王都へ返る道
王都からの早馬が運んできた報せは、小部屋の空気を一気に張りつめさせた。
東部で、また異常個体が出た。
修道院跡の近くで、荷車ごと人が消えた。
そして、リゼが持っていたメモには、次の搬送先として王都が記されている。
偶然で済ませるには、もう重なりすぎていた。
「……戻るしかないですね」
最初に口を開いたのは、レイナだった。
疲れは残っているはずなのに、その目には迷いがない。
ルークも、同じ気持ちだった。
「うん。ベルクハイムの線も大事だけど、今は王都の方が危ない」
「同感」
ナディアが短く頷く。
机の上には、革鞄から出てきた帳面、搬送先のメモ、そしてベルクハイム水運組合の補助荷役証が並んでいた。
「ベルクハイム側の流れは、こっちで押さえる。人夫の点呼、水運組合への照会、北門外れの納屋も監視を増やす」
そこで彼女はルークたちを見た。
「《星灯の止まり木》は、王都へ。いま掴んだ情報を持って戻って」
「はい」
ルークは即答した。
王都東部は、追放されてからの再出発の場所であり、異変の始まりを見た場所でもある。
そこへまた何かが向かっているなら、見過ごせるはずがなかった。
◇ ◇ ◇
「でも、普通に戻ったら三日近くかかるんじゃ……」
ルークが言うと、ミハイルがすぐ地図を広げた。
「通常なら、です。ですが今回は支部間の急行経路を使えます」
「急行経路?」
レイナが首を傾げる。
答えたのはナディアだった。
「ギルド同士で緊急連絡や人員移送に使う中継路よ。一般の旅人は使えないけど、今回は事情が事情だから」
彼女の指が地図の街道をなぞる。
「ベルクハイムから北西へ抜けて、途中の中継宿で馬を換える。荷が少なければ、一日半まで詰められる」
「荷はほぼ僕が持てる」
「分かってる。それ込みで言ってる」
ナディアはそう言ってから、少しだけ肩の力を抜いた。
「正直、あなたのスキルがなかったら、今夜のうちにここまで話は進まなかったわ」
「……ありがとうございます」
「礼より先に結果を持って帰ってきて」
その言い方はきつく聞こえるのに、不思議と嫌な感じはしなかった。
ちゃんと信じて任せている声音だったからだ。
◇ ◇ ◇
その時、壁にもたれていたカナンが、何でもないことのように言った。
「じゃあ、俺も行く」
ルークとレイナが同時にそちらを見る。
「え?」
「行くって、王都まで?」
「それ以外に何がある」
カナンは腕を組んで、いつもの軽い調子で続けた。
「ベルクハイムの水路が噛んでるなら、こっち側の人間が一人いた方がいいだろ。土地勘もあるし、運びの癖も分かる」
それは、かなり理にかなっていた。
しかもカナンは、すでに何度も助けてくれている。
案内、斥候、夜襲での連携。
ここまで一緒に動いてきて、今さら無関係とは思えなかった。
「私は賛成です」
レイナがすぐに言う。
「カナンさんがいてくれると、すごく助かります」
「お、回復役の評価が高い」
「でも軽口が多いので、そこは少し減点です」
「減点方式、まだ続いてたのか……」
カナンが本気で肩を落としたので、ルークは思わず口元を押さえた。
ナディアも呆れたように息を吐く。
「行くのは構わない」
「お、話が早い」
「ただし」
ナディアの目が細くなる。
「ベルクハイム支部の臨時同行扱いよ。勝手に突っ込んで死にかけたら、帰ってきてから私が怒る」
「“怒る”で済むのか?」
「済むと思う?」
「……思わないな」
そのやり取りで、部屋の空気がほんの少しだけ和らいだ。
重い話の真ん中にある、こういう数秒がありがたい。
◇ ◇ ◇
出発準備は、朝を待たずに始まった。
ルークは携帯食、水、包帯、予備の衣服を《無限インベントリ》へ収める。
レイナは回復薬と、ハロルドから渡された簡易の解毒粉を袋へ入れた。
「これ、刺激の強い煙や薬液を吸った時に少しは効く」
老人はぶっきらぼうに言った。
「完璧ではない。だが、ないよりマシじゃ」
「ありがとうございます」
「礼は結果で返せ」
どこかで聞いたような言い回しだな、とルークは思う。
ギルドで偉い立場にいる人ほど、案外似たことを言うのかもしれない。
その横では、リゼが毛布を肩にかけたまま、机に向かっていた。
震える手で、もう一枚の紙に何かを書いている。
「これは?」
ルークが尋ねると、リゼは顔を上げた。
「ラウネスで見た印と、帳場で使われていた受け渡し記号です。……全部じゃないけど、覚えている分だけ」
「無理しなくていいのに」
レイナが心配そうに言う。
だがリゼは小さく首を振った。
「ここまで来たら、もう半端にはしたくないんです」
