因縁は再び彼に牙を剥く
奏未に許してもらった俺は、リーラと楽しくじゃれあって、そうして1日を終えた。
そんな翌日、昨晩リーラと遊びで描いていたこの時期の天体の配置を見ながら、襲撃と言えば当然夜襲だ、と天体を利用したクソ秘術の準備のために、俺は短冊サイズの細い札に文字を血で綴っていく。
「お兄ちゃん、学校行くよ」
「行ってらっしゃい」
「行っていいの?大変そうならあたし、手伝うけど」
「悪いな。こいつばかりは、俺と八田月でなんとかしたいんだ」
「……それじゃあ行くね」
「ああ。行ってらっしゃい」
俺も学校に行く準備をしないとな。
この件に関しては、絶対に夢花に伝えて置かなくてはならない。
なにせあいつも、かつての事件の被害者なんだから。
「さて、リーラ、弁当は持ったな?」
「です。これからどこに行くですか?」
「そりゃお前あれだよ。お手伝いに行くんだよ」
「お手伝い、ですか」
リーラはよく分かってないようなので、さっさと連れて行くことに。
「いいか、リーラ?俺か奏未が迎えに来るから、一人でうろつくんじゃないぞ?もしもがあったら、お前は殺される」
さすがに往来の場で、リーラが悪魔だとバレたら、なんて直接言うことはできず、分かる人にしか分からないように伝える。
可愛い可愛いリーラちゃんは、ぴょこぴょこを残念そうに垂れ下げ、しかし素直に頷いてくれる。
リーラが自由に歩き回れるようになるには、リーラがみんなに周知されればいいんだが、イギリスの時みたく上手くはいかない。
だから知られるまで人に触れ合える仕事をしてもらうことにしたんだが……
彼らはリーラを受け入れてくれる、そう信じていてもやはり心配になってしまう。
結局自分がついていないと心配になるんだ、今はリーラのことを考えていてもいいが、リーラと別れてからは、心配を忘れるためにも他のことに頭を使わないとな。
「しかし……私はどこに連れて行かれるですか?」
「だから、お手伝いだよ」
「それがどこの手伝いなのかを聞いているですが」
とりあえず撫でて誤魔化しておいて、目的地へと真っ直ぐ向かう。
それにしても暑いな。
これからさらに暑くなるという予報だが、今でもすでに猛暑日、これ以上とか、40℃超えるんじゃないか?
適当に組んだ術式で一応体は冷やしているが、こんな暑さの中リーラを働かせたくはないな。
「商店街ですか」
「ああ」
「お、ヒロ坊!その子が坊主の言ってた働かせたい子か?」
「ああ。リーラだ」
辺りを見回すリーラが、俺がその名前を発したことで、八百屋のおじさんに頭を下げる。
「リーラですよ」
俺がリーラの頭を撫で回すと、ぴょこぴょこが嬉しそうに跳ねる。
「また随分と可愛らしい嬢ちゃんを連れてきたな」
リーラが顔を上げると、俺に「ここです?」と確認をとる。
俺が頷くと、リーラが世話になるからと頭を下げる。
「しっかし……独特の雰囲気を持った子だなぁ〜坊主はこういう子が好みだったか」
「リーラのことは間違いなく大好きだが、こういう子が好みかと言われれば、そうではないと思うぞ?リーラだから俺は一緒に暮らしてるんだ」
「い、一緒に暮らしてる?おいおい、そりゃつまり、同棲してるってことか?おいおい、佐鳥の嬢ちゃんはどうしたよ?」
「夢花は通い妻」
「奏未ちゃんは?」
「幼妻」
「3人目の嫁か……」
「リーラは犬猫の方が近い」
「愛玩動物扱いか……坊主、いつか刺されるぞ?」
「実質無害だな」
「刺さりどころが悪いと死ぬからな?」
俺は不死身だから、実害はちょっと痛いくらいで、つまり無害だな。
おじさんはリーラをまじまじと見つめ、何かに気付いたように俺に鋭い視線を向ける。
「どうした?リーラのあまりのかわいさに惚れたか?」
「バーカ。そんなことになったら、オレが嫁さんに殺されちまうよ。そうじゃなくてだな……」
うん、これは気付かれてるな。
だがまあ、そうだと知っても受け入れる者がいるということを俺は知っている。
