6.コーヒー
先日、私はクール系行政官になろうとして失敗した。
体調が悪くないかだとか、パフォーマンスを下げないように休めだとか言われてしまった。
優秀な行政官として上司に心配かけるのは良くない。
私は私らしく元気にやっていくことにした。
「おはようございます!」
今日も元気に仕事仕事!
階下ですれ違った行政官に挨拶する。
「おはよう、グリューンヴァルトさん」
一般行政官の同期に挨拶を返される。
その顔が死んでいて、心配になった。
「どうしたの?!朝から元気ないわね」
「仕事なんだから朝から元気な君がおかしいんだよ……」
「えぇ……?」
農民の朝は早い。
畑を耕してもらうための馬や牛の世話は早朝から始まるので、朝から働くのは当たり前だった。
その手伝いをしていた私としては、8時からの仕事なんてぐっすり寝たという感覚だ。
でも、みんながそうじゃないわよね。
この仕事を始めて思ったけど、私ってめちゃくちゃ体力あるみたいだし……
高貴な方達やお金持ちの人達が1日働くなんて大変なことだろう。
「4階のキッチンに置いてあるコーヒーが良い豆を使っているみたいで、すごく美味しいの!淹れてあげるわ!」
2階から4階まで上がり、ポットを持って2階まで下がって彼に手渡した。
「元気が出たよ、ありがとう!」
「それは良かったわ。仕事、頑張りましょうね!」
まずいまずい。
始業時間になっちゃう。
「おはようございます、アイゼンハルト院長」
その言葉と共にさっき淹れたコーヒーをサーブする。
「おはよう、グリューンヴァルト行政官」
そう言ってコーヒーを飲むアイゼンハルト院長。
今日は何も言わない。
始業時間前に2回コーヒーを淹れるわけにもいかず、私は同期のためにコーヒーを淹れた時3杯分作り、院長に出すときに温め直していた。
冷めてはなかったと思うのだけれど、彼のために淹れたのではない。
毎日コーヒーを飲んでいる人だ。こだわりがあって淹れたてじゃないと気づかれたかも……
心なしか睨まれている気もする。
打ち合わせが終わってもテーブルに置かれたコーヒーが飲みかけで「今日のは不味かった」と言われている思いだ。
院長のために淹れたコーヒーをついでに同期に出したならまだしも、同期のために淹れたコーヒーをついでに院長に出すのは良くなかったのでは。
ちくちくと罪悪感に苛まれた。
(いやいやそんな。考えすぎよね?)
そう思うものの、私も飲むと味が落ちた気がする。
仕事を始めても、もやもやして手に付かず私はもう一度院長室へ行った。
「おかわりはいかがですか?」
「いらない」
(やっぱりバレてるのかも?!)
打ち合わせついでに素直に言うことにした。
「すみません。実は先ほど出したコーヒーは淹れて時間が経っていて……美味しくなかったでしょうか」
「そんなことはなかったが」
「次からはアイゼンハルト院長のために淹れたてをご提供しますので」
「味にうるさいわけではない。眠気覚ましに飲んでいるだけだ」
「そうなんですか?でも休憩室にあったのは良い豆でした」
「以前の行政院長がうるさかったから踏襲しているだけだ。経費削減になるから、これを機に安いものに変えても良い」
なんだ、そのレベルだったんだ。
気にすることなかったのね。
秘書は院長のパフォーマンスを最大限発揮するために仕事をしているのだから、コーヒー一杯にも気を使った方が良いと思ってしまった。
「……そもそも君のついでじゃなかったのか」
「あ」
「以前も言ったが、君をお茶汲みにしたいわけじゃない。指示された仕事に励みなさい」
そんな設定を思い出して恥ずかしくなった。
本当に空回りにしてしまった。
「失礼しました」
(うわぁ、私の馬鹿!変に気を使わせてしまった!)
***
翌日
私が今日も元気に仕事場に行こうとしていると、昨日の行政官とばったり会った。
「昨日はありがとう。おかげで元気が出たよ」
「それは良かった」
「悪いんだけど、あのコーヒーすごく美味しくて。また持ってきてくれないかな?」
「分かったわ。始業後の手が空いたときに持って行くわね」
そうして4階へ行き、コーヒーを淹れて院長に渡す。
今度はこのコーヒーの残りを同期に渡すことにしたのだった。
カップを傾けると、飲む前に、ふ、と院長が笑った。
「……淹れたてか?」
「えっ?」
「少し気にしてみた。……良い香りがする」
ゆるりと弧を描く口元。少し下がった眉。
柔らかい。
この表情と言葉を見て、冷徹という人間はいないだろう。
目が合ってどきりとした。
銀色の髪に青い瞳だから必要以上に冷たく見られてしまうのだ。
笑えばこんなにも優しい顔をする人だと言うのに。
もっとこの人に笑って欲しい、そう思わせる笑みだった。
「もしお好みがあれば、その豆を探してきます!」
「だからない」
そう言い切った彼だったが、少し機嫌が良かったのかもしれない。
「……好みがあるとすれば、苦い方だな」
そう続けた。
今まで浅煎りで淹れていたので、今度から深煎りにしようと心に決める。
「君の好きで良い。あくまでついでだ」
そろそろ打ち合わせだぞ、と言われて私は急いでノートを開いた。
***
仕事は相変わらずきちっとした人で、あの後は柔らかい表情を見ることはなかった。
予定を間違えて伝えてしまい後で聞き直された時なんか
「秘書としてあるまじきミスだ。これでは君に予定の管理を任せられない」
と言われてしまい大反省だった。
(今度から絶対に間違えないようにしないと。口頭で言われたことは復唱して、書簡に書いてあるものはダブルチェックして……)
ノートに改善点を書き込んだ。
よし!明日からは大丈夫だ。
「あ、ミザリーお疲れ様」
寮の共有食堂でへとへとになっているミザリーを見つけた。
だいぶ遅くに帰って来た。
「夕飯食べる?多めに作ったけど」
「ありがとう、ロゼッタ……!」
着任して一月過ぎると、一般行政官としてこき使われ始めたのか、ミザリーの帰宅時間は遅かった。
黙々と夕飯を食べる彼女の愚痴は止まらない。
それを聞くたびに私は自らの仕事が楽な気がする。
「あんたの話聞いてると、院長がすごく優しい気がしてくる。そんなわけないのに」
「2人しかいないから仕事押し付けてくることもないしね」
「そうかしら?秘書なんてやろうと思えばいくらでも押し付けられそうだけど」
「まだ私じゃ力になれないのかもしれないわ」
アイゼンハルト院長のやっている仕事は責任の重いものばかりだ。
予定の管理もミスするような未熟者に重要な仕事は任せられないのだろう。
「だから、頑張って階下を往復して資料探しをするまでよ!」
嫌われているかもしれないけど、そんなこと気にしてもしょうがない。
好かれるように頑張るのみ!仕事だしね!
