第5話 日常に混ざる
謎の化け物騒動から一日が経った。
冷静になってみると、あんな化け物を相手にして生きていたこと自体が奇跡だと思う。後から恐怖が頭をよぎって、殆ど寝ることもできなかった。
その上、慣れない電車通学を試したのも非常によくない。毎朝あれで登校している生徒には、今まで以上に敬意を表することになるだろう。
「おはよ、イサト。今日はまた一段としょぼくれてるわね」
教室に着くや否や眠気と疲労に負けて突っ伏していると、真凛がいつも通りの呆れ顔で声を掛けてきた。
「寝不足かい? 夜更かししちゃあ駄目だよ」
続いて、幸平も窘めてくる。こちらは俺を心配してくれているのが分かる柔和な表情だ。助かる。
俺は昨日の出来事を振り返り、何かしらを伝えようとして……やっぱり止めた。
下校中に巨大な熊の化け物に襲われて、小さな女の子が魔法を使って退治してくれた――なんて言ったところで、頭がおかしくなったと思われるのがオチだ。
言葉を濁して二人に返事をする。
「なんというか、昨日は色々あって……」
「色々って?」
聞かないでくれ。俺の中でも何一つ整理できていないのだから。
それに、昨日の出来事はあの魔法少女にも口止めされている。もう会わないであろう少女との約束を律儀に守る必要はないが、逆にいえば積極的に約束を破る理由もない。
ここは軽く誤魔化しておくのが無難だ。
「色々は、色々だ」
「何よそれ」
真凛が怪訝そうな顔を向けてくるが、これ以上答えようがないので俺は押し黙る。
沈黙をどう捉えたかは不明だが、その後の真凛と幸平は他愛もない世間話をするに留まった。言いたくないことは聞かない、という判断を即座にしてくれるのが二人の良いところで、やっぱり出来た人間なのだろう。
二人と話していると日常に帰ってきた実感が湧いてくる。
こんな当たり前の日々に安堵しながら、一方でふと思う。
「あれはあれで、悪くなかったんだけどな」
「なんか言った?」
「なんでもない」
真凛の疑問を煙に巻きながら、改めて考える。
俺が日常に抱えていた、漠然とした不安。平和な日々に対する何処かズレたような感覚。
昨日の体験は、そんな退屈な日々を一瞬で変えてしまうものだった。二度と味わえないであろう非日常。
案外、俺は――あの騒動を楽しんでいたのかもしれない。
「うぃーっす。おあよーざーます」
考え込んでいる間に予鈴が鳴り、担任の小柳美沙先生が気怠そうに教室へ入ってきた。
小柳先生は身長が高く、タイトなスーツ姿も相まって格好いい見た目の人物なのだが、長い髪をぼさぼさのまま適当に結んだポニーテールや、無気力さからか曲がった腰もあって、まるでやる気を感じさせないのが特徴である。
覇気のなさというか、緩い雰囲気にシンパシーを感じて俺は嫌いじゃないんだけれど。
いつもならそんな小柳先生が事務的に連絡を伝えて、流れるようにホームルームが始まるところだが、この日は普段と違う話題を持ち出してきた。
「えー今日は、新しいクラスの仲間を紹介しまーす。どぞー」
新しい、仲間?
