第23話 遠ざかる心
ノックを聞いて、すぐにウイカは出てきてくれた。
「……入って」
「あ、ああ……」
いつもどおりの無表情だったが、どこか冷たい態度に感じられて俺は面食らう。一瞬あった視線も、すぐに逸らされてしまった。
他の魔法少女たちと同じということなのだろうか。何故?
部屋に入ると、廊下の無機質さに比べて中は案外普通だった。
木目調のフローリングや白い壁、一般的な家庭にあるものと同じような家具が並んでいる。彼女の娯楽だというテレビや本棚も見受けられた。
リビングに通され、三人がけぐらいの大きなソファにウイカが腰掛ける。彼女が右に寄せるのを見て、隣に座れという意味だと理解して従った。
クラスメイトの女の子の部屋に二人きり。そう考えると少しぐらい胸の高鳴りがあってもよさそうなものだが、思った以上に状況が複雑でそれどころじゃない。
――何から話そう。
顔を見れば何か決心がつくと思っていたのに、結局モヤモヤしたままここまでやってきてしまった。彼女を直視できない。
それに、ウイカもこちらを見ようとしない。やっぱり普段より表情も冷たく感じる。
俺は意を決して、ぎこちなく声を絞り出した。
「あの、さ。色々聞いたよ。ウイカのこれまでや、魔法少女のこととか」
「うん」
返事もいつもどおり淡白なものだが、何故か引っ掛かる。
これは俺が他の魔法少女たちの態度や話を意識しすぎているだけなのだろうか。
「魔法は寿命を消費するもの。ウイカはずっと、そんな過酷な環境で戦ってたんだな」
どうにか勇気を振り絞って、彼女の方へ視線を向ける。
いつもなら不自然なほど近い距離でまっすぐこちらを見つめてくるウイカが、今日は視線を外して目の前にあるテレビへ顔を向けていた。画面は点いていないのに。
淡々とした喋りで、ウイカは言う。
「過酷だと思ったことはない。それが普通」
「普通って……。命が懸かってるのに」
明日死ぬかもしれない世界に身を置いて、普通なはずがない。
あの戦場は怖い。目の前で獣魔に対峙した時の感覚は、他でたとえられないほど恐ろしく、本当に死を覚悟するしかなかった。
それに、ミルメコレオに噛みつかれたウイカを見た時。彼女の腕から流れる血を見て、俺は自分でも制御できないほどの焦燥感に駆られて飛び出していた。結果的に魔法が発動してどうにかなったものの、咄嗟の判断を狂わされた。
彼女を失うのが怖かった。
あんな環境が、普通なわけがない。
「じゃあ、荒城くんの言う普通って何?」
「え?」
ウイカの冷たい口調が鋭さを増す。予期せぬ質問に俺は詰まった。
普通は、普通だ。
学校に行って、授業を受けて、友達と話して。ウイカもここ二週間以上一緒に体験してきた日常。
「普通って、それは――」
「荒城くんが生きている世界の普通、でしょう?」
はっきり告げられる言葉。物音ひとつしない部屋の静寂が耳に痛い。
「……」
たしかにそれはそうだ。俺は、俺の世界の普通しか知らない。
だけど、生きている人間が消耗品として戦いに駆り出されるなんてやっぱり普通じゃない。
ウイカも学校は楽しかったと言っていたじゃないか。彼女にもあの世界を面白いと思える感情があって、その価値観は同じはずだ。友達もたくさんできたし、みんなといる日常を彼女は知ってくれた。
そうじゃないのか?
