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強者編

「あいたた」

 なめちゃんは、誰かにぶつかった衝撃で背中を強く打ちつけられました。横目をやると、口の形に切り取られたパンが無惨に横たわっています。


「わたしのパン……」

 朝食は消えてしまい、昨晩から何も食べてなかったなめちゃんの胃の中だけでなく心の中までぽっかりと穴が空きました。


「いってーな、気をつけろよ」


「わたしの朝ごはんなくなったじゃない!そっちこそ気をつけてよね」

 粗暴な声色と言葉遣いに、体を起こして反発します。


「先にぶつかったのはそっち――ってなめちゃんじゃん」


「つのっちくん?」

 曲がり角でぶつかった相手はクラスメイトつのっちくんでした。よくカタツムリくんをからかったり、なめちゃんにもちょっかいを出したりするなめくじです。


 こんな朝早くに、クラスメイトと遭遇するとは思いませんでした。しかも、つのっちくんはいつも時間ギリギリに登校していたはずです。


「つのっちくん、どうしてこんな朝早くに?」


「今日だるいことに日直でよ」


「そう、だったんだ」

 言い訳に使った日直でしたが、実際の日直当番を目の前にして少し戸惑います。


「そっちは?」


「わたしは――ちょっと色々あって」

 

「ふーん、まあいいや。なあ、今度おれと遊びに行かない?」


 いつもの調子でなめっちくんはなめちゃんを誘ってきました。


 なめちゃんは首を横に振ります。


「つまんねーの」

 背を向けて、つのっちくんは坂を上って行きます。


 なめちゃんはつのっちくんを呼び止めました。


「ねえ、ちょっと聞きたいことあるんだけど」


「なんだ、おれと遊びに行く気になったのか?」


「そうじゃなくて、弱くなるにはどうすればいいと思う?」


「はあ? 弱くなる?」

 つのっちくんは少し考えてニヤリと笑いました。


「カタツムリみたいになればいいんじゃね? あいつかけっこも遅せーしな」


「じゃあ、強くなるには?」


「おれみたいになればいいんじゃねーの?」


「つのっちくんは強いの?」


「そりゃ当然」


「ふうん、わかった」


 なめちゃんは、それを確認するとつのっちくんを抜き去って学校へ向かいました。



◆◆



 光の中へ入ると、昨日のことはやはり夢ではなく干からびたままのカタツムリくんが横たわっていました。


 ただ、昨日見えたはずの殻はどこにも見当たりませんでした。予想していたことではありましたが、これから殻を見えるようにしなければなりません。


 なめちゃんは近づいて体に触れます。カラカラになったカタツムリくんは水分が完全に抜けていました。


『あら早いわね、おはよう』


「カタツムリくんはまだ生きているんでしょ?」

 なめちゃんは挨拶を返さず、質問をぶつけました。質問ではなく願望だったのかもしれません。


『殻を維持できる程度にはね。既に心は死んでいる。彼は生きていないも同然よ。体が死んでいないからといって、生きていることにはならないわ』


「わたしはあきらめない」


『健気ねぇ』


 なめちゃんはカタツムリくんを光の外へ運んで、木の陰へ隠しました。カタツムリくんに変化はありません。やはり、この光が原因というわけではないのでしょうか。


『彼をここから遠くに運ばないことをお勧めするわ。離れすぎると、肉体すら維持できなくなるから』


「えっ」


『この程度の距離なら問題ないわよ』


 なめちゃんは胸をなでおろしました。安心できたところで、光に向かって聞きたかったことを尋ねます。


「昨日、逃げ出す直前には殻が見えたの。今は見えないのはどうして?」


『一時的にあなたが弱って見えるようになっただけじゃないかしら』


 なめちゃんは予想通りの答えを聞いて安心しました。


「つまり私が弱くなればまた見えるってことだよね」


『その通りね』


「なら、殻が見えたカタツムリくんはどうして逃げなかったの?」


 笑い声が聞こえてきました。


「やっぱりあなたは強いわ。逃げることが悪いことだと思ってるでしょ?」


「そりゃあ、どうしても逃げなきゃいけない時はあると思うけど、逃げることはよくないことだよ」

 だからこそ、一度逃げた屈辱は晴らさないといけないのだとなめちゃんは思います。


「彼は弱いから殻に入れたのよ。逆にあなたは強いから殻を見て逃げ出した」


 頭がこんがらがってきました。


「もう何も言わないわ。私から協力できることはない。どうしても彼を助けたいっていうなら、今度は殻を見ても逃げ出さずに飛び込むことね」


「だからわたしはその方法を知りたくて――」


「おやすみ」


 それ以降いくら声をかけても返事はありませんでした。



◆◆



「突然ですが、今からテストをします」


 ホームルームが終り、最初の授業の始まりの鐘が鳴ると同時に先生は宣告しました。

