第二十二話『シルヴィア』
ーーシルヴィアーー
ある晴れた冬の日。
私は一族の暮らす里から出て山を歩いていた。最近はお母さんの体調も良く、少し離れていても大丈夫だったからだ。
ただの人間であったお父さんは何年も前に他界した。以前住んでいた場所が魔族に襲われて、私達を逃がす為に…
その時お母さんは左肩から先を失い、今でもその時の痛みと、お父さんを目の前で失った光景を思い出して苦しんでいる。
医師が言うには、傷に魔族の呪いが掛かっており、苦しい思い出を何度も見せる事で衰弱させるものだと言っていた。
このままでは、いつかお母さんも失う。そう思った私は、少しでも呪いに効く薬草を採りに山へ出掛けていた。
その日、私は自分の未熟さを思い知ることになる。
山で薬草を採取して数時間、そろそろ戻らないとお母さんが心配だ。
だが里に近付いて異変に気付く。あまりに静かだ。いつもならそこら中の家の煙突から湯気が上り楽しげな話し声が聞こえてくるのに。
嫌な予感がした私は、魔力を感知しながら最も人が集まっている場所を目指した。
少し離れた木箱に隠れて様子を見る。そこは里の集会場となっている場所で、隙間から見えた光景に血の気が引いた。
魔族だ。かつて私達の居場所を奪い、お父さんを奪い、お母さんを今も苦しめている魔族がそこにいた。
里の皆は人質なのか、それとも連れて行かれるのか、全員縄で縛られている。
どうしよう、里の人は全員捕まったし、動けるのは私しかいないのに。
怖くて、足が動かない…
隠れている木箱の隙間から様子を見るが、里の人達に暴力を振るい、あと一人隠れている奴がいると知っているようだ。
私だ…私がいないから、皆が痛い思いをしている。でも捕まったら、そのあとどうなるの?
皆どこに連れて行かれるの?お母さんは放っておいたら呪いで死んでしまうのに…
嫌な想像が次々と溢れてきて動けなかった。
そんな私が入った木箱が、上からトンと叩かれる。
全身に寒気がした。見つかった。見つかってしまった。
だが、いつまで経っても木箱は開かなかった。
「安心しな。里の連中は俺が助ける」
聞き慣れない声。でも不思議な安心感をくれる声。
木箱から覗くと、全身真っ黒の服に身を包み、とても美しい銀髪の男の人が集会場へ歩いていく姿が見えた。
何故だろう、普通は無謀だとか、危ないって思うはずなのに…
魔族は何人も居て、囲まれたら終わりだって思うのに…
その人が負ける姿を、一切想像出来なかった。
「人の幸せを土足で踏み荒らして、生きて帰れると思うなよ」
男の人の足下から真っ赤な血が溢れて針のように尖り、魔族に次々と刺さる。針が刺さった魔族はどんどん体が干涸びて、最後は砂になって風で飛ばされていった。
この人、強い…まるで呼吸するような自然な動きで血を操って、魔族が手も足も出ないなんて。
数分もしない内に里を襲った魔族は全滅し、私は木箱から飛び出てお母さんに抱き着いた。
「ごめんなさい、ごめんなさい…私がいなかったから、皆ずっと苦しんで…」
「違うわシルヴィア…貴女が逃げ続けて時間を稼いでくれたから、助けが来てくれたのよ」
私が泣いていると、さっきの男の人がこっちに来て、お母さんの失った腕の部分を見る。
「お見苦しい姿をお見せして申し訳ありません。助けて頂き、本当にありがとうございます」
お母さんが片手を地面につけ、頭を下げようとするが、バランスが崩れて倒れそうになる。
でも黙って見ていた男の人がお母さんを支え、懐からナイフと布を取り出した。
ナイフを布でしっかりと包んだ後、それをお母さんに突き出して噛めと言う。私は何が起こっているのか全く分からなかったが、嫌な予感はしなかった。
「今からそれを治してやるが、相当な痛みが走る。それを咥えて耐えていろ」
それから私を見て、「助けになりたいなら、手を握っててやれ」と言ってきた。
言われた通り私はお母さんの片方しか無い手を両手で包みギュッと握る。
「行くぞ…【レストレーション】」
「っ⁉︎グゥゥウ⁉︎ウゥゥゥヴ!」
聞いた事もないようなお母さんの叫び声を聞いて、何故か私が泣いてしまった。でも手だけはどれだけ握り締められて痛くても離さなかった。
お母さんの叫びが響き渡ること数分。まるで何時間もそうしていたんじゃないかって思えるようだった。
