4.ヴォルター・アイゼンハルト
行政院の院長になってからここ一年間の事を私——ヴォルター・アイゼンハルトは思い出していた。
「今日の予定は」
「えっと……」
「早く確認してくれ」
「ローゼンベルグ行政区についての今年度の農業資料はこれだけじゃないはずだ。もう一度探しなさい」
「そんなたくさん無理です……」
「仕事だ」
「この程度の報告書では記録として役に立たない。赤を入れたから訂正して再提出」
「またですか?!」
(私の指示は間違っていただろうか?)
残業させ過ぎたのは反省したため、後半は業務量を絞っていたが
「厳しすぎる」
「傷つく」
「辛い」
と言われ困り果てた。
私が戸籍局にいた時から、特別行政官の使えなさは周知の事実であった。
特別行政官は貴族しかいない。
そして、行政官になる貴族は必ずしも優秀ではない。
多くの貴族子息や令嬢は地元で結婚したり就職したり、家業の手伝いをする。
国の中枢で働く行政官を志望するのは、地元で就職したくない変わり者か、家で就職できない奴が多い。
一方で、一般行政官は庶民の出身で、成り上がろうとする人間や、中枢でコネを作ってやろうという野心家がいる。
倍率20倍の難関試験にも合格しているし、皆賢い。
しかし、身分としては貴族の方が高いので、コネなどで出世するのは特別行政官である貴族達。
「この組織は腐っている」
私自身も貴族としてこの行政院長の地位を約束された人間だが、納得いっていない。
だから優秀な者であれば取り立てようとしているのに、昇進するのは結局特別行政官のしょうもない貴族ばかりだ。
結局今回連れてこられた新米秘書も貴族であった。
私は呆れながら彼女が帰った後の秘書室に入った。
驚くことに、部屋は綺麗そのものだった。
貴族なんてまともに片付けすらできない者が多いというのに。
「……変わった貴族だな」
動きも妙にキビキビしているし、仕事に一生懸命だ。
(彼女となら、上手くやれるかもしれない)
ふとそう思って自嘲する。
散々特別行政官には失望させられてきたではないか。
それでも、今までの貴族達よりはマシかもしれないと思った。
***
「おはようございます!」
彼女……ロゼッタ・グリューンヴァルトは朝から元気である。
夜型な私にとって、朝は辛い。
眠気覚ましのコーヒーがなければやっていられない。
朝、本日の業務の確認後にすぐにやってもらうのは、書簡の開封だった。
これは秘書として最も基本的な業務だ。
緊急度合い、重要度合いを見て、秘書が返事を書くべきか、私が直接書くべきか選別する。
次に予定の調整。
調整した予定を秘書は把握し、私に適宜伝える。
前任担当者が業務を放棄したため、全て私が直接教えなければならなかった。
「これは伯爵家以上の貴族だ。必ず私に回すように。男爵・子爵からの書類は君が一旦確認して内容を伝えてくれ。それで私が判断する」
「はい」
「言うまでもなく、王家の紋章の入ったものは私の方に。王宮で仕える官僚からの書簡は、君が返事をすること」
「はい」
内容を確認し終えたら、秘書に返事を書かせるものを私はロゼッタ・グリューンヴァルトに渡した。
「一枚書いてみてくれ。私がチェックする」
正直、ここまでやってこの行政官が使えない可能性を思うともう秘書なんて置くのを辞めようと思った。
仕事を覚え終わる前に秘書が変わるため、ここ一年ほとんど私自ら秘書業務もやっていると言っても過言ではない。
「いかがでしょうか」
「……」
なぜロゼッタはこんなにもビジネスマナーができるのだろうか……
優秀というのは勉学や頭の回転であって、こういうところは働き始めてから身につけるものだと思うのだが。
とはいえ、貴族とやり取りするビジネス文章にしてはフランクなので訂正をする。
「勉強になります!」
「そうか。励んでくれ」
明るい笑顔でそう言われた。
前の秘書達が酷かったからなのか?
すごく良い子じゃないか……?
いやいやいや、まだ分からん。
貴族はどうせ根性がないし、指摘されることが多くなれば不貞腐れるから……
「ここも直して欲しい」
「承知しました!」
「ここの表現が良くない」
「勉強になります!」
訂正した事をすぐ理解する頭の良さ。
そして、何より素直な返事。
やっぱりすごく良い子では……
「他にやるべきことはありますでしょうか!」
キラキラとした目で言われて、目が潰れそうになった。
今年の特別行政官は優秀な子ばかりなのか?