その顔には、まだ怯えが残っている。
でも、それだけじゃない。
怖くても止まらないと決めた人の顔だった。
「王都の受付嬢さんにも見せてください」
リゼはルークへ紙を渡した。
「きっと、そっちでも役に立ちます」
王都の受付嬢。
リーナの顔が、自然と浮かんだ。
たぶん彼女も、もう東部の件で動いているはずだ。
◇ ◇ ◇
出発前、ベルクハイム支部の裏口には、簡素な朝食が用意されていた。
硬めのパンに、塩気のきいた干し肉、そしてまだ温かい薬草茶。
「立ったままで食べるの、なんか変な感じですね」
レイナが言う。
「旅っぽくていいじゃないか」
カナンが先にパンへかぶりつく。
「王都の宿暮らしだと、こういうの少ないだろ」
「たしかに、三日月亭ではちゃんと座って食べてた」
ルークがそう言うと、レイナが少しだけ笑った。
「ツネさんに見られたら、怒られそうです」
「“立って食べると胃に悪いよ!”ってやつだな」
「そこまで口調は似てないと思う」
「いや、気配は合ってる」
そんな他愛ない話をしていると、ふいに胸の奥が温かくなった。
帰る場所の話をしながら、今はそこを離れている。
でも、不思議と不安だけではなかった。
また戻ると分かっているからだ。
◇ ◇ ◇
ベルクハイムを出たのは、空が白み始める少し前だった。
急行経路は、通常の街道から少し外れる。
宿場ごとにギルドの通行証を見せ、馬を乗り換え、人だけを最優先で通していくやり方だ。
重い荷がないぶん、移動は驚くほど速かった。
最初の半日は小型の馬車。
その後は二騎ずつの乗り継ぎ。
ルークは、揺れる馬上で何度か体勢を崩しかけた。
「……っ、これ、思ってたより難しいな」
「今さら言う?」
前を走るカナンが笑う。
「お前、《白銀の牙》の荷運びやってたわりに、馬はそんな得意じゃないんだな」
「荷を持つのと乗るのは違うよ」
「なるほど。そこは不器用なんだ」
「ちょっと否定しづらいです」
後ろからレイナが言う。
「でも、落ちないでくださいね」
「がんばる」
「返事が軽い」
その会話に、さっきまで張りつめていた気持ちがほんの少しだけ和らぐ。
ずっと深刻な顔をしていると、視野まで狭くなる。
だからこういう時間が必要なのだと、ルークは少しずつ分かってきていた。
◇ ◇ ◇
昼過ぎ、中継宿で馬を替える短い休憩の時だった。
ルークは井戸水で顔を洗いながら、ふと王都の方角を見た。
まだ遠い。
けれど、心だけはもう先へ向かっていた。
東部。
修道院跡。
古い集積場。
そして消えた荷車。
ベルクハイムで見つかった流れが、そのまま王都へ繋がっているなら、向こうでももう何かが動いている。
「焦るなよ」
隣でカナンが水を飲みながら言った。
「顔に出てるぞ」
「そんなに分かりやすい?」
「ルークさんは、考え込むと目がちょっと鋭くなります」
レイナまでそんなことを言う。
「みんな最近それ言うな……」
「分かりやすいんだろ」
「分かりやすいですね」
即答されて、ルークは苦笑するしかなかった。
でも、否定はできない。
王都のことを考えると、どうしても気持ちが先に走る。
「……でも、急いでるのは同じです」
レイナが少しだけ真面目な顔で言う。
「だから、ちゃんと一緒に戻りましょう」
その言葉で、ルークはようやく息を整えた。
「うん」
「お、いいこと言うなあ」
カナンが感心したように言うと、レイナは少しだけ視線を逸らした。
「たまにはです」
「たまにって、自分で言うのか」
そのやり取りに、ルークは笑った。
たぶん、こういう時間があるから走りきれる。
◇ ◇ ◇
日が傾き始めた頃、ようやく王都グランヴェルドの外郭が見えた。
遠くに高い城壁。
夕日に染まる石壁。
見慣れたはずの街なのに、今は前と少し違って見える。
「……戻ってきた」
ルークが小さく呟く。
「早かったな」
カナンが言う。
「普通ならもっとかかる距離だ」
「急行経路ってすごいんですね」
レイナが感心したように言う。
だが、その時。
王都の東側の空に、細い灰色の煙が立っているのが見えた。
夕暮れの中だから、かえってよく目立つ。
ルークは馬を止めた。
「……あれ」
レイナも息を呑む。
カナンの顔から、冗談っぽさが消えた。
「東だな」
煙は一本ではない。
細いものが、二本、三本。
しかも、修道院跡のある方角に近い。
「急ぐぞ」
ルークが言う。
もう迷いはなかった。
王都へ帰る旅は、終わったんじゃない。
ここからまた、次の火種の中へ踏み込むためのものだった。
夕焼けの下、三人は王都東門へ向けて一気に駆けた。




