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無限インベントリで世界を変える ~収納魔法はチートです~  作者: 華詩手


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逃げた影と残された帳面



 地下室に広がっていた白い煙が、ゆっくりと薄れていく。


 鼻の奥を刺すような刺激臭はまだ残っていたが、もう目を開けていられないほどではない。


 ルークは咳をひとつこらえながら、短剣を構えたまま奥の暗がりを睨んだ。


 黒布で口元を隠した男は、もういない。


 逃げた。


 しかも、この場所に慣れている動きだった。


「……くそっ」


 カナンが低く吐き捨てる。


「あと一歩だったのに」


「追いたいのは分かるけど、今はだめ」


 ナディアがすぐに言う。


「この下にまだ何があるか分からない。まずは人命優先よ」


「分かってる」


 そう返すカナンの声には、悔しさがはっきり滲んでいた。


 レイナはすでに、縛られていた二人のそばへ膝をついている。


「大丈夫ですか。聞こえますか?」


 若い女の方は、うっすらと目を開けたが、焦点が合っていない。

 荷運び人夫の男はぐったりしたままだ。


 けれど、どちらも息はある。


 それだけで、まずは十分だった。


「ルークさん、この人たち、早く外へ」


「うん」


 ルークは頷き、しゃがみ込んだ。


「少しだけ、暗くて狭いところに移します。でも安全だから、力を抜いて」


 若い女の方は意味が分かったのか分からなかったのか、かすかにまばたきをした。


 荷運び人夫の男は反応が鈍い。


 ルークは二人を順に《無限インベントリ》の安全区画へ収める。


 隣で見ていたカナンが、小さく息を吐いた。


「……やっぱ何回見てもずるいな、その力」


「便利って言って」


「便利の度が過ぎてるんだよ」


「今そこに文句言うなら、あなたが二人抱えて走って」


 ナディアが冷たく返す。


 カナンは即座に視線を逸らした。


「便利って偉大だな」


 ルークは少しだけ口元がゆるんだ。


 こういう時に軽口が出るのは、たぶん全員がぎりぎりで踏ん張っている証拠でもある。


◇ ◇ ◇


 地下室の奥には、男が逃げ込んだ細い通路があった。


 カナンが先に入り、すぐに戻ってくる。


「下の川に抜けてる」


「外へ?」


「うん。小舟を繋いでた跡がある。たぶん、逃げ道込みで使ってたんだ」


 ナディアが舌打ちした。


「用意がいいわね」


「素人じゃない」


 カナンはそう言いながら、指先についた湿った泥を払う。


「焦って逃げた感じはあった。けど道は知ってた。何度も使ってる」


 ルークは、さっき拾った革鞄を見下ろした。


 逃げる時に取り落としたのか、あえて置いたのかは分からない。


 でも、あの鞄を残したまま逃げたということは、よほど急いだのだろう。


「とりあえず上へ」


 ナディアが言う。


「ここで長居はしたくない」


 全員が頷いた。


 目的は一つだ。

 生きている人を助けて、持ち帰ったものを整理すること。


 追うのは、そのあとでも遅くない。


◇ ◇ ◇


 ベルクハイム支部へ戻った頃には、夜もかなり深くなっていた。


 それでも支部の灯りは消えていない。


 むしろ、さっき出た時より慌ただしさが増しているくらいだった。


「戻ったわ!」


 ナディアが中へ入るなり声を飛ばす。


「先生、診療室空けて! 生存者二名!」


「こっちだ!」


 ハロルドがすぐに顔を出す。


 ルークは支部の奥にある小部屋へ入り、安全区画から二人を出した。


 若い女の方は、ようやく意識がはっきりしてきたらしい。

 けれど、立てる状態ではない。


 レイナがすぐに支える。


「無理しなくていいです。ここはベルクハイムのギルドです」


「……ギルド……?」


 女はかすれた声で繰り返した。


「助かった、の……?」


「はい」


 レイナが優しく答える。


「もう大丈夫です」


 その一言で、女の肩から力が抜けた。


 張りつめていた糸が切れたみたいに、そのまま泣き出してしまう。


 それを見て、ルークは胸の奥が少しだけ苦しくなった。


 たぶん、限界まで耐えていたのだろう。


 ハロルドが荷運び人夫の方を診て、低く言う。


「命に別状はない。薬を使われていたが、量は多くない。縛られて放置されたせいで弱っておる」


「こっちは?」


 ナディアが若い女を顎で示す。


「軽い脱水と、鎮静剤の残り。休ませれば持ち直す」


 それを聞いて、ようやく全員が少し息をついた。


◇ ◇ ◇


 落ち着いたあと、革鞄の中身が改めて机の上へ並べられた。


 薬瓶二本。

 記録帳。

 折りたたまれた紙。

 それから、底に薄い板が敷いてあることにカナンが気づいた。


「これ、二重底だ」


「え?」


 ルークが見ると、たしかに革の底が妙に厚い。


 カナンが器用に爪を差し込んで持ち上げると、その下からさらに細長い紙片が出てきた。


「……隠し持ってたのか」


 ナディアが顔をしかめる。


