蝸牛編
「もどったぜ」
「はやっ」
つのっちくんは勇ましく“行ってくる”と告げてから、ほぼ同時に帰還を告げました。
「そうか? 30分以上は探し回ったぞ」
「探すのめんどくさくて、でたらめ言ってるんでしょ!」
「嘘じゃねえ」
「じゃあ、カタツムリくんはどこなの?」
カタツムリくんはどこにもいませんでした。もしもつのっちくんの話が本当で、助け出せたのならここにいるはずです。それとも、早朝にカタツムリくんを近くの木の裏に移動させたので、そっちに行けば元に戻っているのでしょうか。
「カタツムリのやつ、いなかったな」
「いなかった……?」
「いや、いるのかもしんねえけど、壁に阻まれて中に入れなかった」
「壁を乗り越えたり、壊したりはできないの?」
「素手じゃ無理だな。道具があれば何とかなるかもしんねえが」
予鈴が鳴りました。
あと5分すれば20分休憩も終わりです。
「つのっちくんは先に教室にもどってて、わたしはちょっとやることがあるから」
「次は昼休みにここ集合でいいか?」
「うん、お願い」
つのっちくんの姿が消えるのを確認して、今朝カタツムリくんを隠した場所を見に行きます。
葉っぱをどかすと、やはり変化はありませんでした。
「絶対助けるからね」
そう告げて、なめちゃんも教室へと向かいました。
◆◆
教室の扉をくぐると、話声で満ちていた教室が、一瞬のうちに静まり返りました。
なめちゃんをクラス中が見つめています。
なにかやらかしてしまったのでしょうか。思い当たる節がなめちゃんにはありませんでした。
「何なの一体?」
よく分からず前の席のくーちゃんに聞こうとした瞬間、拍手と歓声が湧きました。
「おめでとう!」
「付き合うことになったってマジか!?」
「しかも、なめちゃんから告白したらしいぜ」
「つのっちのやろう羨ましいなあ」
とんでもないデマが広まっていました。
「本当なの、なめちゃん?」
くーちゃんは尋ねます。
「違うよ、まだ付き合うって決まったわけじゃ……」
言いかけて、止まりました。確かに、まだつのっちくんとは何の関係もありませんが、つのっちくんと付き合わないということは、それはカタツムリくんが助からなかった、ということなのです。
「ちょっと、こっちきて」
にやにやと笑っているつのっちくんを教室から連れ出します。
「おいおい、そんなに照れなくてもいいだろ? 俺とお前は両思いで、付き合ってるのは周知の事実なんだぜ」
全くの嘘が、周知の事実になってしまったのはつのっちくんのせいなのに、いったい何を言っているのか、なめちゃんは憤慨します。
「これはどういうことなの? 約束が違うじゃない。付き合うのはカタツムリくんを助け出せたらって話だったでしょ」
「おい、彼氏の前で他の男の話をするなよ」
「はあ? だからまだ付き合っても何でもないでしょ」
「……」
つのっちくんは遠い目をして、無言になりました。どこか上の空で、こちらを全く見ていません。
「ねえ、聞いてるの?」
「ってあれ、今おれ何してたんだっけ」
目に焦点が合わず、彫像のように固まっていたつのっちくんに、生気が宿りました。
「だから、わたしとまだ付き合ってないって話よ」
「そりゃそうだろ。先にカタツムリの野郎をぶん殴らなきゃいけないんだからよ」
もうわけがわかりません。言っていることがさっきと逆です。
「つのっちくん、もしかして気分でも悪いの?」
「ん? ああ、どうも背中が重くてな。この殻に慣れるには結構時間かかりそうだわ」
つのっちくんの背中を見ましたが、やはりそこには何もありませんでした。
嫌な予感がします。
カタツムリくんの時も、殻が重い重いと言い出してから言動が不安定になっていたからです。
「もう授業はじまりますよ」
授業のために先生が戻ってきました。
「すみません。先生、つのっちくんが体調悪いみたいなので保健室に連れて行ってもいいですか」
「え、そうなの、つのっちくん?」
「これぐらい大したことじゃ――」
先生はつのっちくんに顔を近づけます。
「たしかに顔色悪いわね。最近、悪い風邪が流行ってるっていうし、念のため保健室に行っておいたほうがいいわ。それじゃあ、なめちゃんお願いね」
「はい。つのっちくん、行くよ」
なめちゃんは、つのっちくんを連れて保健室へと向かいました。
◆◆
「どこにも異常はなさそうだけどね。大事を取って、ベッドで休んだほうがいいかもね」
穏やかな笑みを浮かべて保健室の先生は言いました。
「あの、先生に聞きたいことがあるんですがいいですか」
なめちゃんは、先生に質問します。
「もちろん。なんでもきいて」
「見えない殻が、背中にくっついて離れなくなるって病気はありますか?」
