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3.神職場

 ひどい部屋の惨状は、昨日辞めた秘書のせいらしかった。


 ハインリヒ院長の下で働いていた前秘書は、ある日ミスを指摘されて急にヒステリーを起こしたらしい。

 

「もうそんな細かい事なんて分かりませんし、どうでも良いじゃないですか!こんなに資料があるんですよ?!」


 そう言ったと思ったら資料を床にぶちまけ始め

「そちらで探して下さい!」

 と言っていなくなってしまった。


 元々もう嫌だから異動させてくれという話だったらしく、代わりに私が入ってくる予定ではあった。


 そのため、前任担当者から今月引き継ぎをされて、私と交代ということになっていたのだけれど……


 冷徹院長も悪いのだろうが、ヒステリーを起こすのは社会人としてどうなのだろう。

 

 もう秘書室に近づきたくもないらしく、勝手にぶちまけておいて片付けもせずに戻って来ないらしい。


 せめて片付けはしていって欲しい。

 アイゼンハルト院長への嫌がらせかもしれないけど、結果やるのは新担当の私なのよ。


 そして「私は新しい部署での仕事があるので」と言った前任担当者は、私にまともな引き継ぎもせずマニュアルのみを置いて消えた。


(冷徹院長の自業自得なのかもしれないけれど、私としては院長より前任担当者に腹が立ってくる)


 とはいえ、イライラしたところで仕事がなくなるわけでもない。


 ぶちまけられた資料はどこの箱に入っていたものだろう。


 研修で各部署の体験をする際に書類整理はよくやっていた。

 同じ案件をまとめているはずだけれど……


「あーあ、ちょっと破れてるし折れてるし。やっぱり前任担当者も相当酷いのでは?」


 どれにまとめたら良いか分からないものは端によけて、できそうなものから着手した。


「すみません、お聞きしたいことがあるのですが」


 秘書室と院長室は内扉で繋がっている。

 持てるだけ行き先不明書類を持って、私は院長室に入った。

 

「この辺りの分類はどうしたら良いでしょうか。それと、この書類はバラバラになってしまって、どこの箱に入れたら良いか分からないのでご教示頂けませんか?」


 アイゼンハルト院長は私を上から下まで見て、もう一度顔を見た。


「……すみません、お忙しい時に。手が空いた時にまた来ます」

「いや、いい。君も仕事が進まないだろう。それと、書類は秘書室に持って帰ってくれ。私がそちらへ行く」


 秘書室の無駄に広いデスクに置いてある、仕分けした書類。

 それを院長は確かめながら、該当する箱を持ってきて入れたり、紐でまとめたりしていた。


 その澱みない動きに私は驚く。

 秘書室の資料の場所や内容を、正確に把握しているのだ。


「……すごい」


「こちらへ来たまえ」

「はい」

「秘書室の棚の説明をしておく」


 どういう案件別に並んでいるだとか、年代順にまとめているだとか、そういう説明をされた。

 それを聞くと、どこに何が入っているか非常に分かりやすい。


「覚えておきなさい。基本だ」

「はい」

 私はポケットに入れておいたメモに走り書きをした。


「お忙しいところありがとうございました」

「分からないことは言ってくれて構わない。勝手にやられる方が手間が増える……」

「承知しました!」

「……資料整理が終わったら、今日は帰りなさい」


 定時までに書類整理を終え、私は院長室に戻った。


「何かお手伝いすることはありますでしょうか」

「書類整理は終わったんだな」

「はい」

「さっさと帰れ」

「お疲れ様でした!また明日もよろしくお願いします!」


 私は退勤して寄宿舎へ帰ることにした。

 歩いていると、げっそりした顔のミザリーと合流した。


「しんどい……大量の書類整理でヘトヘトだし、覚えることもありすぎ」

「それは大変ね」

「あんたケロッとしてるわね」

「思ったより院長が優しかったから」

「嘘ぉ」


 居酒屋のアルバイトと私はつい比べてしまったのだ。


 店長は職人気質な人だったので、背中を見て学べ的なタイプだった。


 女だからって容赦しねえぞ!と瓶やガラスのジョッキをたくさん運ばされたし、転んで割った時なんかめちゃくちゃ怒られた。


 それに比べて院長は丁寧に説明してくれるし、書類は重いけど落としても割れたりはしない。

 残業せずに早く帰れとも言ってくれる。


 なんて素晴らしい。

 これで居酒屋バイトよりお給金がもらえるなんて。


 神職場だ。

 

 前任担当者はなんでヒステリーを起こすまで追い詰められたりしたんだろう。

 院長と相当相性が悪かったのかなぁ……


 1日目ではまだ分からないが、アイゼンハルト院長が私には悪い人間だとは思えなかった。


 ***

 

「おはようございます!」


 挨拶は仕事の基本。

 今日も元気に仕事をして、お給金をもらうぞ!


「おはよう。……なぜこんなに早く来るんだ」

「昨日掃除まで手が回りませんでしたから、始業までにやろうと思いまして」

「だからと言って早く来るな」


 仕事を始めるための準備は始業前までにしておけというのが基本だったので驚きだった。


 だが、朝静かな時間に院長は仕事がしたいのかもしれない。

 早く来て煩くされたら落ち着いて仕事ができないものね。


「すみませんでした。今度から掃除は前日に済ませておきます」

「そういうことじゃない。早出と残業はなるべくするなと言っているんだ」


 あー!そういうことか!!


