第3話 魔法少女ウイカ
「は? いやいや、なんだよこれ」
先ほどまで家の形をしていた瓦礫の隙間から、腕の主である巨大な体がのっそりと姿を現す。建ち並ぶ一軒家よりも大きい、見上げるほどの強大なシルエット。
真っ黒な毛に全身が覆われた怪物が、立ち上がった。
事態がまったく理解できない。この怪獣は何者だ? なんでこんなところに現れた?
まるで映画の撮影でも見ているかのような現実感のなさに呆然としていると、怪物の血走った瞳がこちらに向く。
……これ、もしかしてまずい?
「来て」
少女が起き上がり、俺の手をとる。
言われるがままに引っ張り上げられ、そのまま二人で走り出した。
「なあ! あれは何なんだ!?」
非現実的な状況にも関わらず、目の前の少女は極めて冷静だった。たぶん、彼女はあの獣について何か知っている。
だからこそ問いかけたのだが、返ってきた答えは俺を余計に混乱させるものだった。
「あれは獣魔。スペルフィールドに現れる、私たちの敵」
「じゅうま? すぺる……?」
「覚えなくていい。あなたには関係ない」
詳しく説明してくれる気はないらしい。
それに、お喋りする暇はなさそうだ。走る俺たちの後ろで、獣も大地を踏みしめる。その一歩一歩がアスファルトを大きく揺らし、俺はよろめきながら懸命に少女の背中を追いかける。
あの化け物に追いつかれたら、間違いなく食い殺される。背筋が冷たくなるのを感じた。
「ど、どこに向かってるんだ?」
「あなたを隠せればどこでもいい」
「俺を……って、君はどうするんだよ!」
「気にしなくていい」
淡々とした言葉には頼もしさすらあったが、それでもこんな小さな女の子が一人でどうにかできる相手じゃない。
案外、俺を隠して自分だけ逃げるつもりだったりして……。そんな不安を抱えながらも、ひたすらに彼女を追う。
獣は見た目に違わぬ鈍重さで、すぐに追いつかれる心配はなさそうだ。なんとか距離を広げないと。
二人で建物の隙間を蛇行し、相手の視界を遮りながら突き進む。
どれぐらい走っただろうか。やがて彼女はチラりと後ろを振り返り、物陰で足を止めた。
「ここがいい。おとなしくしてて」
「待てって! あんな怪物がいるのに、君を放っておくわけにはいかない!」
一緒に逃げればいい。そういう意味だったが、彼女は意に介さなかった。
俺を無視して手にした巾着袋をガサゴソと探り始める。手のひらサイズぐらいの小さな袋から、質量を無視したように次々と荷物が取り出されていく。
真っ黒なとんがり帽子。少女の全身を覆うほどの大きなマント。そして、キラキラとした装飾が目立つ四〇センチほどの棒。
それらをそそくさと着込むと、少女は俺の方を振り返る。
「大丈夫。すぐ片付ける」
その姿はまるで――魔法少女だった。
それも、今や古典と呼べるほど分かりやすい、とんがり帽子と黒マント。
最後に巾着袋から箒を取り出すと、彼女は上に跨って怪物の方へ向き直った。
その体が宙に舞い上がる。
「マジかよ……」
急加速した箒が瞬時に敵へ飛び込んでいく。
獣は少女の姿を見つけるや否や振り払おうとするが、俊敏に空中を踊る彼女には一切当たらない。鈍重な腕の動きとはスピードが違いすぎた。
少女が手にしたスティックを動かして、何事かを呟く。遠くて声は聞こえないが、魔法の呪文だと直感した。
スティックの先から火炎放射が噴き出す。
怪物の全身を焼き尽くすような圧倒的火力が周囲を包み、あまりの熱気に俺も顔を伏せた。
「あっつ!」
焼け焦げながら、抵抗して暴れる獣。
巨大な腕で少女を叩き落そうとするが、それもひらりと躱して彼女は距離を取り直した。
再びスティックを構えて唇を動かす。今度は炎が収束し、一振りの刃へと姿を変えた。燃え盛る火炎の剣だ。