フィリアやティエラは、自分たちが新人類であるにも関わらず、リーラという悪魔を受け入れた。
だが、だからといっておじさんが受け入れるわけではない。
戦争経験世代だ、悪魔を許せないのは仕方ない。
「いや、坊主が連れてきたなら、信じるしかないよな。ただ、なぜうちに預けるのかは興味があるが」
要はリーラを連れてきた意図を教えろ、と。
「はぁ……お解りだろうけど、こいつは悪魔だ。目的は、リーラが一人で街を歩いても攻撃されないくらいに、リーラのことを人に認知させることだ」
おじさんはリーラを眺めて、俺に歯を見せて笑う。
「つまり、誰もが利用する商店街にしろ、ってことだな?」
「リーラがいればすぐだ」
「おいおい、嬢ちゃんに客引きさせんのかよ?」
「それが一番有効だ。リーラは集客効果がある。学校でもイギリスでも、すぐに人の心を掴んだ。一躍人気者だ。リーラの処世術か、見た目や性格が自然とそうさせるのか……なんにせよ、リーラは人に好かれる」
実際それをこの目で見てきた。
俺だって気がつけばリーラのことを気に入っていた。
「坊主がそこまで言うなら、やらせてみるとするか。しかし、嬢ちゃんのことを高く買ってるんだなぁ……ここまでの評価を坊主が下すなんて、初めてなんじゃないか?」
「ああ。元々ポンコツだった奏未や、ずっと一緒にいた夢花にしてこなかった評価だしな。実際これだけの高評価をするのは初めてだ」
「リーラの嬢ちゃんだったか。責任もってオレたち商店街で預かるよ。このことを他の連中にも伝えてやんねぇとな」
楽しそうだな。
「休憩したくなったら遠慮せずにおじさんに言えよ。何かあったら俺か奏未に電話を繋いでもらってくれ。あとこれ荷物ね。頑張れよ」
「任せるです」
小さな胸を張って小さいながらに主張するリーラ。
俺はその頭を撫でて、ぴょこぴょこをもふってから頭ぽんぽんを最後に商店街を後にする。
学校、安定と信頼の私服登校。
静かに扉を開けたが、注目を集めてしまう。
向けられる視線が攻撃的なんだが、昨日フィリアにしたことが尾を引いているようだ。
今は座学ね。
「広人……お前また私服で学校来やがったな!」
「何度も私服で登校してる。もう私服が制服でいいと思うんだ。つまり、今俺が着てる服は実質制服だから」
「それはお前の中ではだろうが!」
「大観覧祭に制服はない。服は自由だからな、戦闘訓練もそれに寄せていった方がいいだろ?」
「……それは一理あるな。だが、却下だ。ここは学校だからな!」
こだわるなぁ……
まあ、ルールは守れ、それを言うのが教師の仕事でもあるからな。
「はぁ……席つけ。まったく、困った生徒だ」
「個人戦出てやるから、それでチャラな?」
「……赤までは倒せよ?」
欲深だなぁ……
あ、家倒壊しちゃったんだったな。
そりゃ金必要になるよなぁ……
「赤まででいいのか?お前が望むなら優勝してやってもいいぞ?」
「お前、目立ちたくないんだろ?」
「赤倒すのでも十分目立つんだよなぁ……」
「いや、問題ないはずだ。紫と青には、赤以上を倒す望みがないとされ、救済措置があるらしいからな」
そんな特殊裁定が下っているのか。
紫と青は特別舐められているな。
「そろそろ座れ。続けるから」
「うい〜」
席に座り隣に座る少女に視線を向ける。
「来ないものだと思っていたわ」
声を潜めて話しかけてくるフィリア。
「結局あの後大丈夫だったか?結構キツめのを何発か入れてたが……」
奏未が診てくれたから今は問題ないと知りつつも、そう訊ねてしまう。
「他の問題は……頭蓋骨にヒビが入っていたくらいよ。あと、ただでさえ小さい胸が縮んだことね」
当てつけのように俺にそう言うフィリアは、俺に優しい笑顔を見せる。
「胸が縮んだのか、それは大変だな。そういえば、揉めば大きくなるって話を聞いたことがあるぞ?」
「流れるようにセクハラするわね。まあ気にしないけど」
