゃ、鍵締めるから、外からガラス揺すってみて」
そう言って、再び窓を閉めて鍵をかけた。南はすぐ、窓をガタガタと強く揺すったり、叩いたりしてみた。しかし、当然鍵は開いたりしない。北木はそうしながら、流し台の隙間に箸が落ちてないかも、目で探っていた。そして、
「この中は?」
そう言うと、シンクの底の排水口ネットを開けた。すると、
「あれ?」
中に2本、細い箸が入っていた。
「ありましたよ」
「え?」
奈美は慌ててその中を覗き込んだ。そして真っ赤な顔になって、
「ホントだぁ。すみません。気づきませんでした」
「網の目が粗いから、すり抜けちゃったんですよ」
北木はわざと笑いながら、そう言った。
「すみません。本当にすみません」
「いえいえ。よかったですね。理由がわかって」
「じゃ、やっぱり自分で食べてたのかな?」
奈美は頭を何度も下げて謝っていたが、北木は微笑み続けた。
「でも、他にも気になることがあったんでしょ。それも確認していいですか?」
「はい、もう恥ずかしくて、自信なくなってきました」
「他の窓も見せてもらってもいい?」
「ええ、ちょっと散らかってますけど、どうぞ」
奈美はそう言うと、奥の部屋に続く引き戸を開けた。そこは10畳ほどのリビングで、その部屋の横に4畳半の和室があり、そこにはベッドが設置されている。
「1LDKですか。結構広いお部屋ですね」
「古い部屋だし、安いんで」
北木は、一通り窓を確認した後、
「リビングの窓は、鍵が開いてますね」
「あ、それはさっき洗濯物を取り込んだんで、開けたままにしていました」
北木はリビングのサッシの外のベランダに出た。そして手摺りを注意深く観察してから、身を乗り出し、上の階を見上げた。そして部屋に戻り、
「上からも侵入された形跡なし。特に変わったことはないですね」
「そうですか。やっぱり気のせいだったのかしら」
「窓の鍵、忘れないようにね」
署に戻る車の中で北木は、
「やっぱり、あの子の勘違いやん」
「話を聞いただけじゃ、本当かどうかなんて判らないもんですね」
「せやけど、結構細かいことまで、気ぃつけてる子やったしな」
「そんなの、どうして分かるんですか?」
「ドアの穴から、外の様子は良う見えてたんや。せやけどチェーンしたまま、ドア開けはったやろ。服脱ぐ時も電気消す言うてたし、めっちゃ注意深いやん。知らんけど」
「はあ、そういうところで判断できるんですか」
「単純に決めつけるのも良うないで。逆にサッシの鍵は開けっ放しやった。自分では気ぃつけてるつもりでも、抜けとるとこもあるみたいや。知らんけど」
「一週間くらい経ったら、その後変化ないか、確認電話でもしておきましょうか」
「そうやな。可愛い子やったしな(笑)」
「そ、そういうことじゃありませんよ」
「ははは、もし心配事が続いてるようやったら、向いに何かの事務所があったやろ。ガレージに監視カメラ付いてたし、そのカメラを確認するて、言うたったらええやん。人の出入りくらい撮れてそうやし」
「先輩さすがですね」
「こんなん基本やで」




