第三十四話
お姉様と呼ばれたあの日から数日後、俺は朝早くから身支度を整えていた。
「おはようございます兄様。今日は随分とお早いですね」
「おはよう。もしかしたら数日帰ってこないかもしれないからな、しっかり準備しておかねぇと」
「え、何処かお出掛けですか?まさかマリ姉の所へお泊まりだなんて言いませんよね⁉︎」
「そんなんじゃねぇよ。ただ、まともな精神状態でいられるか分からないからな。落ち着いたら帰ってくる」
そう言って『血染めの月光花』を一輪、異空間から取り出して見せてやれば、アイリスはすぐに理解してくれた。
「兄様、私情で下らない探りを入れたこと、申し訳ありませんでした。『早く帰ってきて下さい』などと言うつもりはありません。ですがどうか、変わらぬお元気な姿で帰ってきて下さい」
真面目な時にはこうしてちゃんと切り替えが出来るのはアイリスの良い所だな。
実際今日ばかりはいつもの軽い冗談や妹らしい我儘に応えてやれる余裕が無かった。
アイリスはそういう俺の変化も察して言葉を選べる優秀な妹だ。兄として誇らしい。
「ありがとな…約4,200年、積もり積もった感情だ。俺もどうなるか全く予想出来ない。でも心配すんな、俺は必ず帰ってくる」
「はい。お待ちしております」
「じゃあ、行ってくるな」
何年、何千年経っても忘れた事の無いあの場所を思い浮かべる。
【転移】で移動し、変わらず咲き誇る血染めの月光花を見て、自然と体に力が入っていたことを自覚する。
まだここに来ただけだというのに、相変わらず軟弱だな俺は。
花畑の真ん中、丁度アイツが息を引き取った場所には、まだ鮮やかな血痕が残っている。
アイツの最期に、おれがこの花畑ごと世界から切り離し、この状態で止めたからだ。
時間と共に忘れられるわけがない、時間の経過でアイツが存在していた証を消させない。
当時世界の一部を私物化した事、コフィンを生み出したこと、そしてもう一つの魔法の対価として、俺は神々の手伝いをしているってわけだ。
さて、ここに来た時点で覚悟は出来てんだ。
そろそろ再会といこうか。
【オリジンブラッド】:オリジン・血属性・流血
【貯蔵血液:シルヴィア】
俺の指先からシルヴィアの血が滴り落ちる。
吸血したことある奴の血は、俺のエネルギーにする分と体内に蓄えておく分に分けている。
こういう場合にも使えるからな。
血染めの月光花が光りだし、半透明な人物が浮かび上がった。
燃えるような美しい赤髪。俺のとは違うルビーを思わせる鮮やかな赤い瞳、あの日、最後に見た奇跡と全く変わらない姿でシルヴィアがそこに居た。
『一生会いに来ないのかと思ったわ。何年放っておけば気が済むのかしら』
「……シルヴィア…」
『あら、4,200年も経てば流石に変わってるかと思えば、相変わらず繊細ね』
「お前こそ…相変わらずだな」
『当たり前じゃない。ここにいる私は当時のままなんだから』
俺に対して恐怖も遠慮も無いこの感じ…懐かしいな。
あぁ…やっぱ駄目だったわ。
俺は何年経っても、お前を失った悲しみは克服出来そうにない。
『また泣いて…吸血鬼の始祖がそんな事でどうするの』
「…はぁ…分かってんだがなぁ…何年経っても無理だって…未だにお前を探し続けてるんだぞ」
『だろうと思った…貴方が掛けた魔法のおかげで、私は今でも記憶を持ったまま転生を繰り返してるけど、その所為で酷い目にも遭ったわ…』
「お前、ちゃんと転生出来てるんだな」
『まぁね。でも本当に悲惨だったわ…虫に転生してたった数日で潰されたり…魔物に転生して冒険者に殺されたり…途中からトラウマになったから、記憶を封じて本体の行動に任せてるわ』
「本体?」
『えぇ。記憶を封じながら転生を繰り返す内に、初めから別の人格が存在するようになったのよね』
ってことは、シルヴィアが転生した存在だろうと普段はシルヴィアらしくないというわけか。
この雰囲気を目印のようにして探してたから、見つからなかったのも無理はない。
「じゃあお前は、今何処で誰になってるんだ?」
『…ふふ、教えてあーげない』
「おい、俺がどれだけお前を…」
『そこまで探し続けて、最後は本人に答え聞いちゃうの?ライル』
「っ⁉︎お前、まさか学校に…?」
『どうかしらねぇ、おじ様』
「マリア?マリアなのか⁉︎」
『だから教えないって言ってるじゃないですか、ライル先輩』
「駄目だ。もう分からん」
『頑張って探して。私はいつも貴方の近くで見ているから』
「そうみたいだな…なぁ、変な事聞いて良いか?」
『変な事なら答えてあげない』
「コイツ…別の言い方をしよう。怖くて当時聞けなかった事だ」
『あら、貴方に怖い物なんてあるのね。良いわよ、それなら答えてあげる』
「…お前は、後悔してないか?俺と関係を持った所為で殺されて…お前はあの時、幸せだったか?」
聞いてしまった。この4,200年ずっと抱えてきた疑問、恐怖、不安。
そうだ。コイツは俺の所為で死んだんだ。
それから何度も何度も記憶を持っている所為で酷い目に遭ってきた。
俺の事を恨んでいるのかも…
『ヴラド』
「な、なんだ…」
『私に今肉体があったら、貴方を気が済むまで殴り続けるわ』
「っ…そう、だよな…当然だ。俺の所為で…お前は…」
『そんな馬鹿な質問、二度としないでちょうだい!』
「……え?」
馬鹿?馬鹿な質問?