そして、力が抜けて気絶してしまったお母さんの左肩からは、綺麗に腕がついていた。いや、正確には、再生していたと言うべきなのだろうか。
「ついでに肩に巣食っていた呪いも消しておいたから、もう大丈夫だ」
「あ、ありがとうございます!お母さんを助けてくれて、本当にありがとうございます!」
その時まだ幼かった私には、立派なお礼なんて言えず、ただそう繰り返すしか無かった。
でもその人はそんな事気にせず、優しく微笑んでから私の頭を撫でてくれた。
「お前、名前は?」
「シ、シルヴィア」
「っ⁉︎…そうか。母親を大事にしろ。そしていつか、心から愛せる人を見つけて幸せになれ…アイツの分まで…」
アイツというのが誰か分からなかったけど、その人がとても辛く、悲しい顔をしていたのは覚えている。
結局教えた名前は一度も呼ばれる事はなく、里の皆を解放し治療してくれた後、その人は行ってしまった。
里の長が言うには、あの美しい容姿と圧倒的な力、何より血を操る能力から、彼は吸血鬼の始祖様だろうって。
始祖とは全ての始まり、つまりあの人は、この世で最初の吸血鬼。もう何千年も生きてるって聞いた時には信じられなかった。
でも、たくさん鍛えて、たくさん勉強して、いつか始祖様を見つけたら、今度は私が始祖様に恩返し出来るかな。
あの時助けてもらったお母さんは、今も元気に過ごしていますって、ちゃんとお礼を言いたい。
そして何より…
貴方に助けて頂いた時から、私の心は貴方に惹かれいますって、伝えたい。
それから私は、始祖様の横に並べるように修行した。性格や口調が変わるほどの厳しい修行をし、話についていけるようにありとあらゆる事を勉強した。時には人間に紛れて世界の事を見て回った。
そして364年という時が経ち、貴方が人間と築いた王国を目指してやってきた私は、とても美しい銀髪と紅い瞳を持つ男性が二年の主席にいるという話を聞いて編入試験を受けた。
結果は満点。同じ主席として、同じ教室で、同じ時を過ごせる。これ程の喜びは無いと、そう思っていたのに…
貴方は以前とは全く違う雰囲気で、全く違う口調で、私の事など、覚えてすらいなかった。
そればかりか、また名前すら呼んで頂けない…
だから私は決意した。今の人間のような貴方を超え、私の有能さを分からせた後、真実を話そうと。
そうすれば、少しでも私を見てくれると思ったから。
なのに結果はこの様…
座学でも勝てず、実技でも勝てない。
記憶を無くし、ただの人間の男になってしまった貴方にさえ、私は遠く及ばないなんて。
私の今までの努力は、何だったの…
「待て、記憶は封じただけで失くしてない。364年前だな…あった。集落が魔族に襲われて、木箱に隠れた少女と、片腕を失った母親。これがお前か?」
「…はい…私と母です」
「そうか。お前は、俺を追い掛けてここまで」
「…貴方に…恩返しがしたかった」
「あれを俺のおかげで助かったなどと言うな…礼なら、墓参りの時に父親に言ってやれ」
「…え?…何故、父が」
父は、何年も前に亡くなっていたのに。
まさか始祖様は、死者を見る力も有るというのですか?
「恐らくお前達が以前住んでいたであろう場所に、血染めの月光花があってな。俺は当時それを集めていたんだ。その時、近くにあった遺品に一輪供えたらお前の父であろう男が出てきてな。妻と娘の集落が襲われてるから助けてくれと。塵ほども無い僅かな魔力でそれだけ言って消えたよ」
「…父さん…貴方は最後まで、私達を守ろうと…」
「立派な男だった。そんな男に頼まれたら、断るなんて有り得ないだろ。すぐに広域探査をして位置を特定し、後はお前が見た通りだ」
「そう、だったのですね…」
「だからあれは、父親から家族への最後の愛だったんだ。決して俺のおかげなんかじゃない」
「…ですが、貴方が父に花を供えてくれたから、父の言葉を信じ助けに来てくれたから、私達は今もこうして無事に生きています。それも事実です」
「…それを言われると、何も言えないけどよ」
「なのでこれは、私の勝手な自己満足の恩返しなのです」
そうでなくては、私は何の為に強くなったの…
この人にとって僅かでも価値のある存在になれないなら、私の364年間は、それこそ無駄になってしまう!