アドバイスだ、他意はない……はすだ。
「この後夢花もらっていいか?」
「いいけど……駆け落ち?」
「互いの両親から早く結婚しろって言われてる」
多分他の誰もがしたことのない否定をしたな、俺。
「ならサボりね」
「今回はちゃんと事情があるから」
「今回はってことは、これまでにサボったことがあるってことね」
「どうだろうな」
やっぱりフィリアは思考誘導しやすいな。
「今回は……うん」
「大した事情じゃなさそうね」
大した事情だが、簡単に誘導できて助かった。
今回は興味すら持たせない。
この件には関わらせたくないからな。
八田月が話終わるのを待って、座学の次は実践に移るわけだが、その間の移動時間、俺は夢花を連れ出した。
ついでに八田月も捕まえる。
訓練監督がいなくても、しっかり者の委員長がいるし、問題なく訓練は進行するだろう。
八田月が応接室の扉を閉めて、自分の机から持ってきた資料を目の前の机の上に置く。
「ったく……連れ出し方が強引なんだよ、お前は」
「悪いな」
真剣な眼差しを見せる夢花と、机の資料を覗く。
「それで、こいつが昨日の被害者だが、以前とは打って変わった」
「隠す気がなくなったな。狙いは能力者か」
「今回が赤。じゃあ次は……」
「おそらく黒だな。ここまで順当に来ている」
「今回と前回とで、それ以前よりさらに期間が短くなっているな」
「今日起きる可能性も否定できなくなったな……まいったなぁ……」
事件の内容を聞いていた夢花、事件の資料は集められるが直接動けない八田月、そして俺は頭をこねくり回して、敵の手口、実力の分析に勤しむ。
「準備はまだまだ整ってはいないが、一応石垣をいつでも動かせるようにしてある」
石垣、あいつも軍関係者だったな。
石垣は高校時代の(と言っても去年まで高校生だったが)八田月の担任を3年間務めた教師だ。
「あいつ、別の高校行ったんだろ?すぐに動けるのかよ?それに研究所とはうちより距離があるだろ」
「だからすぐに動けるように、すぐ近くに潜伏させてあるんだよ。あいつは一応軍関係者だが、それでも手を出すなとは言われていないからな」
それは良かった。
八田月が動いてしまうと、軍規違反で銃殺刑もありえるからな。
逃げるにしても、やはり軍という情報網を失うのは痛手だ。
当然八田月が手塩にかけていた俺たちも、一緒に狙われることになるだろう。
そういう事情もあるし、石垣が動いてくれて助かった。
「もう配置についているのか?」
「ああ。今すぐにだって動ける」
「それはありがたいが、まだ俺の準備が整っていないし、敵の戦力さえまるで分かっちゃいない。攻め込むのは後日になりそうだ」
「そうか。それなら先に、佐鳥を石垣と顔合わせさせよう。佐鳥も配置につけておいた方が、敵に逃げられるリスクは減少する」
夢花もそれに同意するように頷く。
夢花は戦闘向きではないが、妖精さんとかなんとかで、追跡には自信があるらしい。
敵の実力が測れない内は動いてほしくないからな、配置に俺は反対だが、夢花の気持ちを無下にすることもできない。
「石垣にはできる限り動かないように言ってくれ。夢花が追跡し、俺が仕留める」
「それができるかは相手次第だがな」
「ああ。そのためにも、敵の痕跡を探す必要がある」
これまでの記録、事件が起こった場所、その手口の痕跡を見つけるために、俺たちは再び資料を眺める。
「ヒロ君、これって……」
夢花はその中で、昨日起こった事件の写真の端を指差す。
注視すると、そこに小さな紙のようなものが落ちていることが分かる。
「昨日攫われたやつの能力はなんだ?」
「これだ」
八田月は俺の声にすぐに資料を差し出す。
階級“赤”、能力は、装備作成。
この能力はその名の通り武器や防具を作り出す能力だ。
得意とする装備は鎧。
赤の能力者が作り出した鎧を砕くのは、暗技を以ってしても困難を極めるだろう。
そんな人物をどう攫った?