彼女の声が、静かな部屋に響く。
「本当の私は、自我が芽生えるより前に死んでいるはずだった。父も母も、顔すら覚えていない」
彼女自身や、ジェラルドさんが言っていた話が頭をよぎる。
物心がつく前に拾われたという戦争孤児のウイカ。既に危篤状態にあって、戸籍上は死んだ扱いになっているとも。
「それをアザラク・ガードナーに救われた。だからここに命がある」
ウイカは目を閉じて、そっと胸元に手をあてる。
彼女たちは救われたのだとあの男は言った。今の話しぶりからも、命を長らえたことを本当に感謝しているようだ。
「組織に恩がある。この命が戦うために蘇ったものなら、そのために使うだけ」
ようやくウイカがこちらへ顔を動かした。
碧眼の美しい瞳が、今日はずっと厳しい目を向けてくる。吸い込まれそうな瞳の奥に宿る暗い感情が、俺を突き刺していた。
「魔法を“なんでもできる奇跡の力”だと思っていたなら、それは間違い」
不意にそう言われて、俺は思い返す。
村瀬ユミの帽子を探した時、ウイカに手を引かれて俺は空を飛んだ。遠くまで広がる世界を上空から見て、俺は彼女の魔法に心を躍らせた。
はじめて出会った時もそうだ。獣魔を薙ぎ払う彼女は気高く格好良かった。何も変わらない現実にモヤモヤしていた俺は、まるで映画のような非現実の世界にどこか憧れる気持ちがあった。
なんでもできる奇跡の力。そう感じたこともないわけではない。
でも、だからこそ彼女の世界を正しく知りたいと思ってここまで来たんだ。
なのに。
「私は相応の対価を支払って、この命を捧げている。捧げるためにここにいる」
それが正しいことだと信じて疑わないウイカの目。
「それが私の普通」
それでも、俺は君に平穏な生活を送ってほしいんだ。そう言いたかった。
「……でも!」
「やめて」
何か言わなきゃいけないと思って声を張ったが、彼女は静かにそれを止める。
そして、前にも聞いたフレーズを繰り返した。
「結構悪くなかった。知らない食事、知らないルール、知らないクラスメイト。――知らない普通」
あの公園で、俺に言ってくれた言葉だ。
前にウイカは、これまでの生活が悪くなかったと俺に伝えてくれた。そう言ってもらえて嬉しかった。
俺はその言葉で、ウイカは自分の持つ普通が俺たちと違うことに寂しさを感じていると思った。眩しくも穏やかな俺たちの世界へ憧れを抱いているんだと。
だから俺は、もっと色んなことを知ってほしいと伝えた。彼女もそれに頬を緩ませてくれた。
でも、今のウイカは違う答えを出している。
「楽しさなんて、いらない。私は戦うための存在」
「今更、なんだよそれ……」
みんなでファミレスに行って食事をした時も。クラスメイトの帽子を必死に探した時も。ウイカは、新しい驚きに胸を躍らせていたじゃないか。
あの顔は、いらないと思っていたヤツの表情じゃなかったはずだ。
「たしかにウイカは、無表情で何考えてるか分からないし、俺たちの世界の常識もない。止めなきゃ平気で魔法をぶっ放すし、目を離したら何しでかすか分からない」
感情任せに捲し立てる。
彼女の表情が揺れた。怒っているのかもしれない。
でも、一度口にし出すと止まれなかった。
「それでも! 美味しいご飯を食べれば笑う! 小さなキーホルダーをもらって喜ぶ! 友達のために必死になって頑張って、だから俺は!」
だから。
続く言葉が上手く吐き出せなかった。だから俺は、ウイカを。
――どう思っているんだろう。
守りたいと思っている。助けたいと思っている。知りたいと思っている。
なにか違う。心は決まっている気がするのに、適切な言葉が見つからない。
言い淀んだ俺を見て、今度はウイカが声を荒げた。
「あなたが!」
彼女が大声を出すのをはじめて聞いた気がする。
これまで無表情で掴みどころのない子だと思っていたけれど、今はその感情が爆発しているのが分かった。
「あなたが私に、あなたの普通を教えてしまった! キラキラしていて眩しくて、みんな優しくて、心が温かくなって」
言いながら、彼女の瞳から大粒の涙が溢れ出す。
「それが……辛かった!」
これまでの出来事が辛かった。そんな風に思っていたなんて。
楽しいと言ってくれたのに、それは嘘だったのか?
言い返そうとして、言葉が出てこない。ただ閉口するしかなかった。




