防壁編
なめちゃんと二人で玄関をくぐると、やはり変わらず一面の花畑が続いていました。違うのは後ろを振り返ると巨大な殻があるということです。内装はなめちゃんの家そっくりだったのに、外装はこの前まで背負っていた殻をさらに大きくしたものなのが不思議でした。
「どこか行ってみたい場所ある? ぼくが探した限りでは花畑しかなかったんだ」
「こっちにいってみようよ」
なめちゃんは角で方角を示しました。ついさっき二匹が通った殻の出口の向きです。
「そっか、今は殻があるから目印にすれば迷わないんだ」
カタツムリくんとなめちゃんは並んで進みます。飽きるほど見た花畑でしたが、なめちゃんが隣にいてくれるだけで心が踊ります。
とはいえ、やはり同じ花畑です。何か目立つものがあればそれを話題に話が盛り上がったかもしれませんが、代り映えのない景色に二匹とも口数が減りペースも落ちて最後には立ち止まってしまいました。
後ろを振り返ると、殻が砂粒みたいに小さく見えます。これ以上進めば帰れるかわかりません。
「本当に何にもないんだねここ」
「うん。何にもないところでずっと耐えなきゃいけないのが試練なのかもしれない」
「……」
なめちゃんは試練について隠し通すつもりのようでした。
試練が何であれ、対策しないわけにはいけません。最も恐ろしいのは、試練でなめちゃんが危険な目に合うことです。どうやら、試練の内容を知っているようなので大丈夫なのかもしれませんが、なめちゃんは危険を顧みず光の中に飛び込むほどの度胸の持ち主です。
なめちゃん自身に危害が及ぶことを承知でついてきてくれた可能性も十分に考えられます。
そうなると、問題は二匹の安全を確保できるかが鍵になりそうです。どうすればなめちゃんを守れるか、カタツムリくんは考えます。
「壁、かな」
「壁がどうかしたの?」
「いや、家の周りを壁で囲んでしまえば外敵から身を守れるかなーって思ったんだけど……」
「壁って、どうやって作るの?」
最もな疑問でした。
「何か道具があれば」
「うちに戻れば小さめのスコップならあるよ」
スコップで地面を掘って壁を作るなんて100年かかっても無理だろうなと思いましたが、見飽きた花畑しかない風景を別の色で染めてみたいという欲求を覚えました。
目を閉じて、先端は鋭利で赤い塗装で覆われたスコップをイメージします。なめちゃんはそんなスコップを学校の授業か何かで持ってきていたはずです。
「カタツムリくん! 今目の前にスコップが出てきたよっ」
「本当だ」
なぜか、と問われたら答えることはできませんが、漠然と想像したら出るんじゃないかという予感がありました。
イメージ通りの赤いスコップが地面に落ちています。何の変哲もないスコップでしたが、花畑しかない場所では世界にただ一つだけの存在感を放っていました。
元々ここに置いてあったものではありません。
もしかして、とカタツムリくんは考えました。スコップ以外の物も、イメージで出現させることができるのでは、と。
「なめちゃん、何か欲しいもの言ってみてよ。もしかしたら、出せるかもしれない」
「リボン」
「リボン?」
カタツムリくんは今気がつきました。いつもなめちゃんが頭の上に乗せているリボンがないことを。
「なめちゃん、リボンどうしたの?」
「光に飛び込んだ時に落としちゃったの。ごめんね」
「いや、なめちゃんが謝ることじゃないよ」
失くしてしまったのなら、今からイメージで出してしまえばいいので好都合です。スコップと違って、なめちゃんのリボンは学校がある日は必ず見ています。形も色も鮮明に――
「あれ?」
「どうしたの?」
「なめちゃんのリボン、どんな形だったっけ?」
「どんなって言われても、シンプルな青のリボンだよ」