俺が今までずっと抱えてきた恐怖が、馬鹿だと?
『私はあの日々を後悔した事なんて一度も無いわ!貴方を、貴方の全てを愛してたんだから!私を殺した国を貴方が滅ぼしたと転生してから知って、不謹慎だけど心の底から喜んだわ。「あぁ、あの人は私の事をそこまで愛してくれていたんだ」って。それなのに何千年も放置して、来たと思ったら「後悔してないか?幸せだったか?」ですって?ふざけないで!』
「…す、すまない」
『まったく…少しは自信持ちなさいよ。貴方は気高い吸血鬼の始祖様でしょ。人間の小娘一人にそんな体たらくで、あの子達全員の愛を受け止められるとでも思ってるの?』
「…は?」
『本体が見聞きした事は私だって知ってるわ。お姫様と妹さん、貴方に夢中じゃない。幸せにしてあげなさいよ』
「お、お前…」
マリアとアイリスの気持ちを知っている?つまりこの二人の中には居ないって事か。
そしてその様子が見られる人間は限られている。あの中の誰かというわけか…
「だが、俺はまずお前の事を見付けてから…」
『それこそ当たり前よ。私だって、転生しても転生しても貴方の事をずっと想ってきたんだもの。だから早く私を見付けて、あの日々の続きを頂戴?』
「…ありがとう。まだ俺を待っていてくれて」
『バカ…ずっと待っていたのは貴方じゃない。他の女の一人でも作れば良いものを…そんな様子も無いし』
「当然だ。俺が一番に幸せにしたい女は、ずっとお前なんだから」
『もう…ほんとバカ。下らない質問で怯えるくせに、そういう事はちゃんと言うなんて。この4,200年で口ばっかり上手くなったの?』
「そんなんじゃねぇよ…言わなかった後悔が長すぎたんだ。だから、大事な言葉は言える時に全部言おうと決めた。それだけだよ」
『随分ロマンチシストになっちゃって…』
それから暫く、昔の話に花を咲かせた。
当時の俺は最初、シルヴィアに素っ気なかったこと。でもずっと一緒にいるシルヴィアに、徐々に惹かれていったこと。束の間ではあったが穏やかで幸せな日々を送っていたこと。
そして、あの惨劇が起きた事。
『全部覚えてるのね』
「お前との記憶は一切封印してないからな」
『嬉しい…あぁ、早く貴方に会いたくなってきたわ』
「だったら記憶の封印解いて会ってくれれば良いものを」
『…それは出来ないわ』
「俺に最後まで探させるためだろ?」
『それもあるけど…違うのよ。記憶を全て解放しちゃったら、今の人格は消えちゃうの。同じ私とはいえ、違う人格ならそれはその子の人生よ。私だけのものじゃない』
「そうか、そういう仕組みなんだな」
『えぇ。そしてその子にだって気になってる人がいる。それを全部独り占めしちゃ可哀想じゃない』
…随分ヒントをくれるな。もう二人しか候補が残って無いぞ。
『だから記憶は私の中にだけ残すわ。その子と私で体を共有すれば、人格を切り替えながらではあるけど共存は出来ると思うから』
「…お前は、それで良いんだな?」
『ちょっともう一人の自分に嫉妬しちゃうかもしれないけどね。でも他にも貴方と結ばれる子がいるみたいだし?本妻で手を打つわ』
「そりゃ俺もそのつもりだけどよ…正直、怒るかと思った」
『あのね、何千年もいない私を変わらず愛してくれてただけで私がどれだけ嬉しかったか分かる?そんな大きな愛なら、ちょっとくらい他の子にだって分けてあげる度量はあるわよ』
「そういう奴だったな、お前は」
『だから貴方は小さい事は気にしないで、私以外にも貴方を慕う子達を受け入れてあげて』
「…分かったよ。他でも無いお前に言われたんじゃ、俺から言える事なんて何も無ぇじゃねぇか」
『そういうこと。ねぇ、それで今分かってるだけであと何人くらい居るの?貴方との関係を望んでる子』
「それお前が聞くのか?」
『だって気になるじゃない。貴方がどれだけ人に好かれる存在になったのか』
