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8.ミザリー・クラウツとの取引

 私が仕事を強請ったからだろう。

 アイゼンハルト院長は「それならば」と積極的に仕事を渡してくれるようになった。


 (やっちゃったなぁ……)


 アイゼンハルト院長は、侯爵であり行政院長という立場からして王家と関わりが強い貴族だ。


 つまり、没落したとバレて王家に告げ口をされてしまえば一発アウトの相手。

 家の再興のために働いていると知られたらまずい。


 だから咄嗟に強く拒絶してしまったわけだけど、逆に怪しかったかも……


 私は嘘を付くのが苦手で、急には取り繕えない。


 ミザリー相手の時はバレてたので観念して素直に事情を話してしまったが、アイゼンハルト院長には急だったのもあって取り繕おうとして失敗してしまった。


「変だと思われて調べられていたらどうしよう」


 私はこの一週間アイゼンハルト院長の動向を気にしっぱなしなのであった。

 

 (嘘をつけないから、咄嗟に言及されそうになると本音が出そうになるんだよね)

 

「本音?」

 はたと私は思考を止める。

 

「あの“そういうの要りません“が本音なの?」


 遊びなんて要りません。

 そういう心配なんて要りません。


「え?あれ……?」

 

 遊ぶ事を頑なに否定するような自らの言葉。

 それって、意地になってるみたいじゃない。

 本当は遊びたいのに、違うと言い聞かせたいような……

 

 弟と妹達は可愛いから世話をするのは苦ではない。


 家が火事になってアルバイトすることになったのも、店の人と仲良くなれたし、庶民の生活を知れたし新鮮な体験だった。


 試験勉強は別に楽しくなかったけれど、行政官になれれば家族全員が幸せだ。

 もちろん、私も含めて。


 今だって自ら望んだ行政官になれて日々は充実している。

 ミザリーという友達だってできたし、アイゼンハルト院長は良い人だ。


 仕事は頑張れば認めてもらえる環境にいる。

 

 どれも嘘じゃない。本音なのに、私のあの強い拒絶も本音?

 消化できない何かがあるみたいに頭の中がモヤモヤする。


 コツ、と背後から足音が聞こえて私は急いで振り返った。

「院長!すみません!」


 2人分のコーヒーを持っているアイゼンハルト院長がいた。

 

 普段使いのカップではなく、ソーサーが付いている物なんて珍しい。

 良いカップなので、普段使いして良いのだろうか。


 テーブルに置かれると、なぜソーサー付きの物で出されたのかがわかった。

 ソーサーにちょこんチョコレートが置いてあったのだ。


「このチョコ来客用のじゃ……」

「先日来た貴族に出したものの残りだ。食べても問題ない」


 残り物で悪いがな、とアイゼンハルト院長は私の隣に椅子を引いて座った。


 院長室は広いので特に何も思わなかったが、秘書室は資料が所狭しとあるのもあって広くない。

 隣り合わせで何かを飲むことなんて初めてで、私はなぜだか緊張した。


「ここ一週間残業し通しだがどうだ?」

「大丈夫です。問題ありません」

「それは良いことだ。引き続き——」

「励みなさい、ですか?」


 ずず、と彼がコーヒーを啜った。


「そんなに言っているか私は」

「そうですね。部下と話す時は口癖のように言っています」


 注意する時は「もっと励みなさい」と言うし、褒める時も「これからも励みなさい」と言う。

 別れの挨拶に使う時もある。


「スピーチでもよく使ってます。「ますます励むように」って」


 じとりと彼は珍しい目をした。


「もっと頑張れと言うから、前の秘書に嫌がられたのだろうか」


 最近知ったのだが、アイゼンハルト院長は秘書に5人辞められた事をいたく気にしているらしい。


「分かりませんが、院長が悪いわけじゃないかもしれません」


 分からないことがあって私は前任担当者に聞きに行く事がある。

 前任担当者は何も分かっていないことも多いし、就業時間の30分前になると帰り支度をしていて煙たがられる。


 正直仕事に対してやる気がない。

 就業時間の30分前に帰り支度を始める秘書と、テッペンまで仕事をしている院長の仕事の仕方が合うわけがない。


 そう、この人、テッペンまで仕事しているのだ。


 内務局長と帰りにばったり会った事があるのだが、アイゼンハルト院長は行政院に隣接している邸宅に住んでいるらしく、ほとんど寝に帰っている様なものと聞いた。


 私は初日7時に来たのだが、その時にはすでに居たので何時に出社しているのだろう。


 というかちゃんと寝てるのあの人?!?