それはカタツムリくんも知っています。なめちゃんがこれを見ると勇気が湧いてくるんだと言っていたリボンです。おぼろげな形は分かるのですが、詳細を思い出すことができません。どのぐらい濃い青色だったのか、結び目はどうだったのか。毎日見ているはずなのに、靄がかかったように姿を捉えられませんでした。
「ごめん、リボン出せなかった」
「いいって。ここから帰られたらリボン見つけられると思うから」
なめちゃんの顔は歪んでいました。嬉しそうでもあり、悲しそうでもある不思議な表情でした。
残念ながらリボンは出せませんでした。スコップを出せたのはたまたま上手くいっただけなのでしょうか。他の物も出せるか試してみたいところです。そもそも、スコップで穴を掘って壁を作るなんてまどろっこしいことはせずに最初から巨大な壁をイメージすればよかったかもしれません。
カタツムリくんは、目を閉じて長方形の巨大な板のような壁を想像しました。
なめちゃんの歓声が聞こえます。目を開くと、イメージ通りの巨大な壁がそびえ立っています。
「すごい、こんなことできるなんて」
「これを敷き詰めて行けば、外敵の侵入を防げるね」
カタツムリくんは生み出せるのがスコップだけではないことに安心しました。想像すれば大抵の物を創り出すことができそうです。なめちゃんを守るのに役立つ力に違いありません。
「わたしもやってみるね」
なめちゃんは目を閉じてうなり始めました。角がせわしなく動いています。
目を開いても、新たな物体は何も出てきませんでした。
「わたしも壁増やせると思ったのに。ねえ、ここから家の周りを全部囲うつもりなの?」
「時間に余裕があるみたいだしそうするよ。慣れればペースももっと上げられると思うし」
「じゃあ、わたし一回家まで戻ってお弁当作って持ってくるね」
「待って」
戻ろうとするなめちゃんを呼び止めて、ここから見える砂粒みたいな殻が近くに移動する様をイメージしました。
「えっ」
なめちゃんの後ろには出発する前に二匹が入っていたはずの殻がありました。
「なんとなくできるような気がしてたけど、すごい能力だ。こんなの貰って大丈夫なのかな」
「なんでもできちゃいそうだね。逆にできないこととかあるのかな」
「さすがに何かデメリットがあると思う。それか試練の敵がとんでもなく強い相手かも。壁作りながらいろいろ試してくるよ」
「わたし何もできなくてごめんね」
「しょうがないよ、この力貰ったのぼくだけみたいだから。能力を駆使して試練を乗り越えろっていうメッセージだろうね。じゃあ、行ってくるよ」
カタツムリくんは移動して次の壁に取り掛かります。二枚目は一枚目より早く完成させることができました。続いて、三枚目、四枚目と数をこなします。壁を作るごとに進みながら移動するのが面倒になって、カタツムリくんは自分の体を瞬間移動させることを思いつきました。
それからは一気にペースが上がり、まるで波が進むかのように壁が生えていきました。数百枚作ったところで、カタツムリくんは止まります。
思うようにいかなくなってきました。イメージするだけとはいえ、壁以外のことを考えないというのは難しいものです。枚数を重ねれば重ねるほど雑念が入り混じり、余計なものを生み出してしまったり、強度不足になったりします。
少し休憩しようと、なめちゃんのいる場所へと瞬間移動しました。なめちゃんはシーツを敷いて真ん中にバスケットを置いています。
「おかえり、カタツムリくん」
「ただいま、なめちゃん」
「サンドイッチ作ったよ、一緒に食べよ」
カタツムリくんはシーツに座って、バスケットの中に並んだサンドイッチを眺めます。整頓された本棚のように並べられたそれらは誰かに取られるのを待っているかのようでした。ただ、出発前に食べたクッキーと紅茶と同様に何かが欠けているように思えました。
「うん、美味しそうだね。いただきます」
「いただきます」
見た目を裏切らない美味しさでした。そして、欠けているものの正体に気づきます。
「空腹がないんだ」