「分かったよ…えーっと…」
マリア、アイリス、ギルマスのカナリア…サフィラとシルヴィアは分からないな、直接確認した事が無いから。
「少なくとも三人だな」
『あら、意外と少ないのね。10人くらい超えてるかと思ったのに』
「お前な…まぁ昔に死んでいった奴もいるし、ここ数年あまり屋敷から出てなかったのも理由だな」
『そういう事ね。ふふ、楽しみだわ。その子達と一緒に貴方とまた暮らせる日が』
「…楽しむような事か、それ?」
『勿論よ。今日は誰を可愛がるのかしら、皆まとめてだったり?なんて幸せな日々を想像するだけで胸が高鳴るわ』
「じゃあ早くお前を見付けて、他の奴も迎えに行かないとな」
『頑張ってね、ずっと待ってるから』
「…お前の転生先だと思う奴等には、休校明けの演習結果で正体を打ち明ける事になってるから、その後になるな」
『これだけ待ったんだもの。あと数ヶ月くらいなら待てるわ』
「すまないな。その後はなるべく早く見付けるからよ」
『お願いね…あぁ、そろそろ駄目ね』
「シルヴィア?」
『月光花の効果が終わるわ…』
「ま、待ってくれ。まだ話したいことがたくさん…」
『続きは本体の私とね。大丈夫よ、私は居なくならないから』
「シルヴィアっ…」
シルヴィアの体がどんどん薄くなっていく。
本当に効果が切れる…今、血を足せばまだ…!
『ヴラド』
「な、なんだ」
『お願い、血を足さないで?貴方の中に、少しでも多く私を居させて』
「っ…クソッ…」
『ごめんなさい。貴方にいつも辛い思いをさせて…また会えたら、たくさん愛し合いましょうね』
「あぁ、約束する。絶対に、今度こそお前を幸せにし続ける!」
『ありがとう…またね、あなた』
シルヴィアの体が粒子となって消えていった。
手を伸ばしても、魔力の残滓も感じられない…
「シルヴィア…シルヴィア!」
居ないと分かっても、返事が無いと分かっていても、呼ばずにはいられなかった。
やっと、勇気が出たんだ。
漸く、会いに来られたんだ。
それなのに、こんなにも早くまた居なくなってしまう。
4,200年も自分の弱さで会いに来なかった所為で、僅か一瞬の出来事のような時間。
こうなると分かっていたから、また辛くなると知っていたから、俺は…
勝手に流れてくる涙も拭かず、シルヴィアとの会話全てを大事に記憶に残す。
また会える。俺のすぐ近くで、アイツは待っててくれている。
大丈夫だと言い聞かせるが、今は喪失感が邪魔をする。
今だけは、他の何もかもを忘れよう。
シルヴィアと過ごした数時間を何度も何度も記憶の中で繰り返しながら、もう暫くここにいよう。
花畑に仰向けで寝転がり、目を閉じて記憶を反芻する。
どれだけの時間、ここに居ただろうか。
閉じた目蓋の裏から、太陽の明るさと夜の月明かりを数回は見た気がする。
こういう時、数日程度飲まず食わずで平気な種族だった事に感謝するな。
そろそろ帰ろう。
今の俺には、帰りを待ってくれている奴等がいる。
最後にもう一度、血染めの月光花を眺めて俺は屋敷へと帰った。
「兄様!」
自室へと転移すると、ベッドに腰掛けていたアイリスが抱き付いてくる。
「悪い、心配かけたな」
「良いんです!兄様が無事なら、それだけで」
「…アイリス、お前隈が…」
「あっ…へ、平気ですこれくらい」
俺が帰る瞬間をずっと待っていたのだろうか。
この数日間、一睡もしないで…
「すまない、アイリス」
「…私、兄様が帰ってきたら、すぐに言いたかったんです…おかえりなさい、兄様」
「…あぁ。ただいま」
アイリスを抱っこしてベッドへ寝かせ、その横に寝転がる。
「ありがとな、アイリス。ゆっくり休んでくれ」
「はい、兄様…おやすみなさい」
俺は本当に恵まれているな。
こんな俺を受け入れ、慕ってくれる人間がいる。
今度は俺が、返していこう。