それを振り下ろし、いとも容易く片腕を断つ。ドスンッと墜ちた腕の衝撃で地面が揺れ、俺の体が小さく跳ねた。
振り向きざまにもう一閃。瞬く間に獣の両腕が斬り落とされる。
抵抗する力を失った敵は、断末魔をあげることもなくその場に倒れ込んだ。
あっという間に決着が着いた。空に浮かぶ、あの魔法少女の手によって。
「す、すげえ」
息絶えた怪物の体が、光の粒子となり散っていく。
舞い上がった粒子が少女の下へ集まり、彼女は全身でその光を浴びていた。体を清めるような動作は神秘的で、俺は思わず息を呑む。
静まり返る街並み。
少女はゆっくりと下降し、箒から降りるとこちらへ歩み寄ってきた。
「終わり。……大丈夫?」
「え? あっはい」
呆然としていた間の抜けた返事をしてしまう。少女は特に感慨もなさそうに服の煤を払い、ふっとひと息吐き出した。
それから、箒やマント、帽子を小さな巾着の中に仕舞い込んでいく。……どう考えても荷物が収まるサイズじゃないが、あれも魔法なんだろうか。
魔法……そう、魔法だ。彼女は魔法を操っていた。それだけは間違いない。
「君は魔法使いなの? あの化け物……ええっと、獣魔? と戦っている人ってこと? というか、さっき言ってたなんとかフィールドって?」
気になることが多すぎて、つい矢継ぎ早に質問してしまう。
眉をひそめる少女。無表情ながら、嫌がっているのはすぐに分かる。
「質問するのは私の方。だけど、待って」
一度会話を打ち切ると、彼女は楽団の指揮者さながら軽やかな動きでスティックを振るった。
何をしているのか分からずその動きを眺めていると、不意に景色がぐにゃりと歪んだ。世界が魚眼レンズを通したように湾曲する。
平衡感覚が失われ、宙に浮くような感覚が襲ってきて、俺は思わず目を瞑った。乗り物酔いの強烈なやつが体を支配していく。
「……終わり」
気持ち悪さに耐えていると、彼女がそう呟いた。
目を開けると、辺りの瓦礫が綺麗さっぱり消え去っている。放たれた炎も一切の痕跡を残さず、周囲は平穏な景色が戻っていた。
「何もなかったみたいに、一瞬で――」
世界が元に戻った。
信じられず目をぱちくりさせていると、無感情な少女が返事をする。
「うん。何もなかった。現実では」
「ど、どういう意味?」
聞いているのかいないのか、少女はスティックも巾着袋の中に押し込む。
先ほどまで人っ子一人いなかったはずの道に、まばらだが通行人の姿があった。けれど、あれだけの大怪獣騒動だったのに誰も疑問に思っていない。
夕焼け空が眩しい。いつもと変わらない景色。
俺は夢でも見ていたのだろうか。
何一つ理解できずにいると、少女がゆらりと近づいてくた。会話をするには不向きなほどの近さでこちらを覗き込む彼女から、女の子の爽やかな香りがふわっと舞い込んでくる。
ドキッとした。精巧に作られた人形のような顔立ちと碧い瞳を直視できず、思わず視線を背ける。
「もう一度聞く。あなた、どうやってあそこに入ったの?」
「入る……? どこに?」
先ほどと同じ質問だが、やはり何を聞かれているのかさっぱり分からない。
俺の言葉をどう判断したか、少女は暫く考え込んだ。
数瞬の間があって、再び口を開く。
「聞きたいことがある。こっち」
言うや否や、少女は身を翻して歩き出した。
「ま、待って!」
「?」
思わず呼び止めると、少女は薄い表情の中に疑問を混ぜた顔で振り返る。
こっちだって質問は山ほどあるが、最初にこれだけは聞いておこう。
「先に、名前だけ聞いていいかな?」
言葉に詰まる少女。
名乗るべきか逡巡したように見える。答えを得られるか不安になりながら、返事を辛抱強く待つ。
やがて、悩みながらも少女は淡々と自己紹介した。
「ウイカ。獣魔討伐部隊“アザラク・ガードナー”の、ウイカ・ドリン・ヴァリアンテ」