「…それとは別に…何故、ただの一度も私を呼んでは下さらないのですか。いつも「君」とかばかり…」
「それについては完全に俺の個人的な事情だ。お前に原因があるわけじゃねぇ」
「…どなたか、同じ名前の人がいるのですか?」
「……遠い昔、俺が唯一愛した女の名前だ」
「…っ…」
始祖様が、唯一愛した…
この数千年で、唯一。
その方と同じ名前である事に少しの喜びを感じながら、この名前である限り永遠に呼ばれないのではないかという悲しみが襲う。
そしてなにより、始祖様が愛した女性がそのお方ただ一人ということに、色んな感情が頭の中で渦巻いている。
この方は、いったいどれだけの愛をそのお一人の為に…
「だから、私の名前を聞いた初日、私を避けていたのですね」
「呼ぼうとはしてみたんだがな…駄目だった。どれだけ時が過ぎても、名前を呼べばその時の気持ちが蘇る」
「…分かりました。呼んで頂くのは諦めます…始祖様に辛い思いをさせてまで、名を呼ばれたいとは思いません」
「…すまん」
「良いんです…私の事を本当に忘れたわけでは無かった。あの時の始祖様が居なくなられたわけでは無かった。それが分かっただけでも、私は十分ですから」
私は、本当にこれで良かったのでしょうか。
情けなさから泣いて、追いかけられ、勢いのまま全てを打ち明け、始祖様の真実を聞き、それで満足なのでしょうか。
いえ、満足しなければならない。始祖様の心には、今も昔も私ではない『シルヴィア』がいるのだから。
「…やっぱり…嫌…です」
「………」
「私は……私だって、シルヴィアなんです!他の誰でも無いシルヴィアなんです!始祖様に救われて、始祖様に憧れて、始祖様を追いかけてここまで来たんです!…私は…私なんです…っ」
あぁ、言ってしまった…
始祖様を困らせるだけだというのに、何故我慢出来ないのでしょう。
ほら、何も言わなくなってしまわれた…
きっと我儘な小娘だとお思いになったでしょう。
愛想を尽かされて二度と話して頂けないかもしれない。
でも、自業自得よシルヴィア…貴女が全部悪いのよ。
「そうだな」
「………」
「お前はお前だ。俺の愛した女じゃない」
「…っ…」
「だからお前を愛した両親が名付けた名前を、俺の都合で呼ばないのは勝手すぎるよな、シルヴィア」
「っ⁉︎…始祖様…?」
「それに、考えてみりゃアイツが生まれ変わってたらとっくにシルヴィアって名前じゃ無いだろうしな。こんな当たり前の事にも気付かないとは、歳を取るとボケて駄目だ」
「…始祖様…始祖様っ…」
「ずっと傷付けてたんだな…すまない」
「…良いんです…貴方に、名前を呼んで頂けた…それだけで、私のこれまでの数百年は報われました…」
「俺はこれからも学生である内は、ライルとしていつも通りの俺で過ごすだろう。お前の憧れてくれた始祖では無い姿を見せ続ける。それでも良ければ、これからも宜しく頼む」
「はい…勿論です。私は貴方の事を決して誰にも話しません。困った事があれば何でも私を使って下さい。今度こそ、貴方のお役に立ちたいのです!」
「ありがとうな。学生は基本的に暇潰しだから特に困る事は無いが…今後起こりうる事を先に話しておく」
し、始祖様が予見する程の困り事とは、いったいどれ程の…
私なんかで大丈夫なのでしょうか。
「まず一つ目、あと数年以内に魔族の生き残りが本格的に攻めてくる可能性がある。その時、シルヴィアにもフロスト族として戦ってほしい」
「は、はい!お任せ下さい!」
「次に、吸血鬼は月に一度吸血をしなければならない。今までは特定の一人に頼んでいたんだが、もし何らかの原因でそいつから吸血出来ない状況に陥った時、悪いが血を少し分けて欲しい。こんな頼み事をしてすまない」
「いえ…いいえ!む、むしろ役得と言いますか…いえ何でもありません!喜んで差し出します!」
「ありがとな。もしもの時は頼んだ」
始祖様が…笑って下さっている。
ここに編入してまだ2ヶ月程とはいえ、私に向けては殆ど仮面のような笑みだった始祖様が…
あ、駄目。また涙が勝手に…
「お、おい。今度はどうした」
「すみませ…始祖様の本当の笑顔を、初めて向けて頂いたことが嬉しくて…」
「…俺はそんなに酷い奴だったのか」
「ち、違います!私は始祖様からしたら怪しかったでしょうから、仕方ありません!」
「何もかも理解されてて情けないな、俺は。本当にすまなかった」
あぁ、何で…始祖様に謝って頂きたいわけじゃないのに。
ただ少しでも私に笑いかけて下されば、それだけで幸せなのに。
でも、良いのでしょうか…今だけ…今だけは、我儘を言っても、許されますか?
「あの…許されるなら…ま、マリ…マリアンヌ王女様のように…抱き締めて…頂けませんか?」
「それで俺の今までが償えるとは思えないが、良いぞ」
始祖様が広げて下さった腕に、その胸に飛び込んで抱き締めて頂く。
私…こんなに幸せで良いのでしょうか。明日にでも死んでしまいそう…
それとも、これは全て夢で…現実の私は池の傍で一人で寝てしまっているだけなのでは…
「何考えてるか大体分かるが、これは紛れもなく現実だから安心しろ」
「…はい。この暖かさは現実です」
お父さん、助けを呼んでくれて、始祖様に会わせてくれてありがとう。
お母さん、私はこんなに幸せだよ。だから心配しないで。
私が離れるまで、始祖様はずっと抱き締めて下さった。
明日からはまた、いつものライル殿と私という関係に戻るのでしょう。
でももう悩まない。挫けない。
私はライル殿が始祖様だという秘密を知っている。
前とは少し違うその秘密が、私に元気をくれる。
私だけが始祖様の秘密を守っている特別感が高揚させる。
ついさっきまでの試験の事など、遠い昔の事のように忘れ去られていた。