「よくやるわね……」
2人で紅茶を飲みながら休憩していると、ミザリーが「あ」と言った。
「昨日今日と戸籍局の同期にコーヒー渡してあげてたわよね、ロゼッタ」
「目ざといわね」
「同じ局の同期だからね。相手はあんただし」
「元気がないから昨日淹れて渡したらまた頼まれたの」
「なんかあの男怪しい気がすんのよね」
「怪しい?」
「疲れてしんどいときに優しくされて勘違いしてるというか……」
勘違い?どんな?
「妙に浮かれてて、私にあんたのこと聞いてきたし」
「そうなの?彼も秘書になりたいのかしら」
愕然とするミザリー。
「相変わらず頭の中お花畑ね。狙われてるんじゃないかってことよ」
狙われてる?
「私の地位を?」
「どうしたらそうなるのよ!!恋愛的な意味で!恋人になりたい相手として、ロックオンされたんじゃないかってこと!」
「え〜?コーヒー淹れただけよ?」
冗談でしょ?と軽く笑うが、ミザリーは真剣だ。
「疲れたところにその一杯が沁みちゃったんじゃないの?女慣れしてなさそうだし……実際どうなの?」
「どうって言われても……今恋愛どころじゃないわ。家計を支えるのに必死だもの」
「そんなこと言ってられないわよ。ロゼッタ22でしょ?あと数年したら行き遅れって言われるわよ」
「行き遅れてもしょうがないわ。結婚よりお金だもの」
「良い旦那様捕まえれば、金銭的な問題も解決するじゃない!」
そういえばお父様も行き遅れるんじゃないかとか心配していたっけ。
でも具体的なイメージが湧かないのよね。
面倒だわ……自分で稼げばいいんじゃない?
「じゃぁ、とりあえずお金持ちの人が良いのかしらね」
「それじゃあの男はダメね。仕事できるから出世する可能性はあるけど、貧乏庶民よ。貴族のあんたとじゃ生きてる世界が違いすぎて、苦労すること間違いなし」
そう言われて、私はその同期への恋愛的な興味を完全に失った。
万が一恋人になって欲しいと言われても断ろうと思った。
***
翌日も翌々日もコーヒーを頼まれて、私は少し嫌な気持ちになって来た。
もしこの人が私に気があってこんなことをしているのなら、無駄だからさっさとやめて欲しい。
そこまで時間がないわけではないが、私の業務が遅れることで、院長へ迷惑をかけるかもしれない。
けれど、本当に仕事をよく頑張っているみたいで、いつも疲れた顔をしている。
「君の淹れてくれたコーヒーは元気になる」だとか「コーヒーにはこだわりのある方だけど、淹れ方が上手だ」とか言われると、やってあげた方良いんじゃないかと思ってしまった。
別にアイゼンハルト院長と私のついでなわけであるし。
けれど……
「すみません。業務時間にわざわざ階下までコーヒーを持って行くのは業務の妨げになりますので、毎日はできません。これを最後にさせて下さい」
5日連続で頼まれて、ついに断ることにした。
院長に毎日コーヒーを淹れるのは仕事だとしても、同期に毎日淹れるのは仕事ではない。
「すみません、ご迷惑をおかけして」
良かった、分かってくれた。
そう思ったのに……
「僕が4階まで取りに行きますね」
「えっ。それは困ります。4階は関係者以外立ち入り禁止です」
「ロゼッタさんが入れてくれれば大丈夫です。コーヒーもらったらすぐ戻りますし」
「コーヒーを理由には4階へ上がる事は許可できません」
そう言うと、同期の男はため息をついた。
「許可できませんって。同期の中で院長の秘書という特別な立場に優越感を感じてるんじゃないか?」
「そんなことはありません。決まりです」
「こんなに優しくしておいて、そのくらいやってくれると期待させて酷いだろ」
「……そう思わせたなら申し訳ないですが、そのつもりはありませんでした。もう私に期待されない方が良いかと思います」
それでは、と私は踵を返した。
(嫌な顛末になっちゃったなぁ……)
同期とはできる限り仲良くしておきたい。
ただでさえ、私は他の同期と違う秘書という立場なのだ。
次回 いよいよ同期の男が暴走し……




