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夢路編

 カタツムリくんを置いて逃げ出したなめちゃんは家に着いて自室へ戻ると、布団にもぐり恐怖でぶるぶると震えていました。


 次第に震えは恐怖から自身に対する怒りへ、屈辱へと変わりました。後悔してもしょうがない。今からでもあの場所へ戻って殻に入れば間に合うかもしれない。よし、助けに戻ろう、とも考えましたが家を出ても両親に止められてしまうのは目に見えていました。食事もせずに黙ったまま部屋にこもったので心配をかけてしまっています。普段ならともかく、警戒されている両親の目をかいくぐって、こっそり家を抜け出すのは難しいです。


 いっそのこと、お母さんとお父さんにこのことを相談するべきかもと考えましたが、一点だけ光が降り注ぐ場所や、その誰もいない光の中から声が聞こえるとか、あるもしないはずの殻が突然出現したとか、こんなことを言っても信じてもらえるはずがありません。


 入り交ざった感情の中、ぼんやりと思いを巡らせます。

 カタツムリくんは本当に死んでしまったのでしょうか。あの干からびた具合から考えれば絶望的です。今から強引に家を抜け出すか、明日にするか悩んでいるうちに、うとうととしてしまいそのまま引きずり込まれるように眠りにつきました。


「なめ……、なめちゃん、起きて」

 心地よい眠りの中から懐かしい声が聞こえてきます。


「カタツムリくん、どうしてここにいるの!?」

 なめちゃんは聞こえるはずのない声に驚いて飛び起きました。


「それはここが夢の中だからだよ」


「え?」

 確かに不思議な空間にいました。上も下も横も、どこを見渡して星々が敷き詰められています。宇宙の中でカタツムリくんとなめちゃんは互いに向かい合っていました。


「なんだか久しぶりな気がする、そんなはずはないんだけど。元気だった?」


「元気って」

 飄々と軽い調子のカタツムリくんを見ていると徐々に怒りがわいてきました。どれだけ心配したと思っているのでしょうか。


 なめちゃんは制裁を与えなければ、という意思を込めた体当たりを食らわせます。カタツムリくんからはほんのり甘い匂いがしました。


「ぐはっ」

 衝撃にカタツムリくんは息を漏らします。


「どうして光の中に飛び込んだの!死ぬつもりだったの!?」

 なめちゃんは半分泣きながら問い詰めました。


「それは」

 カタツムリくんは口をつぐみます。


「怒らないから、全部話して」


「え、いや怒ってるよね」


「怒ってない!」


 なめちゃんが追及すると、ぽつりぽつりと、語り始めました。


「……変わりたかったんだ。何もできない自分を。あの場所へ行けば変われると思った。でも結局は変われなかった」


「無理して変わることはないじゃない。光に入って死んでしまったら――」


 ここでなめちゃんはあることに気づきました。


「――ってあれ、カタツムリくんは無事なの?」


「うん、ぼくは大丈夫だよ。夢の中ならね」

 そう言って角を揺らしながら宙で一回転して見せました。夢の中でないとできない芸当です。


「夢じゃなくて現実の世界の話を聞いてるのっ」

 そう聞くとカタツムリくんはおかしそうに笑いました。


「夢の中のぼくが現実世界のことを言っても信じる? ここは現実じゃない。話す内容は夢。ぼくも、君もただの夢だよ」


 言われてみればそうでした。ここはどう見ても夢の中で、今こうして話しているカタツムリくんは現実とは無関係と考えるのが普通でした。


「なら夢でもいいから教えてよ」


「なめちゃんが現実で見たぼくの姿が答えだよ。あの状態で生きていると思う?」


「それは、」


「ぼくは助からない、だからあの場所には近づかないで」


「どうしてわたしだけは無事でカタツムリくんは干からびちゃったの? おかしいじゃない」


「なめちゃんは強いなめくじだからね」


「もしわたしが強いっていうなら、強い誰かが困ってる誰かを助けるのは当然のことでしょ。なら助けに行かなきゃ」


「強い弱いじゃないんだ。なめちゃんがいくら強くても、これはぼく自身の問題だからどうしようもない。だから、どうかあの光には触れないでほしい」


「どうして、カタツムリくんは、助からないの」

 思わず途切れ途切れになりました。


「それはぼく自身が助かることをあきらめているから」

 どこか遠くを見つめるような口調で語るカタツムリくんにまたしても怒りがこみ上げてきました。


「わたしが助けようとしてるのに、カタツムリくんが助かるつもりがないなら意味がないじゃない。しっかりしてよ!」


