7.憧れ
翌々日、私はもう階下までコーヒーを運ぶことは無かったためいつも通り出勤した。
「ロゼッタ」
バタン、とドアが閉まる音と共に声が聞こえる。
振り返ると、同期の男が立っていた。
「な……なんであなたがこの階に」
4階は関係者以外立ち入り禁止とドアに張り紙があるが、別に入れなくはない。
関係者ではないと分かれば咎められるが、バレなければ入れる。
「お前の許可なんていらない」
「関係者以外は入れないって……」
「お前の指図を受けるつもりはない!」
もうコーヒーだとかどうでも良いのだろう。
私に指図されたのが気に食わないのだ。
女である私に。
「お引き取り下さい」
今この階にいるのは、私とアイゼンハルト院長だけ。
食い止められるのは私だけだ。
「もう用はないはずです!」
「……っ!俺はお前が好きなんだ!悪いか!」
「悪くはありませんが、気持ちにお答えはできません」
ハッキリ言うと、同期は鼻白む。
だが、懸命に言い返して来た。
「あんなに甲斐甲斐しくコーヒーを渡しに来たじゃないか!寄宿舎で寝泊まりする貧乏女は、俺みたいな優秀な男と結婚しておいたほうが良いぞ!」
「お断りします!」
「秘書だから、院長とどうこうとか考えてるのかもしれないが、そんなの無理……」
「私がどうかしたか?オットー・ヴェーバー行政官」
廊下で言い争う声が大きかったのだろう。
院長がやって来てしまった。
「アイゼンハルト院長。すみません、大きな声で。すぐに追い出しますので……」
私の言葉が聞こえないかのように、アイゼンハルト院長は私の同期を睨んでいる。
というか、なんで院長が彼の名前を……?
そう思った私と同じ疑問を同期の男も思ったらしい。
「なぜ俺の名前を……」
「今年の新人研修は私も見学させてもらった。名前と顔は一致している」
そう言えば私達の研修風景を院長は見学しに来ていた。
その時、研修員同士は名前を覚えやすいようにと名札を付けていたのだ。
「残念だよ、オットー・ヴェーバー行政官。こんな問題を起こす人間だとは」
「彼女からこの階に入る許可はもらっています!そうだよな!な!」
「いえ!この方は私に続いて勝手に入って来て……!」
「おい!調子に乗るのもいい加減にしろよ!」
「図に乗るな。私の秘書の業務妨害だ。出て行け」
「……っ」
「これ以上彼女に危害を加えるのならば、解雇だ」
一段と低い声で、アイゼンハルト院長は言った。
迫力に気圧されるように、彼は去っていた。
「すみません、お手数おかけしまし……」
「なぜ早く私を呼びに来ない」
「えっ……業務の妨げになるといけないと思いまして……」
彼は小さく息を吐いた。
「業務の妨げだとか関係ないだろう。すぐに私に相談すれば解決したものを……」
「すみません」
恐縮した私を見て、アイゼンハルト院長は口元に手をやった。
「……いや、この言い方は違う。なんと言えば良いか……」
どんな事を言われても真摯に受け止めて次に活かそう。
心の中でメモとペン用意し院長の言葉を待つが、彼はなかなか口を開かない。
「素直に仰って下さって構いません!」
「……心配するから、早く相談してくれ……」
「は……?」
彼の言葉に私はペンを落としそうになった。
驚きで固まっていると、早口で言い訳をするようにアイゼンハルト院長が話し始めた。
「違う、言い方を間違えた。君の業務の妨げになるような人間を排除するのは、上司である私の勤めであるから……それゆえ……」
額をトントンと叩いて何かを思い出そうという仕草をして、結局彼が絞り出したのは
「きちんと相談をちゃんとするように」
だった。
「承知しました。基本的なことができておらず申し訳ございません。反省します」
「相談を部下がしやすい空気は上司が作る必要がある。打ち合わせ後に、話を聞かせてくれ」
では、と彼は院長室に戻って行く。
その後ろ姿が少し早足な気がしたのは気のせいだろうか。
***
翌日、アイゼンハルト院長は私と同期の男……オットー・ヴェーバーから話を聞いたらしい。
会議室の外からオットー・ヴェーバーと院長の会話を盗み聞きした職員曰く、ほとんど事情聴取であったとのこと。
そして、私からも話を聞いたアイゼンハルト院長は小さくため息をついた。
何か言おうとしているようだが、何も出てこないようで気まずそうな顔をしている。
「あの……」
お互い向かい合わせに座って1分無言だった。
気まずかったため、私はついに声をかけた。
「どのような処分になるのでしょうか」
「それは君のか?彼のか?」
「両方です」
「まず、君に処分が下ることはない。どう考えてもオットー・ヴェーバーの言動に問題がある」
「分かりました」
「……」
これ以上何を言おうとしているのだろう。
少し逡巡したのち、結局彼は口を閉じて立ち上がった。
「あの、何か言いたいことがあるのではないですか?」
言葉少なな彼の言う事を聞き漏らしたくはないと思った。
そうするとアイゼンハルト院長は振り返り、目を逸らして言った。