ベッドで横になっているつのっちくんがぴくりと動きました。
「うーん、知らないなあ」
「そうですか……」
「昔のなめくじには殻があったっていう話なら聞いたことあるけどね」
「本当ですか? どうして今のなめくじには殻がないんでしょうか」
「進化の過程で失われてしまったらしいよ。重い殻を背負ったままだと動きが鈍くなるから」
「重いだけじゃないくて、殻には意味があるんですよね」
「もちろん。外の攻撃から身を守ることができる。防御力は抜群で並大抵の攻撃じゃあ通じない」
「とても頑丈そうです。殻を失ったのが不思議なぐらい」
「先生も最初に話を聞いたときはそう思ったよ。動きは遅くなるかもしれないけど、上回るメリットがあるんじゃないかって」
「でも、そうじゃなかったから殻を持っていたなめくじは淘汰されたわけですよね」
「逆だよ。殻のメリットが大きすぎたから消えざるを得なかったんだ」
「メリットが大きいのはいいことじゃないんですか」
「殻の中はね、居心地が良すぎたんだ」
「居心地がいい?」
「うん。とってもいい夢が見られたらしい。何でも願いが叶って二度とそこから出たくなくなるぐらいに。だから、不都合な現実に適応できなくなった」
「悲しいですね」
「うん。でもね、先生は思うんだ。夢があるからこそ現実を強く生きれるんじゃないかってね。なめくじは殻を捨てて、夢を描くのはやめて現実だけを真っ直ぐ見つめることができるようになったけど、大事なものを失ってしまったような気がしてならないんだ」
「わたしはそうは思えません。夢は夢でしかないです。偽物じゃないですか」
「きっと、きみの方が正しいんだろうね。こうして生き残っているのは殻を捨てたなめくじだけなんだから」
正しいと肯定されたはずなのに、うまくはぐらかされたように気持ちになりました。
「殻を身に着けたなめくじはもうどこにもいないんですか?」
「今でも殻の世界に閉じこもって、どこかで暮らしてるって噂だよ。誰も見ていないそうだから、本当のところはわからないけどね」
穏やかでとても話しやすい先生だとなめちゃんは思いましたが、話す言葉はどうしても腑に落ちませんでした。
「お話ありがとうございました。授業に戻ります」
「こちらこそありがとう。またいつでもきてね」
「はい」
話を終えて、今度はつのっちくんに声をかけます。
「つのっちくん、またあとで迎えに行くからね。昼休みまでには体調戻してね」
なめちゃんは保健室を後にしました。
◆◆
教室へ入り席に座ります。
さすがに先生が教室にいる状態だと、熱狂的な盛り上がりからはある程度は静まっていていましたが、授業中もひそひそと噂話が聞こえてきました。
内容はもちろん、なめちゃんとつのっちくんのことです。
広まった噂は尾ひれがついて、もう結婚をする予定だとか、じつは親同士が結婚を決めただとか、昨日キスするところを目撃したとか、滅茶苦茶なことになっていました。
辟易としてしまいます。
これから殻の中にあるという壁を乗り越える手段を考えなければならないのに、こんなしょうもないことに頭を悩ませることになるとは思っていませんでした。
結局、壁をどうにかする手段も、授業も全く頭に入らず昼休みの時間を迎えることになりました。最後までつのっちくんは教室に戻ってこなかったので迎えに行かなければなりません。ノックをして本日二度目の保健室の扉をくぐります。
つのっちくんがいたはずベッドは空でした。
「また会ったね」
「先生、つのっちくんはどこですか」
「彼ならさっき出て行ったよ」
「どこに行ったか知りませんか」
「体調も良くなったみたいだし、昼休みだから外で遊んでいるんじゃないかな」
なめちゃんはお礼も言わずに保健室を飛び出しました。きっと、一人で光の場所に向かったに違いありません。
全速力で東校舎へ急ぎます。息も絶え絶えで光に入ると、そこにつのっちくんが倒れていました。
「つのっちくん!」
なめちゃんは、つのっちくんの体を揺らします。
返事はありませんでした。
『懲りずによく来るわねぇ』
「のぞみ! カタツムリくんだけじゃなくてつのっちくんにもこんなことするなんて」
『私が進んで酷いことしてるみたいに言っているけど、彼らが望んだから試練を受けさせているだけよ。受けたくないのなら最初から拒否すればいい』
「つのっちくん……」
なめちゃんは横たわるつのっちくんを目の前にして後悔しました。つのっちくんまでのぞみの餌食になるとは思っていませんでした。巻き込んでしまったからにはつのっちくんのこともどうにかしなければなりません。
『それよりもカタツムリくんの方が大事なんじゃない?』
「カタツムリくんがどうかしたの」
『彼、もう死んでるわよ』