「業務時間内に全て終わらせるくらい、効率良く仕事をしろということですね!承知しました」


 院長なんて忙しいに決まっている。

 院長のスピードについていくために、秘書もダラダラと仕事をするのではいけないということですね!

 

「掃除は始業時間からだ。それまでこのフロアの説明をする」

 アイゼンハルト院長は立ち上がった。


「まず、今いるここが院長室。私の仕事部屋だ。そこのソファは院内の人間と話をしたりするために使用している」


 私達は院長室を出た。


「そして向かいにあるのが休憩スペースだ。テーブルと椅子だけでなく簡易キッチンと冷蔵庫があるから、ここでコーヒーなどを飲むと良い。

 言うまでもないが、使った食器は自分で洗え。

 休憩室は仮眠スペースと繋がっている。休憩スペースの説明は終わりだ」


 休憩室を出る。

 

「隣は更衣室だ。秘書のはこっち。

 着替えや荷物を置くと良い。

 更衣室の隣の部屋には文具などが置いてある備品倉庫がある。ここから業務に必要なものを揃えろ。残りの部屋は資料室と会議室と来賓室。以上だ」


 院長自ら説明頂いてしまった。本当だったら前任担当者がやるべきことだろう。

 説明は完結で丁寧。良い人だとしか思えない。


「毎朝8時10分から打ち合わせだ。遅れず私の部屋へ来るように」

「承知しました!」


 スタスタと院長室へ戻るアイゼンハルト院長。

 私は備品倉庫へ向かった。


「文具が全部用意されてるなんて……!なんて親切なの?買うんじゃなかった」

 ペン立てなんかもある。至れり尽くせり過ぎ。


 備品倉庫から出ると、掃除のおばちゃんが歩いていた。


「おはようございます!」

「えっ……」


 びくりとされる。声が大きかったかな。


「このフロアをお掃除されている方ですか?」

「そうでございますが、何かありましたでしょうか?」


「どの範囲を掃除されているのですか?」

「だいたい全てを掃除しております……行き届いていないところがありましたか?」

「いえいえ!とても綺麗だったので、誰がされているのかなと」


「……新しい秘書の方ですか?一般行政官と聞き齧ったのですが」

「あぁ!そうなんです。昨日着任しましたロゼッタ・グリューンバルトと申します!よろしくお願いします。秘書室の掃除もして下さっているのですか?」


「昨日はお部屋が荒れていましたので、しておりません」

「そうしたら申し訳ないのですが、早めにやって欲しいんです。埃っぽくて」


 私の掃除すべき範囲はデスクだけとなった。

 効率効率!空いた時間で他にできることはないだろうか。


 デスク周りを掃除したが、早出するなというくらいだからあまり仕事をしたらいけない。


「院長、コーヒー要りますか?」

「そんなことをする必要は……」

「私が飲みたいので気にしないで下さい!他にやるべきことがあればおっしゃって下さい」

「……では、頼む」


 コーヒーを持って来た。

「本当に、本当に、やるべきことはありませんか?!」

「しつこい」

「失礼致しました」

 

「そんなに暇なのだったら、研修で使っていた基礎知識の冊子でも読んでいろ。ちゃんと理解していなければ話にならない」


「了解しました!暗記するくらい頑張ります!」

「……勝手にしてくれ」


 私はデスクに戻って研修用にもらった基礎知識の冊子を引っ張り出した。

 この国の基礎知識から、私達が働いている行政院についてのページを開いた。


 五大行政区について

 

「我が国は五大公爵家が五つの行政区を統治している。それをまとめているのが王家である」

 

 私達は王家直轄の中央行政機関なのでこんな風に書かれているが、実は王家より五大公爵家の力の方が強い。


 つまり、実際は王家は公爵家をまとめられていないのだ。

 王家が持っているのは権威のみの状態で、権力は公爵家が上だ。


 五大公爵家>王家

 

 である。歪な構造だ。

 

「地方行政を担うのが五大公爵家であり、各行政区の調整・連絡を行うのが我が中央行政機関である行政院である」

 

 五大公爵家が強いから現実は勝手に領土を統治していて、国の中に小国が5つある状態だ。

 

 私達行政院が連絡係をやっていて、なんとか国としてまとまっている。

 具体的には、行政院は各行政区を横断する仕事をやっている。


「行政院の行政官は約2000人」

 

 横断する業務のみをやっているので、行政官はそんなに多くない。


 今回の採用は一般行政官が20人、特別行政官は30人の計50人だった。

 ちなみに、女子の行政官の比率は20%くらい。


「王家直轄の機関であるため、国王の顔に泥を塗らぬよう忠誠心を持ち業務に励むべし」

「よく勉強しているな」


「院長!」

 

「打ち合わせだ」


 そう言われた私は、ノートを持って院長の後ろをついて行った。

次回 院長の独白です。ロゼッタが来て彼は何を思っているのか。


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