「与え過ぎると、それが当たり前になる人間は多い。そして与えられなくなると、そういう人間は裏切られたように感じる。
結果、与えた側が悪人かの如く誹りを受ける」
私が善意で与えたコーヒーがオットー・ヴェーバーにとって当たり前になってしまった。
急に「もうやりたくない」という言葉を聞いて、彼は裏切られたように感じたのだろう。
「君の能力には正当な対価が支払われるべきだ。必ずしも無償で与えることが善ではない」
私がアイゼンハルト院長の言葉を咀嚼するために俯いたのを、彼は誤解したのだろう。
釈明するように付け足した。
「今回の事は君が悪いわけではない。悪いわけではないが、同じ事をすれば同じ事が起きる可能性がある、から……」
「正当な評価をしてくれる人に親切にすべきだと言う事ですね。アイゼンハルト院長のように」
私の目を見た彼は少し笑みを溢した。
「損得勘定だけで動くようになっては人間終わりだが、私に優しくすれば、評価という正当な対価を君は受け取る事ができるだろう」
励みなさい、と、今度こそ彼は振り返らなかった。
今の言葉は、色々な経験をして、考えて、悩んで、傷ついたからこそ出た言葉なのだろう。
それらを全て乗り越えて行政院長になった人なのだ。
そのためには努力も不可欠だったはずだ。
こんな言葉を使う人間が、コネだけで行政院長になったとは思えない。
彼は確かに厳しいが、厳しさの中に相手を思う優しさがある。
嫌がらせなんて、そんな子供みたいな事をするとは思えなかった。
他の特別行政官とは違う気がする。
あの人のようになりたい。
初めて抱いた憧れだった。
私は彼に追い付きたかった。
(隣に立てるような人に——)
***
私は先日彼女に言ったことを後悔していた。
確かに私は「励みなさい」と言った。
言ったが、ここまで励むとは思わなかった。
ロゼッタ・グリューンヴァルトは勤勉で、そして触れ込みの通り優秀だった。
更なるやる気を出した彼女は、ただメモを取るだけでなく私に質問をしたり、恐らく家でこの国ことや行政院のことを勉強している。
私が気遣わずとも話がスムーズに通るようになったのだ。
もう辞める心配はしなくて良さそうだが……
「くれぐれも、無理だけはしないように」
「はい!大丈夫です!」
彼女に頼むことのできる業務はたった2ヶ月で格段に増えた。
私は秘書がいなかった分今まで仕事をセーブしていたが、院長の仕事というのはやろうと思えばいくらでもある。
この行政院と王家、ひいては国全体を良くする仕事は限りがない。
まずは腐ったこの組織を一新させることを始めたわけだが、あらゆる局の上層部から反発を受け、改革はなかなか進まなかった。
(地道にでもやってやる。これをできるのは、行政院長の私しかいないのだから)
そうして懸命に仕事をしていたわけだが、院内で不祥事が起きた。
それによって、この行政院を直接管理している王家分家である、アルテンブルグ家から行政院長として監督責任を問われ、業務改善や体制の見直しを命じられたのだ。
つまり、面倒な業務が一気に降りかかってきて、改革が進まなくなった。
(アルテンブルグも他の四公爵家に今回の不祥事のために何かやっているところを見せる必要があるから、こんな面倒な業務命令をしてくると思いたいが……)
それにしてもやるべき事が多い。
アルテンブルグ家もアルテンブルグ家で腐っており、行政院が力を持とうとするのを恐れて変な嫌がらせをしてくる事がある。
今回も絶好の嫌がらせのタネを見つけたと思われている気がした。
こういう内輪での足の引っ張り合いは勘弁願いたい。
全く効率的ではない。
「アイゼンハルト院長」
「……」
「何度も申し上げている通り、私にも残業させて下さい」
「……残業することは良いことではない」
「承知しております!ですが、私は行政院長の秘書です。院長をサポートするのが仕事。
他の局の同期は残業しております。他の行政官と同様に仕事をすることは、おかしなことではありません」
こんなやりとりはここ数週間何度も行われていた。
私は毎度の如く何も言わないでいると、彼女の声が曇った。
「……そんなに頼りないでしょうか」
「違う、そういうことでは……。業務外にやりたいこともあるだろう。王都には遊ぶ場所もたくさんあるわけであるし……」
「そういうのは要りません」
硬い声で拒絶するように彼女は言った。
明るい彼女らしくないワントーン下がった声色に、私は触れてはいけないものを感じた。
しかし、次の言葉は彼女らしいものだった。
「お気遣いありがとうございます。でも今は仕事を一番頑張りたいんです!王都は宮廷学校時代に行った事があるので大丈夫です」
「……そうか」
それ以上踏み込むべきではないと判断して、私は身を引いた。
業務に関係ないプライベートな部分を興味本位で聞き出すべきではない。
だがその声は、明るい彼女が見せた初めての表情のような気がして、どうしても私は気になってしまったのだった。
次回 アイゼンハルト院長はミザリーにとある事を頼みますが……