答えは簡単、この紙、それは俺の時と同じものだ。
「この紙だ……これを複数ばら撒き、そこに何かガスのようなものを発することで、人の頭の働きを妨害する」
その何かがその紙に触れることで、無数の響く不思議な音を発する。
俺は能力者じゃないからまだ抗えるが、能力者では能力が使えなくなり、能力の暴走を防ぐためか、それともあまりの頭痛のせいか、意識を失ってしまうらしい。
「これを開発した博士がいるのか、それともこの技術はすでに知れ渡っているのか……どちらにせよ、これで以前と方法が同じだと分かった」
「あまり賢くはなさそうだよねー。前回と同じ方法で隠しきれるわけがないのにねー」
「そうだな。前回は最終的に八田月が嗅ぎつけた。それを評価したからこそ、軍は八田月を引き入れた。それは国の上層部なら誰でも知っているし、研究所にその情報がいってないとは思えない。その前例は、辿り着けることの裏返しだというのにな」
「そうなると、相手の考えが足りないか、誘っているのか、だねー」
八田月が実際に現場に行けない。
だから気付くのが遅れてしまったが、答えは出た。
「前者だな。研究に目を晦ませてしまったんだな。最初期は完全にランダムで時と場所を選んでいた。それに相手も幼い子どもをカメラにも映らないように攫っている。だが、今は荒く、雑だ。証拠になり得るものを残し、範囲だって狭くなっている」
研究が上手く進んでいる時は次へ次へと急ぎたくなるが、そのせいで痕跡を残してしまっているんだな。
「しかし、それでは誘っていないとは言い切れないだろ?」
「いや、言い切れる。俺はあの日、研究所から脱走した日、そこにいた全ての博士を殺した」
生き残りの博士は、その時そこにいなかった二人の博士のみ。
その内の一人は俺が来る前にそこで反旗を翻し、そこを離れる羽目になったらしい。
つまり生き残りの博士は実質一人だ。
「俺を知っている博士は一人、だが、そいつは俺の知る限りでは、研究所に戻ってなければ日本にさえ戻っていない。たとえこれがかつての事件と繋がっていたとしても、やつらの全てが関係者ではないだろう」
「だが、その博士の情報がお前の情報網から漏れ出てしまった可能性だってある」
「それはないな。何せ、ここまでのことをしても俺が動く保証がないからな。俺を狙うのなら、あいつは夢花を連れ去るだろうよ」
「……それもそうか」
「今回は能力者を欲しているだけだろう。まあ、研究所自体が異常性を研究する場所だからな。穏やかな研究ではないはずだ」
敵戦力が大分見えてきて、必要最低限の準備が分かってきた。
今晩中に準備を終えて、明日には乗り込めるな。
準備に必要なものを揃えるために買い出しに向かおうと部屋を出ると、そんな俺を部屋を飛び出してきた夢花が呼び止める。
「どうした?」
「やっぱり……行くんだ……」
そう言う夢花は、悲しそうで、苦しそうで、なぜ夢花がそんな表情をするのか、俺には理解できない。
「俺のことなら心配いらない。お前だって分かってるだろ?俺が不死身の異常性を持ったobjectだってことはさ」
「そんなことは、心配してないよー……」
ならなにを気にしているんだ?
「私は……ヒロ君がまた人を殺す、そのことが苦しくて……」
俺たちが終わらせなければならない因縁、その一つにケリをつける。
俺はそんなことばかり、考えていたんだ。
これで夢花の肩の荷が下りるだろうと、勝手にそう思っていた。
夢花は、俺が自分のせいで苦しんだんじゃないかと、ずっとそう思い詰めていると思っていた。
もちろんそれもあるだろう。
しかし、一番気にしていたのはそんなことじゃなかった。
俺が人を殺すこと、そのこと自体が夢花にとっては重荷になっていた。
だが今更、俺は俺の生き方を変えられない。
俺はすでに人を殺してしまった。
「……ねえ。本当にまた、殺しに行くの?ヒロ君はもう、人を殺す必要はないはずなのに……それでも、行くの?」
そう言ってボロボロの笑顔を見せる夢花は、今の俺の生き方そのものが嫌いなんだろう、そこには葛藤としか表現できない、それでは表現し切れない感情が、優しく厳しく俺にぶつけられる。
「ああ。俺は行く」
俺は変えない。
もう変えられないし、今更変える気もない。
「殺してしまってからでは、もう遅いんだよ。俺はすでに人を殺してしまった。もう人の道から外れてしまっているんだ。そんな例外となってしまってからでは、再び輪の内に戻って行くことなんてできない」
一度罪を背負えば永遠にそれに付きまとわれることになると、夢花にだって分かっているはずだ。
「ごめんね。私、変なこと、聞いたよね?」
「いや、何も変なことじゃない。それを願うのは、人として至極当然のことなんだ」
表情を和らげた夢花は、瞳を震わせながらも俺の瞳を真っ直ぐ捉える。
「こうして強がってはいるが、実際例外として目を向けられたら、きっと耐えられない。人として向き合ってくれて、ありがとう」
結局俺は、夢花に背負わせることしかできないんだな。
夢花自身、俺に歩みを合わせてくれているが、そうさせてしまっているのは、かつての事件あってこそだろう。
そんな夢花に、俺は何を返せているだろう?
