あなたがすき、だから……。
「それでは、ごきげんよう。どうぞ良い夜をお過ごし下さいませね」
言うだけ言ったといったふうに、エーデルローゼは満足げなお顔をして他の集団の方へと歩いて行った。
残されたあたしといえば……。
きっと、お顔が真っ青になっていたと思う。
血の気が引く感覚。
倒れそうで、でも、倒れちゃダメだって、そう意識をなんとか留めて。
(どこか、座るところを……)
周囲を見渡すと、壁際に休憩用の椅子が並べてある。
(あそこまで、なんとか……)
歩いて行こう。そう、頑張って一歩踏み出した時だった。
(あ――)
足がもつれて、スカート裾にひっかかる。
ああ、もうだめだ。
あたしはここで倒れてしまうんだ。
そう諦めた、ときだった。
「マオ。大丈夫かい」
あたしを優しく抱き止めてくれたのは、アンソニー兄様だった。
「兄様……。どうして……」
子供の頃とちがって、すらっと背が高くなった兄様。
もう子供じゃない。子供の頃のように無邪気にただ好きではいられない。
だから、一度は諦めようと思った。ほんとうの兄妹じゃないってわかって、諦めなくてもいいんだってそう一度はおもったけれど、でも、それでも――
「今、来たんだ。会場に入ってすぐマオがわかったよ。そしたらマオ、真っ青な顔をして今にも倒れそうだったから、ちょっと焦った」
いつもの笑顔で、そうおっしゃる兄様。
ごめんなさい、兄様。
優しい兄様。
大好きな、兄様。
でも、だから――
「大丈夫か、レディマオ!」
駆けつけてきたのはクリストファ殿下。
「なんだ、アンソニー、来たのか?」
殿下はすぐ兄様に気付き、すこし剣呑なお声を口に出す。
「ああ。マオは殿下には渡せない。から」
「ふん。侯爵とは話したのか?」
「いや、これからだ。父様の気持ちを考えたら裏切りにも等しいこの考えを伝えるのは本当に迷ったけれど。でも、僕は侯爵の地位なんかよりもマオが大事だから」
え?
「君は侯爵との養子縁組を解消するのかい?」
「そうだ。そうしないとスタートラインにも立てないことに気づかせてくれたのは、クリストファだろ?」
「まあ、そうだな。例え養子とはいえ、貴族法では兄妹の婚姻は認められていない。養子縁組を解消して従兄妹に戻れば別だけれど」
ああ、やっぱり……。
「しかし、本当にいいのか? 君が養子縁組を解消したからといって、マオが必ず君のものになるとは限らないぞ?」
「そんなことは問題じゃないんだ、だってこのままじゃ、クリストファと競うことさえできないんだから」
ああ、ダメ。
兄様が養子縁組を解消するって、そんなの……。
兄様は本来の侯爵家直系。
お父様はだからこそ自分を犠牲にしてでも兄さんに侯爵を継がせたがったんだもの。
だめだ。
あたしは兄様が好き。
だからこそ、兄様にそんなこと、させちゃいけない。
「レディマオ? 話は聞いていたかい? 私は君を妃に迎えたいと思う。これは本気だ。そしてきっと、それが一番君たちにとっても良い方法のはずだと確信している」
手を伸ばすクリストファ殿下。
この手を取れば、兄様がお父様と縁組解消する理由もなくなり、兄様は侯爵家を継ぐだろう。
その夫人として、エーデルローゼが隣で微笑んでいる姿が、見える――
ううん、だめだ。
あたしには、選べない。
だから――
あたしが居なくなったらいい。
兄様の幸せのために、きっとあたしが居なくなるのが一番いい、方法だから……。
あたしは心の奥底に手を伸ばす。
そして。
世界が反転した。