 紙片は細く折られていて、表面に急いだような字で何か書いてある。


 ルークが開くより早く、若い女がその紙を見て目を見開いた。


「それ……!」


 全員の視線が彼女へ集まる。


 女はまだ青い顔のまま、震える指で紙を指した。


「それ、運び先の印……!」


「あなた、これが分かるの?」


 ナディアが問う。


 女は息を整え、ようやく名乗った。


「……エルマ。ベルクハイム北区の薬師見習いです」


 ルークは、なるほどと思った。


 薬を扱う人間だから、攫われたのかもしれない。


「私、薬を見分けられるから……倉庫の品を選ばされて……」


 エルマはそこまで言って、唇を噛んだ。


 思い出すのもつらいのだろう。


 レイナがそっと背をさする。


「無理に全部話さなくていいです」


「……でも、今言わないと」


 エルマは、きゅっと拳を握った。


「その紙、荷の振り分けに使う印です。普通の商人は使わない。密かに荷を回す時の……」


「裏の流し先ってことね」


 ナディアが低く言う。


 エルマが頷く。


「ラウネス行きの時だけ、この印を付けてた」


 その言葉で、机の上の空気が一段重くなった。


 ラウネス。

 水都ラウネス。


 36話の地図にもあった、ベルクハイムよりさらに先の街だ。


「ラウネスに何があるんですか?」


 ルークが聞くと、エルマは首を横に振った。


「分からない……でも、あの人たち、よく言ってた。“次は水都でまとめる”って」


「まとめる?」


「……人も、薬も、全部」


 ぞくりとした。


 人も、薬も。


 まるで同じ“荷”みたいに扱う言い方だ。


◇ ◇ ◇


 ナディアが机を指で叩く。


「三日後、北門外れの納屋。そこからラウネスへ搬送」


「帳面の記述とも一致してます」


 ルークが言う。


「なら、次の動きはそこですね」


 カナンが壁にもたれたまま口を開く。


「待ち伏せするか、先回りして中を見るか」


「どっちも必要だな」


 ミハイルが言った。


「ただ、三日後まで待ってる間に別の場所が動く可能性もあります」


 その通りだった。


 ここまで来ると、相手は一人二人じゃない。


 運ぶ役。

 薬を揃える役。

 獣を暴れさせる役。


 線が広がり始めている。


 その時、ハロルドが小さく鼻を鳴らした。


「お主ら、ひとつ見落としておる」


「何を?」


 ナディアが振り向く。


 老人は机の上の二本の薬瓶を指した。


「これ、片方は完成品だが、もう片方は違う。調合途中の試作品だ」


「試作品……?」


 ルークが聞き返す。


「つまり、薬を作る場所は別にある。水車小屋は保管と仕分けだけじゃ」


 そこで老人は、机の端の帳面を開いた。


 最後のページの余白に、小さく走り書きがある。


 さっきは数字と印に気を取られて気づかなかった。


「“次は現地調合”……?」


 レイナが読み上げる。


 ナディアの顔が変わった。


「現地って、どこよ」


 ハロルドは無言のまま、紙片と帳面を並べた。


 そして、もう一度ラウネスの名を見る。


「……水都なら、水路が多い。運ぶにも隠すにも都合がいい」


 ベルクハイムは、途中の拠点に過ぎない。


 そういうことだ。


 ルークの胸の奥で、何かがかちりと噛み合う音がした。


 王都東部の異変。

 ベルクハイムの獣と薬箱。

 そしてラウネス。


 点だったものが、線になり始めている。


◇ ◇ ◇


 しばらくして、診療を終えたエルマが、ふとルークの袖を掴んだ。


「……まだ、ある」


「え?」


「水車小屋には、もう人はいなかった。でも……」


 彼女は、今にも消えそうな声で続ける。


「私、あそこに連れてこられる前に、一回だけ別の場所を見たんです」


 ナディアが身を乗り出す。


「どこ」


 エルマの唇が震える。


「……北門の外れにある納屋じゃない」


「違うの?」


「もっと手前。古い荷揚げ場……水路の横」


 カナンが即座に反応した。


「北の旧船着き場か」


「知ってるの?」


 ルークが聞く。


「今は半分潰れてる。けど、水路から荷を移すなら使える」


 その瞬間、全員が同じことを思った。


 北門外れの納屋は、囮かもしれない。


 あるいは表の搬送場所。

 その前段階の荷揚げ場が別にある。


「……面倒くさいわね」


 ナディアが低く吐き捨てる。


「でも、やることは決まった」


 彼女の目は、もう迷っていない。


「夜が明けたら、北の旧船着き場を洗う。そのあと、北門外れの納屋も押さえる」


「休めるうちに休め、って言いたいところだけど」


 カナンが苦笑する。


「そうもいかなそうだな」


 ルークは、机の上の紙を見つめた。


 三日後。

 北門外れの納屋。

 搬送先、ラウネス。


 でも、その前にまだ隠された場所がある。


 追いつけるかもしれない。


 今ならまだ、止められるかもしれない。


 支部の外では、夜明け前の風が、窓を小さく鳴らしていた。


 長い夜は、まだ終わっていない。

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