「悪いとは、思ってるよ。ただ、ぼくのように夢の中でしか生きられない弱い者もいるんだよ。それをわかってほしい」


「わたしにはわからないよ。どうしてそんな簡単に諦められるの? 死んじゃうんだよ、全部終わっちゃうんだよ」


「現実ではね。現実にはいつか必ず終わりがある。夢に終わりはない。永遠なんだ」


「違うよ。どんなに楽しくても夢はいつか醒めちゃう。現実が待ってる」


 カタツムリくんは黙りこみました。


 沈黙に答えるように、どこからかガラスが砕けるような音が聞こえてきます。無限に広がる宇宙と思われた空間に無数の亀裂が入っていました。僅かに外の光が漏れてきています。


「時間がない。これ、返すよ。ぼくはこれを返しにきたんだ」

 そう言うと、青いリボンがなめちゃんとカタツムリくんの間に出現しました。


「わたしのリボン!」

 なめちゃんはカタツムリくんを助ける際にリボンを投げ入れて、回収するのを忘れていたことを思い出しました。とても大切なものです。


 宙に浮かんだリボンは、滑らかに移動ししなめちゃんの頭の定位置に収まりました。


「うん、やっぱりなめちゃんにはこれが一番似合う」


「えへへ。そうかなあ?」

 カタツムリくんから容姿をほめられたのは初めてで、激情に駆られていたことも忘れかけ、自分でも驚くぐらい舞い上がってしまいました。


「それと、さっきの話だけど」


 差し込む光が増し夢が終わろうとしているのだとなめちゃんは思いました。


 亀裂から伸びる光を背景に、カタツムリくんは顔を上げて言います。

「なめちゃんが正しいよ。醒めない夢はない。この夢もほころび始めている。だからぼくが助からないって現実を受け入れて、もう夢の世界になんか来たらだめだからね」


「まって、わたしが言いたいのは――」


「さようなら」


 別れの言葉を最後に、わたしの夢は幕を閉じました。


◆◆


 布団を跳ねのけます。

 枕元の目覚まし時計を確認するといつもよりだいぶ早い時間に起きたようです。

 

「あ……」

 枕と時計の間に昨日失くしたはずのリボンがありました。色褪せてはいますが間違いなくわたしのリボンです。


 夢のことを思い出し、怒りの奔流がふつふつと湧き上がってきました。カタツムリくんを助けるとか助けないとかじゃなくて、あんな中途半端な別れで終わりだなんて、泣いて謝まられても絶対に許せません。もう一度、今度は夢の中じゃなくて現実で、一発どついてやるんだと誓いました。


 作戦を練ります。


 カタツムリくんに会うには殻が見えなければなりません。

 幸いなことに、最初、殻が見えず苦労しましたが、最後には見ることができました。逃げ出してしまったので、振り出しに戻ってしまいましたが、もう一度挑戦すればいいだけの話です。


 殻の中に入れば、そこにカタツムリくんの魂のような何かがあるのではないでしょうか。見つけ出せたら引っ張り出して、カタツムリくんの体に叩き込めばいいのです。


 こんな単純な作戦でうまくいくのでしょうか。何か、見落としている気がします。


 あの憎き光の声は、弱くないと殻は見えないと言っていました。裏を返せば、殻が見えたということは弱いということなのです。


 そして、殻を確認し、弱くなった自分が何をしたかというと――


「無様に尻尾を巻いて逃げ出した」


 口に出して事実を確認し体が重くなりました。それ以前に、ここから先どうすればいいか解決策が思いつきません。


 強くなったら見えなくなるし、弱いままだと逃げ出してしまうのですから。いったいどうすればいいのでしょう。


 こういうややこしいことを考えるのは苦手でした。それこそカタツムリくんの方が得意なはずでした。


 らちが明かないので考えるのはやめです。とにかく行動、行動あるのみです。やった後に考えてしまえばいいのです。


 例の光の声に突撃して情報を聞き出す。夢の中でカタツムリくんからあそこには行くなと聞いていましたが、もしかしたら、カタツムリくんが一匹で殻から脱出して復活している可能性だってあるのです。行かないという選択肢はありません。


 なめちゃんはベッドから降り荷物をまとめ、朝食は食パンだけ口にくわえて、

「ひょうはにっひょくははるから(今日は日直があるから)」

 と母には適当な嘘をついて学校へ向かいました。


 玄関を飛び出し全速力で通学路を進みます。この角を曲がって坂を駆け上がれば、すぐに――


 曲がり角の先にいる誰かに猛烈な勢いでぶつかり転倒してしまいました。









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