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試練編

 真っ暗な殻をくぐりぬけると、一面色とりどりの花畑でした。爽やかな風が通り抜けて、フローラルな香りに包まれます。


 ここが殻の中だという事実は受け入れがたいものでした。無限に広がる空間に敷き詰められた草花の絨毯――


 試練と聞いて、凶暴な生物、危険な岸壁、不思議な遺跡などをぼんやりと想像していたのに拍子抜けしてしまいます。


 これからどうすればいいのでしょうか。


 進めば何か見つかるかもしれませんが、進むべき方向の目印が全くありません。空は青く澄んでいるのに太陽がありません。それなのに、十分すぎるほど明るさに保たれており、肌を焦がすような痛みもありませんでした。草花は美しいですがどこを見ても同じに見えます。


 カタツムリくんは、今正面を向いている方へまっすぐ進むことにしました。


 なめくじらしいのっそりとしたペースで進んでいきます。風景もまた同じペースで流れていきますが、変化がありません。後ろに流れる景色も同じ、前に向かって見える景色も同じ。


 カタツムリくんは何時間も進み続けましたがついに止まりました。

 ここにはカタツムリくん以外は何もありませんでした。


 戦うべき敵もなく、乗り越えるべき障害も、解くべき謎もない。何をすればいいのか途方に暮れてしまいました。


 誰かがいたり、誰もいなくてもせめて建物であったりすればいいのですが見当たりません。ひょっとすると、からかわれているだけで誰か隠れているのではないでしょうか。


「おーい、誰か、誰かいませんかー」

 精一杯叫びます。


 数秒経過しましたが、こだまさえなく、声は彼方へと消えていきました。


 カタツムリくんはどうしていいかわからず、地面に横になりました。移動するのはいったんやめて、考えを整理したほうがいいかもしれません。


 そもそも、この試練はどうやって始まったのか。


 そう、確か目を閉じて開いたらそこには――


 殻が、ありました。


 無限に続く草花の中、圧倒的な存在感を示されカタツムリくんの体は硬直します。ゆっくり体を起こして、警戒しつつ殻の中を覗き込みました。暗くて何も見えませんが、きっとこの中に倒すべき敵がいるに違いありません。


 カタツムリくんは試練打倒に向けて、準備運動を始めます。体を上にぐっと伸ばし、次にふにゃりとねじり、角を左右にぷるぷると揺らします。


 完全に臨戦態勢へ移行しました。


 カタツムリくんは喧嘩は苦手でしたが、それでも相手の不意を突けば倒せるかもしれないと考えました。こちらから殻の内側を見れないのなら、敵もこちらを見えないと考えるのが自然です。


 先手必勝。一撃必殺。


 敵が出てくる前に先に仕留める。ここでびびったらだめだ。自分を変えるつもりで試練を受けたんだから――


 カタツムリくんは、後ろへ下がり助走をつけ自身が大砲から打ち出される球になったつもりで殻に向かって突撃をしかけました。


「うりゃあああああああ」


 打ちだされた球は正確に殻の内部へと侵入します。


 手ごたえあり。


 頭に受けた感触で初撃の成功を感じました。そのまま相手はカタツムリくんの勢いに押されて倒れます。

 ここで最後のダメ押しを―― 


 追撃をしかけようとしたとき、体が干からびたみたいに固まりました。


「なめちゃん!?」

「カタツムリくん!?」


 お互いの顔を見て同時に叫び声をあげます。

 カタツムリくんはなぜなめちゃんがここにいるかわからず混乱し、状況を把握しようとしました。


 どうやらここは家の中のようです。なめちゃんの家の内装ととても似ています。なめちゃんの家のリビングと思わしき場所で、どこからどう見てもカタツムリくんがなめちゃんを押し倒していました。