願いを聞かず、人を殺し続ける俺、振り返れば振り返るほど、最低なやつだな、俺という存在は。
確認するのが怖くて、夢花に直接訊ねることさえできない。
ただ少し話せばいいだけなのに、それでも口が動こうとしない。
「それじゃあ……またね、ヒロ君」
遠ざかっていく夢花の背中。
夢花は勇気を振り絞った。
だというのに俺は、その背中に声をかけることができなかった。
商店街で短冊、筆、インクを入れる用の空のビンを買い、作ってある分の札を確認する。
昨日事件があったのはこの近くだったな。
少し見てみようと思ってそちらに足を向けるが、腹の虫が鳴いて、足を向ける先を変える。
弁当があるからな、どこか座って食べられる場所があればそこでいい。
商店街に戻り、人だかりの横を抜け、八百屋のおじさんに挨拶する。
「お、ヒロ坊。リーラの嬢ちゃんなら今は客引きしてるぜ」
あの人だかりはリーラに集まったものだったのか。
「迎えに来たわけじゃない。食事の場所を提供してもらいに来たんだ」
「まさか、商店街をそんな風に利用しようなんてなぁ……誰も思い付かねえよ」
食べる場所ではないからな。
「ちょっと待ってろ。嬢ちゃん呼んでくるからよ」
「気にする必要はないんだがな……」
この暑い中突っ立っているだけなのも苦痛なので、血を魔力に変えて発動した冷却魔法で涼み、のんびりとその様子を眺めている。
さて、リーラを人だかりから引っ張り出したおじさんは、リーラと俺を奥の部屋へと通して、扉を閉めて押しかけた客の相手をしている。
リーラはいったいどんな客引きをしたのか、何をしたらあんなにも人が集まるのか、その手腕は気になるところだ。
「広人さん、こんにちは、です」
「おう。どうだ、調子は?」
まあ、聞く必要もないだろうけど。
「かなり人が集まってきたですよ。接客とはこれほどまでに大変なことだったですか」
あれは接客というより動物園のふれあい広場とかの方が近いと思うんだが……まあいいや。
「俺は基本裏方だから詳しくは分からんが、まあ大体そんな感じだ。それで、お前を悪魔だって気付いたやつ、どれくらいいた?」
重要なのはそこ。
狩人なら十中八九気付くとは思うが、一般人がどれほどの感覚を持っているのかは分からない。
気付けない人の方が多いというのは間違いないだろうけど、しかし気付く人がいないとは言い切れない。
それを確かめる必要がある。
「おそらくまだ誰にも気付かれていないです」
これまで過ごしてきて分かったことだが、リーラの感覚は鋭敏だ。
たとえどんな状況に置かれようとも、他者を冷静に分析することができる。
それは大阪で、一刀と向き合って無事だったことからも明白だ。
だからそのリーラの言葉は信用できる。
髪を上げて耳を見るが、その耳は人間のように丸い耳をしている。
リーラが不思議そうに首を傾げるが、そんな動作にさえ、悪魔独特の流れを感じさせない。
家では耳を尖らせているが、外ではこうして人間を演じていたのか。
「えっと……少しは悪魔の部分を出してもいいんだぞ?」
気付かれても気付かれなくても、正直リーラが受け入れられればどっちでもいい。
おそらく多少の人が気付いたところで、警戒はするだろうが、敵意を見せなければ殺されることはない。
馴染んだもん勝ちだ。
「それは分かっていたですが、不安は可能な限り減らしたいですから」
「まあ、好きにすればいいさ。不安ならうちにいても構わないよ」
優しく笑ってリーラを撫でると、リーラは俺に身を委ねてくる。
無限に撫でていられるが、そうもいかないのが今の俺の状況なんだよな。
食べ終えた弁当を片付けながら、様々なことを同時に思考する。
もう正午は回った。
これまでの事件の発生から予測するに、もういつ攫われてもおかしくない時間、いや、もう起きていてもおかしくない時間だ。
俺は片付けた弁当をリーラに預ける。
「いいか?俺か奏未が迎えに来るまで、絶対に帰ろうとするんじゃないぞ?」
「分かっているです」
「俺の携帯を渡しておく。帰りたくなったら奏未に電話をかけろ。やり方は分かるな?」