 何も聞かされていなかった生徒たちからはブーイングの嵐です。


 なめちゃんはというとそんな言葉も頭に入らず別のことを考えていました。


「はい」

 前の席の生徒から、テスト用紙を回されます。思考に割り込むように目の前にテストが現れたので少し驚いてしまいました。


「なめちゃん、どうしたの? ぼーとっしちゃって」


「ちょっと考え事しちゃってた。ごめんねくーちゃん」

 友達のくーちゃんから用紙を受け取って、残りを後ろの席へ回します。


「カタツムリくん、風邪なんだってね。大丈夫かな」

 ホームルームの時にカタツムリくんは風邪だということになっていました。


「絶対大丈夫!」

 思ったより大きな声が出てしまいました。


「あ、うん、テストがんばろうね」

 なめちゃんは頷きます。


「それでは、はじめください」


 なめちゃんは問題をざっと眺めます。それほど難しくはなさそうだと感じましたが、全く問題文が頭に入ってきません。


 なめちゃんにとっての問題はテストではなく、カタツムリくんのことでした。


 周囲の鉛筆が走る音を聞きながら、なめちゃんも角で鉛筆を握ります。問一の問題文に斜線を引いて、その上に


“強さとは何か”


 と書きました。


 この答えが分からなければ、カタツムリくんを助けることはできないでしょう。


 今朝、パンを台無しにしてくれたなめっちくん曰く、自分の様になれば強くなれると言っていました。逆に弱くなるにはカタツムリくんのようになればいいと。


 つのっちくんは体は大きくてかけっこも速いです。勉強はできませんが。


 つまり、強さとは単純な、肉体的な力や今目の前にあるテストを解けるような知力のことなのでしょうか。


 今のなめちゃんは、勉強も運動もそつなくこなせます。つまり、つのっちくん基準で考えるなら強いということになりそうです。


 それなら話は単純です。


 今目の前にあるテストを全問不正解にして、次の時間のかけっこでもビリを取ってしまえばいいのです。すなわち体力知力ともに最弱になるのですから、これでバッチリ殻を見ることができるはず。


 問題はそれで、また殻を見て逃げ出さないのか、今まで学校で頑張ってきた努力全てを無駄にすることができるかどうかです。


 次こそは、殻を目前にして逃げ出さないと思います。逃げ出さないはずです。少なくともそう信じています。が、最初にカタツムリくんを助ける時もそんな気持ちで挑んだはずだったので、保証はどこにもありませんでした


 視点を変えます。

 逆になぜ、カタツムリくんは逃げ出さず殻に飛び込むことができたのでしょうか。

 光の声曰く、カタツムリくんは弱いから殻に入れたのだと。


 確かに、学校の成績はなめちゃんの方が上でした。


 ただ、それは今の話で、昔はそうではなかったのです。


 なめちゃんは元々は気が弱く、体も病弱でした。それに、リボンを盗まれた件で長い間学校に通えていませんでした。当然学校に通えるようになっても勉強についていけるはずもなく、助けてくれる友達もいるはずもなく、途方に暮れていたのですが、カタツムリくんが遅れた分の勉強を毎日教えてくれたのでした。


 授業のノートも全部貸してくれて、なめちゃんが書き写し終えるまでずっと待ってくれました。


 あれでは自分の勉強ができるはずがありません。自分の成績の犠牲を承知で、勉強を教えてくれたのです。

 なめちゃんの成績は上がりましたが、代わりにカタツムリくんの成績は下がりました。


 なめちゃんは強くなりたい一心で、強さ手にしたせいで、もっと大事なことを忘れていたかもしれません。


 自分の強さを投げ捨ててでも、誰かを助ける優しさ。


 カタツムリくんはその心を持っていました。だからこそ、殻に入ることができたのではないでしょうか。


 果たして、なめちゃんにはその心があるでしょうか?


 なめちゃんはテストの解答用紙の問一だけ空欄にして、あとは一マスずつ答えをずらして記入しました。これでテストは0点です。親や教師の評価は下がるでしょう。将来にも響くかもしれません。弱くて愚かな行為なのだと言われたら返す言葉もありませんでした。ここまでしても助けられる保証はないのですから。


 でも、僅かでも助けられる可能性があるのなら、いくら弱くなってもかまわない。


 弱さと強さは矛盾しないのです。


 この事実を受け入れることが、殻に入るための条件だとなめちゃんは気づきました。


 そして、自分で書いた“強さとは何か”の問題文の回答欄に、カタツムリくんの似顔絵を描いてみました。


 なめちゃんの強さの象徴がそこにはありました。それがなめちゃんにとっての強さなのです。


 鉛筆を握り締めます。これで、カタツムリくんを助け出す条件が整いました。




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