つまるところ転校生ということだろうか。新学年が始まって二ヶ月ほど、梅雨も明け切っていないこの微妙な時期に、なんだか珍しい。
クラスの皆も同じことを思ったのだろう。どんな人が来るのかざわざわしていると、扉を開いて一人の少女が入ってきた。
長いブロンドの髪と白い肌。キリッとした目元が特徴的な小さい顔は、無機質だが意志の強そうな表情をしている。身長は小柄で、同じ学校の夏服を着ていてもなお、年下に見間違えそうだ。
彼女の碧い瞳が、チラりと俺の方を見る。
――いや、そんな馬鹿な。
「はーい。ウイカさんでーす。挨拶よろしくー」
「ウイカ・ドリン・ヴァリアンテです。父はイギリス人ですが、母は日本人で日本語も話せます。不束者ですが、どうぞよろしくお願いします」
事前に用意していたと思わしき挨拶を粛々と述べ、ペコリとお辞儀をした彼女は、紛れもなく昨日出会ったあのウイカさんだった。
どこからともなく拍手が響く中、俺の心中は穏やかじゃない。
昨日の今日でまさかの再会を果たしたことに気が動転し、無意識のうちに席から立ち上がってしまった。突然の起立に、クラス全員の視線がこちらへ向く。
「な、なんで……!?」
知らない振りもできたのに、考えなしに問いかけてしまっていた。
同級生から放たれる疑問の目。特に真凛や幸平の訝しげな表情が視界に入って、俺はやらかしたことに気がついた。
ウイカさんの表情が少しだけ動く。余計なことを言うなという合図かもしれない。
何処となく不穏な空気が漂う中、小柳先生は深く考えずにのんびりした口調で伝えてきた。
「なに? 荒城、知り合いー? そりゃいいや。荒城の隣に席つけよーぜ。困ったことがあったら、なーんでも教えたげてねー」
「え!? あ、いやその……!」
――いや、そんな馬鹿な。
頭の中で同じことを繰り返してしまう。
俺は彼女のことを何も知らない。なんでこんなことになってしまったのか理解が追いつかない。昨日から、彼女が絡む事案に対しては常にこの感覚がまとわりつく。
しかし、隙を見せたが最後。小柳先生の指名によって、俺はなんとなく転校生の面倒を見ることになったらしい。
一番後列に座る俺の隣に、新たに運び込まれた机と椅子が配置される。
「よっこらしょ、と。こういう時、なーんで漫画だと転校生の席って最初から余ってんだろーね。席って余る? ふつー?」
「いや知りませんけど! そうじゃなくて!」
「仲良くすんだぞー」
聞く耳持たず。小柳先生はふらーっと力の抜けた足取りで教卓に戻っていった。
謎の美少女転校生ことウイカさんは用意された席に座り、至極当たり前のように挨拶してきた。
「よろしく、荒城くん」
俺はさぞ引きつった笑顔をしていただろう。それでも何とか体裁を整えるべく、クラスの新しい仲間へ朗らかに返事をした。
「よろしく。ウイカさん……」
「? ウイカでいい」
「そ、そうか? 分かった、ウイカ」
呼び方はなんでもいいんだけど。
そう思っていたら、会話を聞いていた女子が小さく黄色い声をあげた。ここでまた俺は対応をミスったことに気づく。
傍から見れば俺は、美少女転校生と何故か知り合いの男だ。しかも、いきなり呼び捨てを要求され、それに軽く応じている。これはきっと、何やら親密な仲に見えていることだろう。
まずい。誤解を解かないと、俺の平穏で平均的な学園生活が脅かされる。
そもそも、何故彼女は転校してきたんだ? 何が目的?
聞きたいことは山ほどあったが、小柳先生の授業が始まってしまった。タイミングを掴めないまま時間だけが過ぎていく。
休憩時間も、物珍しい転校生はクラスメイトに囲まれて質問攻めにあっていた。まったく隙がない。
「前の学校はどんなところだったの?」
「お父さんイギリス人って言ってたけど、英語喋れる?」
「すっごい美人だけど、彼氏とかいる?」
前はイギリスの学校だった。英語の他にドイツ語や中国語などいくつか話せる。彼氏はよく分からない。
無表情なまま機械的に答えるウイカ。
彼氏の話ではクラスメイトから俺に視線が向けられているのを感じたが、無視。
ヤキモキしている間に二限が終わり、三限が終わり。やがて四限が終わって昼休みに入るところで、俺は我慢の限界に達した。
変わらず人だかりの中心にいたウイカに声を掛ける。
「えっと……ウイカ。お昼、一緒にどうかな」
俺の誘い方が悪かったのか、またしてもクラスの一部から歓声が響く。ええい、一旦無視。まずは本人と話をつけないと。
ウイカも、誘いに対して慎ましく頷いた。
「そう言ってくれると思ってた」
なんだその含みのある言い方は。誤解を煽るな。




