第1章 被害なし届
奈美は警察に相談に訪れる前日に、小学時代からの親友、川崎恵美莉に連れられて、アパートの管理会社を確認の為に訪れていた。引っ越して来て間もない頃から、部屋に誰かに侵入されてるんじゃないかって、気がしてならなかったので、恵美莉に相談していたのだった。
「今、鍵をお持ちですか?」
対応した窓口の持田が奈美に訊いた。
「はい。これです」
持田という女性は、奈美が部屋を探していた時の担当者だった。彼女の誠実な対応もあって、その部屋に決めたというのもあった。持田は鍵を受け取ると、じっと目を凝らしてその先端を見た。
「このキー、新しいですね」
「鍵は新品に交換されてるんですよね?」
言葉少なな奈美の代わりに、恵美莉が訊いた。
「そうです」
「ドアの鍵ごと交換されるんですよね?」
更に恵美莉が念を押して訊いた。
「はい。一応確認してみますけど、全アパートの入居者が変わる度に、新しい鍵に付け替えてる筈なんですよ」
そう言うと彼女は、鍵を持って事務所の奥の部屋に入っていった。恵美莉は奈美に、安心するように、目配せをして頷いた。
暫くすると持田が封筒を持って戻ってきた。
「お待たせしてすみません。今、鍵の番号を調べてみたんですけど、入居頂いた3日前に業者が鍵の交換を完了していました。これがその時の『作業報告書兼納品書』です」
まず恵美莉が、封筒から出された書類の内容を確認した。奈美もそれに目を向けたが、混乱していて、内容までは確認する余裕はなかった。
「じゃ、前の住人が入ってくることはないんですね」
と恵美莉が尋ねた。
「前にお住まいだったのは、80歳くらいのおばあちゃんでしたよ」
と持田が言うと、
「そのおばあちゃん、部屋で亡くなったとか?」
奈美は別の心配でそう訊いた。
「そうじゃないですよ。確か老人ホームに入居されたんでしたよ」
「なんだ・・・」
南刑事はその話を真剣に聞いていた。また単に彼女の思い込みなんじゃないかと、注意深く確認しながら。
「それで、鍵は交換済みだって話で、一応安心はしたんですけど。でも昨夜、カップ麺が食べた状態、つまり空っぽで台所に置いてあったんです」
「それには、思い当たるところが無いんですね?」
「はい、昨夜は親友と飲んできて、かなり酔っ払った状態だったんで、もしかしたら、自分で食べたのかも知れないと思ったけど」
奈美は話すのをやめて少し考えた。
「・・・思ったけど?」
「そう思ったんですけど、変なんです。お箸が見当たらないんで」
「お箸って割り箸? それとも普通の塗り箸ってこと?」
「プラスチックだったと思います」
「あ、プラスチックの・・・いつも使ってるやつ?」
「はい、無いんです。ゴミ箱にもどこにも」
「侵入者が持って帰った?」
彼女は『さあ?』て感じで首を傾げたが、その顔が可愛い。
南は不謹慎と思いながらも、少し楽しんで聞いていた。この事案を担当したいとも考えた。
「じゃ、お金とか、そんなのは盗まれてない?」
「多分大丈夫です」
「お金以外は? 例えば下着とか」
彼女は、眉をひそめて南を見た。
「ああ、よくあるんですよ。下着の侵入盗。だから、もしかして? と思って」
南は少し気まずく、早口で言った。
「私もそれ心配して確認したんですけど、盗まれてはないです」
「物色された形跡は?」
「それも無かったです。多分」
「じゃ、他に特に気になるようなことは、何かありました?」
「・・・こういう相談って多いんですか?」
「え?なんで?」
「刑事さん、またかって感じで聞いてらっしゃるから」
南はドキッとして、背筋を伸ばして座り直した。
「そんなことないですよ。部屋に侵入されるって、あまりない事案です」
「でも今、下着の侵入盗はよくあるって」
「え、ああ、その場合は、窓ガラスが割られてたり、物干しから盗られることがほとんどで、カップ麺が食べられるなんてケースは初めてです」
「じゃ、調べてもらえますか?」
南はまた、ハッと気がついたように。
「では、ストーカーで思い当たる相手について、教えてもらえますか?」
「・・・考えたら気になる人はいますけど、どうなんだろ?」
「うん。調書書かなきゃ。何歳ですか?」
「20歳です」
「会社員さん?」
「いえ、郵便局で働いてます」
「そう。どこの?」
「中央郵便局です」
「アパートの住所、書いてもらえます?」
奈美は少し戸惑いながら、ペンを持った。その様子を見ながら南は、
「住所書くの不安でしょ」
「はい」
「こんな状況じゃ仕方ないですよね。でもこれは悪用したりしませんから、安心して下さい」
「はぃ・・・」
「個人情報って大事なんですよね。僕はあまり実感したことないけど、ここに相談に来られる方は、皆さんそう思ってられますよ」
「そうですね。住所知られただけで、急に警戒してしまいます」
「え? 僕をですか?」
奈美は書く手を止めて、南を見た。
「刑事さん。何歳ですか?」
「・・・23ですけど」
「ふうん。なんか警察に相談しても、門前払い食らうのかと思ってたら、ちゃんと対応してくださるから、ちょっとホッとしてます」
(それは相手によりけりだけど・・・)「毎日不安でしょうから、仕方ありませんね。そんな市民に寄り添うのが、警察官の仕事です」
「ふふふ。面白い刑事さん」
その日の夕方、南は上司の東出警部補に、奈美の事案を報告した。先輩の女性刑事の北木も、その様子を見ている。捜査に出ていた東出は、汗を拭きながらその調書を受け取り、
「また勘違いじゃないのか? 具体的な被害があるわけでも無さそうだし」
「でも、カップ麺が食べてあったのは、どう考えても不自然だと思うんです」
「酔っぱらってて覚えてないんやろ? 知らんけど」
隣のデスクから、北木刑事が口を挿んだ。
「被害妄想か何かかも知れないと思ったんですけど、お箸だけ盗まれたみたいで」
「変な窃盗犯だな。それこそ信じられん話だ」
北木は東出の持つ調書をのぞき込み、
「20歳か。一人暮らしで不安なんやろけど、この子可愛かったん?」
「はい。・・・え? いや、別にそんな。特にどうとか・・・」
「何慌ててんねん。可愛いかったら被害にも遭い易いさかい、訊いてんにゃろが、アホ」
「北木、一度自宅訪問して、確認してきてくれるか?」
「そうですね。一度見舞ってやったら、安心して収まりそうですね」
北木刑事は調書を受け取ってバッグに押し込み、部屋を出ようと歩き出した。その様子を南刑事は、呆気にとられた様子で見送っていると、東出が南を指差して、
「お前も行け」
「早よおいでや!」
北木が廊下で叫んだ。




