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10.焦り②

 どこか疲れが取れないまま、私は登庁した。

 こんなによく晴れているのに気分は曇りみたいだ。


「おはようございます、アイゼンハルト院長」

「……」

 じろりと見られる。コーヒーの催促をされているのだろうか。


 急いで給湯室へ行って戻って来る。

 コーヒーを飲みながらも、彼は私の事を見ていた。


「あの……何か急ぎの用事でも……」

「……いや」


 自分でも気づいていなかったらしい。少し驚いた顔をしたかと思うと、視線を逸らされた。


 仕事を始めてからは逆に視線が合わなくなった。意識的に合わせないようにしているようだ。

 彼の意図が読めなくて、秘書室に来たアイゼンハルト院長に聞いてみた。


「そんなにおかしかったか」

「はい。なぜそんな事をするのか教えて頂きたいのですが……言い難いことでしょうか」


 良い言葉を探すように、アイゼンハルト院長は額をトントンと指で叩く。


「少し、元気がない気がした」

「……?」

「体調でも悪いのではないかと。気のせいだったらすまない」

「な、なんで分かったんですか?!」


 驚いて思わず立ち上がる。

 彼は二、三度目を瞬かせた。


「声に張りがない」

「なるほど……すみません、身体に問題はありません。いつも通り元気です」

「気持ちが疲れているんじゃないか?」

「気持ち……?」


 私はすとんと椅子に座った。


「考えたこともありませんでした」

「今までよくやって来れたな。……若いからか」

「そうなんでしょうか」

「王都に来て慣れない仕事をして10ヶ月。疲れるに決まっている。意識的に休んだ方が良い」


 休んだ方が良いと言われても、私にはあまりのんびり休んでいる暇がない。

 でも院長にバレているということは、仕事に支障が出るかもしれない。


 困っていると「ここで待ちなさい」と言われた。


 しばらくすると彼はコーヒーとチョコレートを持って来た。


「今から業務改善のための面談の時間とする」

「でも、仕事……」

「上司として部下の状況を把握するのも仕事の内だ」


 アイゼンハルト院長は私の向かいに座り「気になることがあるなら話しなさい」と言った。


(気になる事……この前の飲み会で馴染めなかったこととか、家のことで焦っていることとか……?でもどうやって話したら……)


 私が視線を彷徨わせていると彼は言った。


「うまく話す必要ははない。話していくうちに自分の考えが整理され、見えてくるものもある」


「……」


「あくまで業務の面談であり、無理に話す必要はないが……」


「院長がご存知の通り、私は貴族です。でも、一般行政官なんです」

「そうか」


「同期の一般行政官と馴染めなくて……」

「生まれや育ちが違うとな」


「そうなんです。言っている内容が分からないことがあって、何が面白いのかも理解できないことがあって……」

「そうだな」


「でも、馴染まなくちゃいけないんです……」

「なぜそう思う」

「思うとかじゃなくて、そうしないといけないんです」


 膝の上で拳を握り締める。

 貴族だと周りにバレたくない。バレたら家が……


 弟や妹、父や母の顔が浮かぶ。


 貴族でなくなってしまったら、彼らはどうなるのだろう。

 弟と妹が学校へ行けないだけではない。

 貴族としての特権を失うので、更に生活は苦しくなる。


 借金を返すために土地を売らなければならず、家族みんなで働くことになるだろう。

 急に仕事をすることになって、生計を建てられるかどうか……


 不安な事ばかりが頭に浮かんでしまった。

 何度大丈夫だと唱えても全然大丈夫な気がしない。

 不安が拭えない。それどころか、恐怖も感じる。


(あぁ、そうか)


 家族の問題だけじゃない。


 没落貴族の一般行政官として働くことになれば、貴族である特別行政官に馬鹿にされ、貴族が嫌いな一般行政官からも疎まれるという状況を知ってしまったからだ。


 それが、私の心に更なる焦りを生んだのだ。


「貴族だってバレたらいけないんです……」

「……バレてしまったら、どうなるんだ」


「家族を守れなくなります。一緒に研修して切磋琢磨してきた一般行政官の同期達にも嫌われます、きっと」


 思わず、私の瞳からポロリと涙が溢れた。


「君は、よくやっている」

 暖かく想いのこもった言葉が渡された。


「22歳で家族を守り懸命に仕事をするなんて、貴族はもちろん、庶民でもできるものは少ない。君はよくやっている」


 よくやっている。

 そうか、院長から見ても私はよくやってるんだ。


 じんわりと心に沁みるような言葉が嬉しくて大声で泣き出しそうだった。

 

 故郷では父や母にそう言われて褒められて頑張れたっけ。

 でも今は遠くにいて、月に数回くる手紙だけ。

 長い間、褒めてくれる人も元気づけてくれる人もいなかった。


「ありがとう、ございます。故郷では父と母によく褒めてもらっていました。その言葉でまた頑張れる気がします」


「父と母のような温もりは与えてやれないが、少し君を安心させられるかもしれない」

「え?」


「君が貴族だとバレないように、ミザリー・クラウツに君の戸籍の閲覧を制限してもらった。戸籍や貴族名簿からバレることはないだろう」


 いつそんなことをしたのだろう。今の口ぶりだと、なぜバレたらいけないのかもこの人は知らない。


 それなのに、そんな不正ギリギリな事を。

 いくら院長とはいえ、公になれば責任追及でクビになるかもしれないのに。


 自らの進退をかけて私を守ってくれるこの人なら、事実を知っても国王に告げ口をしないだろう。


(この人になら、全部話しても良いかもしれない。受け止めてくれるかもしれない)


 私は勇気を出して彼を見る。

 いつもの無表情も優しく見えた。


「院長、お話ししたい事があります」

次回 自らの秘密について話をしたロゼッタ。それに対してアイゼンハルト院長は…

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