「カタツムリくん、お腹すいてないの?」
「おかしなことにね。長い間ここにいるはずなのに全くお腹も空いてないし、眠くもない。なめちゃんはどう?」
ご飯を食べるのは、ただ美味しいからという理由もありますが普通はお腹が空くから食べるのです。睡眠に関しても眠くなるから眠るのであって、寝たいから寝るわけではありません。
しかし、今はサンドイッチを食べるために食べていました。もちろんなめちゃんと一緒に食事をしたい気持ちはあるのですが、決して空腹から食べたわけではありませんでした。空腹や眠気があるからそこ、“食べたい”“寝たい”となるはずなのですが、そういった欲求の根幹が消えていると感じました。
「わたしはお腹ペコペコだよ」
「眠くはない?」
「ちょっと眠い」
「じゃあ、休憩してて。今のを食べ終わったらぼくはまた壁に取り掛かるから」
「もう行っちゃうの?」
「うん。いつ、何が起こるかわからないからね。早く完成できるように頑張るよ」
「わたしだけ手伝えないのは申し訳ないなあ」
なめちゃんは少しだけ考えて、
「そうだ、壁が完成したらご褒美あげるね」
と言いました。
「ご褒美?」
「うん、楽しみにしててね」
それからカタツムリくんは、長い長い壁作りに取り掛かりました。
食事や睡眠を一切とらずに同じ壁をイメージし続けます。空腹も眠気もないので問題ありません。とはいえ、食べようと思えば食べられたし、寝ようと思えば寝ることはできました。
イメージの邪魔になる雑念が多くなれば一時中断し、休憩がてらなめちゃんと話してまた壁作りを再開します。
そうするうちに、景色が変わりました。いつのまにやら、花畑しかない世界から、草木が生い茂り昆虫の鳴き声や他の生き物まで現れたのです。最初はついに試練が来たのかと思って焦ったのですが、季節が変わったようでした。敵意を向ける生物もいなかったので問題ではりませんでした。
季節が変わってもカタツムリくんは、同じ壁を作り続けます。今度は秋になりました。夏の緑から秋の赤へ景色が変わりましたが、相変わらず同じ壁を作り続けます。
ようやく終わりが見えてきました。あと3分の1ほどで壁の囲いが完成します。今までの工程を眺めて感慨に浸ります。まるで動物の歯のようにびっしりと壁が敷き詰められていました。
あともう一息です。カタツムリくんは最後まで気を抜かずに頑張ろうと気合を入れます。
季節は冬になりました。辺り一面雪化粧で、程よくひんやりとした雪が降っています。完成は近いです。またあの花畑の風景になる前に目標を達成できるでしょう。
カタツムリくんは最後の作業に取り掛かります。
「あともう少しだね」
「そうだね」
なめちゃんと、二匹で壁を眺めます。最初に作った壁と、最後に作った壁はもう目前まで近づいていました。
カタツムリくんは作るペースを落とします。
とうとう、隙間は最後の一つになりました。
「いくよ」
カタツムリくんはまるで巨大なジグソーパズルの最後の一ピースを埋めるかのような気持ちでゆっくりと壁を生み出しました。
完璧です。一枚一枚すべての壁が無駄なく埋まり、二人だけの空間を囲んでいます。
「カタツムリくんっ」
「なめちゃん」
二匹は抱きついて完成を喜び合いました。
「ありがとう、なめちゃんのおかげで完成できたよ」
「ううん、カタツムリくんが頑張ったからだよ」
お互いに見つめ合います。カタツムリくんは今の状況を認識して恥ずかしくなりました。急いで離れようとします。
「だめ、動かないで。約束でしょ」
なめちゃんは、逃げようとするカタツムリくんをぎゅっと抱きしめました。
「約束って」
「約束。壁が完成したらご褒美って。ほら、目を閉じて」
カタツムリくんは言われた通りに目を閉じました。なめちゃんの口が、カタツムリくんの口にそっと押し当てられます。
初めてのキスは、甘く幻想的な味がしました。