「分かるですよ。広人さんが使うところを何度も見ているですから」
とりあえずリーラの方はこれで心配いらない。
あとは……
「それじゃ、俺は少し野暮用で出る」
「どんな用事か分からないですが、いってらっしゃい、です」
「ああ」
鞄をリーラに渡した俺は、作成してあったお札を懐にしまい、店の外へと足を向けた。
まったく……このオレが人を殺す宣言したやつをみすみす行かせるわけがないんだよな。
魁人を追跡するオレは、通行人の足音を装い、一定間隔で鳴らし続ける。
それも、魁人との距離から、自らの距離を偽るように、だんだんと音を小さくして離れていく足音を真似たり、逆に足音を大きくして近づく足音を演じたりする。
しかしどこかで気付かれたのか、もしくは追跡してくることを予測していたのか、角を曲がると姿が見えなくなっていた。
しまった……
周囲の流れを読んでみても、乱れに乱れた流れでまったく分からない。
オレ対策は抜かりないな。
クソッ!ここまでか……
行き先は決まっているから、親父に場所を聞いておけばよかったな。
「さて、仕方ないから餌でも探すか」
すぐに切り替えオレはオレの目的のために動く。
あいつにばかりかまけてはいられない。
商店街に立ち寄ったのはリーラの様子を見るためって側面が強い。
俺は今、日溜の家の方角に足を向けている。
昨日の事件は日溜の家からさらに少し先に行った場所で発生している。
この時間帯は日差しが強いな。
うんざりしながら歩いていると、電線工事の車両を見かける。
高所作業車だったか?
リフトを伸ばしているから、すぐに目に付いたよ。
電線がかかっていないようだから、張り替えなのかな?なんて思いながら近づいてみると、そこの道は通行止めになっており、砕かれた地面や壁が目にとまる。
なんだ、これ?
戦闘の跡のような、それに、昨日起きたとかなら、電線の張り直しくらいは済んでいるだろう。
つまり、これは今日の間に起きたことだ。
ニュースになっていない、情報がほとんど出回っていないらどうなってる?
「あ、君ぃ……危ないから離れていなさい。今電線を外すところだから」
警察が通行止めにし、道路整備会社と電力会社で修復作業を進めているが、どこか急いだ様子があり、それはこうなっていることを隠そうとしているかのようにも見える。
「何があった?」
警察官に訊ねるも、戸惑ったように顔をしかめるだけ。
俺は制止を振り切り侵入禁止のテープを越えて中へと飛び込む。
ここで何が……
辺りを見回し立ち尽くしていると、瞳に鈍い痛みが走り、急速に紅く染まっていく。
不思議な映像が流れる。
見たことのないはずの映像、イギリスで見た夢に既視感があるな。
おそらくこれは過去の出来事。
目の力が発動したのか。
映るのは秋。
しばらくすると黒ずくめの男たちが現れ、彼らは秋と交戦する。
紙をばら撒かれたが、それを風で吹き飛ばすことで能力を封じられるのを躱した秋だが、男たちは普通に戦っても強かった。
空中に逃げようとするが、空中から攻めてきた男に叩き落とされ、そのまま包囲され、最後の悪あがきとばかりに風の刃を暴れさせるも、彼らは異様な反応速度で躱し、2度目の能力封じで気絶させられ車の中へと運ばれていった。
まだ日がまだ登っている途中だということから、午前中の出来事のことだと判断できる。
日の傾きから考えるに、今より3時間以上前だと予想。
結構時間が経ってる。
俺の時と同じなら、連れ去られてからしばらくは猶予がある。
だが、成果を急いでいる様子の見られる誘拐だ、実験開始も俺の時のようにはいかないだろう。
まずいな……
このままでは、秋が危ない!
視界が切り替わると、すぐさま俺は駆け出す。
侵入禁止の忠告を無視した俺を捕らえようとしていた警官の腕をすり抜け、第四研究所、その方角へ向けて、地を蹴り屋根に飛び上がり、そのまま真っ直ぐ走る。
紅い瞳、それにより生まれた魔力、それを存分に利用して、焦りを怒りを滲ませて、ひたすらに走る。
「頼む!無事でいてくれ……!秋!」