「あわわわ」

 焦りと羞恥心とが入れ混ざり、ますます頭が混乱します。


 体をどけようとずらした瞬間、なめちゃんのお腹でつるりと滑り、音を立てて右隣の床にたたきつけられました。


「大丈夫?」


「ど、どうしてなめちゃんがここに?」

 カタツムリくんはすぐに体を起こして尋ねます。


「ひとりぼっちで寂しそうだったから来ちゃった」 


「ええええ?」

 そういえばと、カタツムリくんは記憶を辿ります。試練を受ける前に、なめちゃんが呼び止める声があったことを。


「もしかして、放課後ぼくの後をつけてたの?」


 なめちゃんは頷きました。


「ダメだよ。あんな危険なところに来たら! 今からでも遅くないから早く戻って」


「戻るって、どうやって?」


 言われて口をつぐみました。殻に入ったはいいものの、いったいどうやって戻ればいいのでしょう。


「はい」

 なめちゃんはそう言って、触覚を震えさせると、その先に真っ黒な穴が空きました。


「え」


「この中に入ったら戻れるよ」


「どうしてなめちゃんが、そんなことできるの?」


「なんで私ができるのか、わからない? 本当は分かっているんじゃないの?」

 カタツムリくんの瞳を真っ直ぐ見つめてそう言いました。


 そんなことを言われても知るはずがありません。


「私がこんなことを言えるってことはチャンスはまだあるってことだから、今のうちに言っておくね。今からでもいいからこの穴に入って、元の世界に戻らない?」


「それは無理だよ。ぼくはまだ試練を終えてない。試練をクリアできるまでは帰れない」


「どうでもいいじゃない試練なんて。さあ、この穴に入って、現実に帰ろうよ。今ならまだ簡単に戻れるから」


「ここまで来て帰るなんてできないよ。なめちゃん、来てくれたのは嬉しい。でもこれはぼくの試練なんだ。ぼく一人で乗り越えなきゃダメなんだよ。だから帰って、待っていて欲しい」


「わたしが帰ったら試練はいつまでも始まらないよ」


「なめちゃんがいないと始まらないって、どういうこと?」


「今はまだ言えない。それも試練の内だから」


「なめちゃんが何で試練のこと――って何してるの?」


 なめちゃんはカタツムリくんの質問から逃げるように、キッチンの方へ向かっていきました。


「紅茶入れてあげる。クッキーも焼くね。カタツムリくんはテーブルで座って待ってて」

 そう言うと、カチャカチャと陶器が接触する音が響きます。少しして、紅茶とクッキーの焼けるのいい香りが漂ってきました。


「はい、どうぞ」


 目の前に、大量に積まれたクッキーと紅茶が出されました。


 金の刺繍に縁取られたお洒落なカップを覗き込むと、注がれた琥珀色の液体にカタツムリくんが反射していました。上品な香りが広がります。なめちゃんの家には何度も遊びに行ったことはありましたが、こんなに高そうなお茶は出されたことはありませんでした。


「この紅茶、ぼくが飲んでも大丈夫?」


「あのお茶使ったことお母さんにばれたら殺されるかも」


「……」


「大丈夫だよ。怖がらなくたって。ここには私たち以外誰もいないんだから」


 なめちゃんは紅茶に口を付けました。それを見てカタツムリくんも紅茶を飲みます。


「味はどう?」


「きみのお母さんが殺意を抱くのがよくわかるよ。……なんだか貴族にでもなった気分だ」


 確かになめちゃんが入れてくれたお茶は絶品でした。貴族になったかのような上品な味わいです。クッキーの方も食べてみます。ほろりと口の中で崩壊し、濃厚なバターのにおいに包まれます。悪く言えば庶民的な味ではありましたが気品のある紅茶にはない、手作りの良さがありました。しかし紅茶にもクッキーにも決定的な何かが足りないと感じました。


 特に、紅茶に関しては100匹中100匹が美味しいというに違いない一品なのに何が足りないのか。カタツムリくんは疑問を抱き、もう一度お紅茶をすすろうとして、本来の目的を思い出しました。


「ってぼくは上流階級のお茶会をしにきたんじゃないんだよ、試練を受けに来たんだよ」


「うん」


「なめちゃん、さっきははぐらかされたけど、試練のこと何か知ってるよね」


「知ってる。けど言えない」


「言えないのはどうして?」


「言ってもいいけど、試練そこで終わっちゃうよ」


「……」

 カタツムリくんはまた口を閉じてしまいました。


 そうなると、試練の内容は聞き出せないし、なめちゃんがいないと試練は始まらないから帰すわけにもいかないってことか。


「困ったなあ、あんまり時間がないんだけど」

 さすがに何日もここにいてしまっては、大騒ぎになってしまいます。早いとこ試練を受ける方法を見つけなければなりません。


「時間なら心配いらないよ。ここと外だと流れる時間が違うから」


「そうなの?」


「仮に何日もここで過ごしたって、外じゃほとんど時間がたっていないの」


「助かった。それは嬉しいね」


「でしょ」


「時間を気にしなくていいのはありがたいけど、これからどうしようか」


「とりあえず、この世界を一緒に探検してみようよ」


 この提案にカタツムリくんも賛同し、二匹は紅茶を飲み干して家から出ることにしました。


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