「励むように、を何か別の言葉に言い換えられないだろうか……」

 うーん、と悩んでいるアイゼンハルト院長。真面目だなぁ、この人。


「そんなに気を使わなくても良いと思います。私は嬉しいですよ、励むようにと言われて」

「そうか。君には少し言葉を選ばなくなっている。気になる事があれば言いなさい」


 それって気を許されてるって事なのかな。少し嬉しい。


「分かりました!でも私相手は本当に気にしなくて良いですから!何でもお任せ下さい!」

「ありがとう」


 彼がチョコレートを口に入れたのを見て、私も真似してみた。

 コーヒーの熱でチョコレートがとろとろと溶けて、甘かった。


 ***


 この子は本当に頼りになる。


 バリバリと仕事をこなす彼女を見て私は感心する。


 体力もあるし仕事の覚えも早い。

 もの凄くありがたい。

 他の局に取られなくて良かった。


「院長、確認お願いします!」


 午後8時だというのにこの明るさ。


 良い子すぎる。

 なんだこの子。

 もう絶対に他の局に異動させたくない。 

 内務局長になんと言われようと手元に置いておく。


 私は相変わらず遅くまで仕事をしているが、彼女が秘書として大活躍してくれているおかげで不祥事の処理に早めに片がついた。


 これからは組織の改革に注力する事ができるだろう。

 本当にありがたい。


「グリューンヴァルト行政官、もう帰りなさい」

「でも院長はまだお仕事があるのでは……」

「これは私にしかできない事だ。もう君に頼むことはない」


「承知しました」

 彼女は手を止めて帰り支度を始めた。


 仕事をしやすい相手と仕事をするのは、ストレスが軽減されて効率が上がる。

 何度も言うがありがたい。


 けれど私の口は感謝すらも簡単には示せないらしい。

 一方の彼女は「お先に失礼します。明日もよろしくお願いします」と黄色いリボンを揺らしながら帰って行った。


「良い子すぎないか……?」


 どう育てたらあんな子に育つのだろう。

 ご両親の顔を見てみたい。

 ますます彼女の出自が気になる。


 私が戸籍局の前を通り過ぎると、グリューンヴァルトと仲が良いミザリー・クラウツが1人仕事をしていた。


「他の者はどうした」

 

「アイゼンハルト行政院長!」

 驚いた顔で頭を下げる彼女。


「特別行政官は全員帰りました。一般行政官の先輩方は他部署との懇親会があるそうで、戸籍課は私だけです」

 

 彼女の持っていた資料を見た。

 私は元戸籍局の局長だ。


「そのくらいの仕事なら、特別行政官にもできるだろう。明日やらせなさい」


 そう言って、そこら辺のメモに要件とサインをして渡した。

 院長から仕事をしろと言われればさすがにやるだろう。

 

 ミザリー・クラウツの特徴的な三白眼は四白眼になっていた。

 

「院長自らありがとうございます」


「理不尽なこともあるだろうが、懸命にやっていれば誰かが見ている。

 実際、戸籍局長からの君の評価は高い。期待している。励みなさい。

 ……ところで、君はロゼッタ・グリューンヴァルト行政官と仲が良いそうだな」


「はい」


「込み入った話をしたい。院長室まで着いてきてくれ」


 ミザリー・クラウツは困惑しながらも私に着いてきた。

 

「彼女とはどこで知り合ったんだ?」


「試験会場です」

「特別行政官と一般行政官の君達がか?」

「ロゼッタは一般行政官ですが」


 院長室の戸を閉める。

 

「貴族なのに?」


 ミザリー・クラウツは息を呑んだ。


「……知ってらしたんですか」

「戸籍課の君なら貴族の名簿を見ることもあるだろう。私も然りだ」


 なぜ記憶しているの、とミザリー・クラウツは呟いた。


 戸籍局戸籍課の職員、もしくは戸籍局長でなければ戸籍の閲覧は基本できない。

 院長でさえそう簡単ではなく、閲覧するには閲覧名簿に履歴を残す必要がある。


 ミザリー・クラウツは閲覧名簿に私の名前のなかったため知らないと思っていたのだろう。


「ロゼッタ・グリューンヴァルトは貴族である事を隠しています。口外しないでいただけないでしょうか」

 

「元より口外する気はない。

 むしろ、君にはロゼッタ・グリューンヴァルトが貴族である事を知られないようにして欲しい。

 もしやってくれるのであれば、私の権限でできる範囲の望みを叶えよう」


「一介の行政官にそこまでするのですか……?」

「彼女は手放すには惜しい人材だ」


「本当にやるとするならば、彼女の部分の戸籍を見つからないようにしたり、最悪、文章を改ざんしなければなりません。不正をしろと?」


「そうだ」


 信じられない、と彼女は手で口を覆った。


「内務局長と君という、事情を知っている2人がバラすなと言う。

 つまり、バレたらグリューンヴァルトがここを去らなければならない可能性があるのだろう。それは阻止したい」


「で、ですが……せめて彼女から事情を聞いてから……」

 

「君の言うことは最もだ」


 ミザリー・クラウツは目を瞬かせて私を見る。

 彼女の瞳に映る私はどんな表情をしているというのか。


「しかし、ロゼッタ・グリューンヴァルトが話せるようになるまで私は無理に聞かないと決めた」


「……」


「好きなものを言いなさい。私が与える事ができるのものなら惜しみなく与えよう」

「そんなにも好きなのですか?ロゼッタが」


 彼女の言葉が意外で、私は一瞬言葉に詰まった。

 呆れて一呼吸おいたかのように装って、ため息を吐く。


「私は5人の秘書を辞めさせている。私と相性の良い人間は珍しいだろう」

 

「分かりました。私にとっても彼女は得難い友達です。できる限り協力します」

「ありがとう」


「ロゼッタも院長の下で働けて喜んでいました。相性が良いんですね」


「どうだかな」

次回 ロゼッタは同期一般行政官との飲み会に参加します。貴族である彼女はその時みんなと上手く馴染めず……


院長の紹介を忘れてました。

ヴォルター・アイゼンハルト:行政院長。代々行政院長を務めるアイゼンハルト家当主でもある。

アイゼンハルト家は王家と古くから付き合いのある由緒正しい侯爵家である。

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