それとも、最近の子達は良い子ばかりなのか?
「このリストにある情報が載っている書類を階下から探してきてくれ」
今までこの業務を頼むと「重くて疲れる」と言われた。
私の父はこのフロアにある書類のみでほとんど業務を終わらせていたらしいが、もう少し内容を精査したい。
そしてこれは各局の仕事を理解する、秘書の勉強の意味合いもあった。
彼女は素直に従うと、1時間後戻って来た。
……両手で箱を抱えて、大量の書類と共に。
(多い多い!そこまで求めていない!)
手で持てる量で十分だ。
貴族の令嬢が持って良い重さではない。
「君……大丈夫か」
思わず心配してしまった。
「ご心配なく!」
本当に……?
明日には辞めるんじゃないか?この子。
さすがに持たせ過ぎなので、代わりに持つ。
「この3つを貰おう。助かった。この4つはいらないな。こっちは君が読むと良い」
「分かりました!家で読んで勉強してきます!」
「業務時間内で良い」
今までの秘書との落差で風邪をひきそうなんだが。
どう育ったら貴族がこうなるんだ?
本当に貴族か?
だが、庶民にしてはきちんとし過ぎている。動きや言葉遣いに品がある。
ロゼッタ・グリューンヴァルト。何者なんだ君は……
「面白いな」
「えっ」
「何でもない。もっと励むようにと言いたかっただけだ」
しまったと思った。
こういう事を言うから私はいけないのだ。自分に呆れる。
しかし
「ご期待に応えられるように頑張ります!」
百点満点の回答を出され、私は認めた。
(ものすごく良い子だ、この子……)
***
一週間経っても彼女は辞めないどころか仕事にも慣れ、社内の簡単なやり取りは私の確認を通さず行えるようになった。
何よりありがたいのが、私の言ったことをきちんと理解し、素直に遂行してくれる事だ。
めちゃくちゃ褒めてあげたいが、このくらいで満足されては困る。
「一週間にしては悪くない出来だな」
「ありがとうございます!」
優秀な犬を思い出させた。
偶然にも彼女の頭には黄色いハンカチが結ばれていて、耳に見えなくもない。
「今日も業務時間内に仕事は終わらせるように」
「承知しました。では、1階まで資料を取りに行ってきます」
「は……そ、それは急ぎではないから……」
ゆっくり帰って来ていいぞと言おうとしたが、彼女はたったかと行ってしまった。
「なんでそんなに体力あるんだ、この子は……」
朝から晩まで働いた経験でもあるのか?
元農民と言われても納得する体力だ。
若さだけでは説明がつきそうにない。
ついに好奇心が抑えられなくなった私は、ロゼッタ・グリューンヴァルトについて聞くべく、この人事を行った内務局長の元へ行くことにした。
階下に降りたついでに、内務局へ寄る。
「ロゼッタ・グリューンヴァルトがどういう人間か?」
「君なら知っているだろう」
「あー……」
気まずそうにする内務局長。
人事の決定権を持っている彼であれば、彼女がどんな人間か知っているだろう。
「歯切れが悪いな」
「いや〜あんまりそういう事簡単に言える世の中じゃないのですよ」
「業務上必要な事を聞いているまでだ。彼女は特別行政官なのだろう?貴族なのだから」
「どうしてそれを」
「名前で分かる」
「貴族であることを周知しないで下さい。それが彼女の意向です」
なぜ?貴族の方が何かと有利だろう。
「色々と解せない」
「院長が仰ったのではないですか。行政官の区分関係なく、実力でポストに着くべきだと」
「……それはそうだな」
「貴族だろうが庶民だろうが、特別だろうが一般だろうが、彼女の仕事ぶりを見て判断して下さい」
「言う通りだ。すまなかった。聞かなかったことにしてくれ」
「いえ、院長が気になる気持ちは分からないでもないです」
そう思うなら彼女の素性を教えて欲しかった。気になるのに変わりはないのだから。
4階に戻りながら考える。
彼女は懸命に仕事をしてくれている。
私の力になろうとしてくれているのだから、それ以上は追求すべきではない、か。
「院長、コーヒー飲まれますか?」
夕方だと言うのに、疲れた顔一つせず自らのカップを持つ彼女。
「……頼む」
「承知しました!」
私がカップを渡すと、彼女は黄色いリボンを揺らしながら休憩室に行ったようだった。
「……犬」
職務に忠実で元気なことは良いことだ。
次回 働き始めて一月たったロゼッタ。自分が秘書として至らない点に気づき……




