ベルクハイム支部
ベルクハイムの城門をくぐったあと、ルークたちはそのまま街の中央へ向かった。
道の両脇には石造りの建物が並び、王都よりも少し低い屋根が続いている。
人通りは多い。
だが、王都の中央通りのような華やかさとは違った。
商人が荷を運び、店先では干し肉や薬草が並び、あちこちで「足りない」「届かない」といった声が飛び交っている。
街そのものは動いている。
けれど、その動きには余裕がなかった。
「やっぱり、かなり逼迫してるんですね」
レイナが小さく言う。
「はい」
ミハイルが前を向いたまま答えた。
「橋が崩れてから、予定通りに入ってくるはずだった物資が止まりました。街の中だけならまだ回せますが、周辺の集落まで含めると厳しい」
ルークはその言葉を聞きながら、改めて《無限インベントリ》の中を確かめた。
王都から持ってきた支援物資。
まだ大半がそのまま入っている。
これを必要な場所へ運ぶのが、今の自分たちの役目だ。
◇ ◇ ◇
ベルクハイム支部の冒険者ギルドは、広場の東側にあった。
王都本部ほど大きくはないが、それでも二階建てで、出入りする冒険者も多い。
扉を開けた瞬間、ルークは少しだけ目を瞬かせた。
「おい、南の見回り班はまだ戻ってないのか!」
「戻ってない! だから今、別班を出すかどうか揉めてる!」
「薬草は先に診療所だろ! なんでこっちに積んでるんだ!」
王都本部とはまた違う意味で騒がしい。
忙しさが、そのまま声の大きさになっているような空気だ。
レイナが少しだけ肩をすくめた。
「……すごいですね」
「言っただろ」
カナンが肩をすくめる。
「ここのギルド、だいたいこんな感じ」
その時、受付の奥から女性がこちらに気づいた。
栗色の髪を高めでまとめた、きびきびした雰囲気の女性だ。
「ミハイル!」
彼女はすぐにカウンターから出てきた。
「無事だったのね。橋の先が荒れてるって聞いてたから心配したわ」
「何とか戻れました」
ミハイルが短く答える。
「それと、王都からの支援組も一緒です」
女性の視線がルークとレイナに向いた。
相手を一瞬で見定めるような、仕事のできる人の目だ。
「ベルクハイム支部受付のナディアです。話は聞いてるわ。《星灯の止まり木》ね」
ルークとレイナは軽く頭を下げた。
「ルークです」
「レイナです」
「来てくれて助かる。まずは物資の受け渡しをしたいんだけど――」
ナディアはそこで、ルークの手ぶらに近い姿を見て眉を寄せた。
「……荷は?」
「僕が持ってます」
「え?」
「収納系のスキルです」
一拍おいて、ナディアの目が少しだけ鋭くなった。
「ミハイルが言ってた“全部ひとりで運べる”って、本当だったのね」
「はい」
ナディアはすぐに頷いた。
「なら話が早いわ。倉庫へ来て」
◇ ◇ ◇
支部裏手の倉庫は、かなり慌ただしかった。
入ってすぐ分かる。
人はいるのに、物が足りていない。
空の棚。
半分しか埋まっていない木箱。
帳簿を見ながら顔をしかめている職員たち。
「中央を空けて!」
ナディアが声を飛ばすと、職員たちがさっと道を空けた。
ルークは一歩前に出る。
「出します」
《無限インベントリ》を開く。
木箱がひとつ。
麻袋がふたつ。
毛布の束。
水袋。
薬。
乾パン。
子ども用の衣類。
次々に積み上がっていく支援物資に、倉庫内の動きがぴたりと止まった。
「……うそだろ」
「まだ出るのか?」
「荷車何台分あるんだよ……」
周囲の視線が一気に集まる。
そのざわめきを、ナディアの一言が切った。
「見てる暇があるなら動いて! 毛布は北区の仮設へ、乾パンは診療所と西門側の避難所へ半分ずつ! 薬はこっちの表と照合して!」
その声で、止まっていた職員たちが我に返ったように動き出す。
ルークは少しだけ感心した。
王都のリーナが“やさしく支える受付”なら、ナディアは“前で回す受付”だ。
タイプは違うが、どちらも頼りになる。
「助かるわ」
ナディアが帳簿を片手に言う。
「正直、ここ数日は何をどこへ回すかで手一杯だったの。これだけまとまって入れば、一息つける」
「まだ必要なものがあれば言ってください」
ルークがそう言うと、ナディアは少しだけ目を見開いた。
「……王都の冒険者にしては、ずいぶん素直なのね」
「え?」
「もっと“届けたら終わり”って顔してるかと思ってた」
その言い方に、カナンが横で小さく吹き出す。
「最初は俺もそう思った」
「失礼ですね」
レイナが少しだけむっとして言うと、カナンは「悪い悪い」と笑った。
「でも、違うんでしょ?」
ナディアがルークを見る。
ルークは少しだけ迷ってから答えた。
「……困ってる人のところまで届いて、ようやく終わりだと思ってます」
その言葉に、ナディアは一瞬だけ黙り、それから小さく笑った。
「なるほど。なら、当たりよ」
◇ ◇ ◇
物資の受け渡しが一段落すると、ナディアはすぐに次の指示を出した。
「レイナさん、診療室を見てくれる? 街道沿いの集落から来た熱持ちの子が何人かいるの。うちの治療役だけじゃ回りきらなくて」
「はい、分かりました」
レイナは迷わず頷く。
「ルークさんは――」
ナディアはそこで少し考え、帳簿を閉じた。
「あなたには、もうひとつ見てほしいものがあるわ」
「見てほしいもの?」
「ええ」
彼女の声色が少しだけ変わった。
ただの支援の話ではない、と分かる。
「昨日の夜、街道沿いの村で、少し大きい森犬を一頭収納したんです」
ルークが先に言うと、ナディアの視線が上がった。
「ミハイルから聞いてる。普通の個体より一回り大きくて、肩の盛り上がり方が妙だったって」
「はい」
ミハイルが横から補足する。
「東部での件と、まったく同じとは言いません。ただ、見過ごすのも怖い」
ナディアは短く頷いた。
「こっちへ来て」
◇ ◇ ◇
案内されたのは、倉庫のさらに奥にある小部屋だった。
石壁の、簡素な部屋。
中には一人、白髪まじりの老人が待っていた。
細身で、眼鏡をかけ、白衣に近い長衣を着ている。
「支部付きの検視役、ハロルド先生よ」
ナディアが紹介する。
「魔物の状態確認と、毒や病の有無を見るのが仕事」
「ほう」
ハロルドはルークをじっと見た。
「王都から来た収納持ちというのは、君か」
「ルークです」
「細かい話は後だ。まずは見せてくれ」
ぶっきらぼうだが、焦りが滲んでいる。
ルークは頷いた。
「分かりました」
床の上へ、少し間を空けて《無限インベントリ》を開く。
昨夜収納した、大きな森犬が現れた。
灰色の毛並み。
他の個体より一回り大きな体。
そして、肩口の不自然な膨らみ。
ハロルドがすぐにしゃがみ込み、毛をかき分けた。
「……む」
その一言だけで、部屋の空気が少し重くなる。
ナディアが低く尋ねる。
「どう?」
「普通ではない」
ハロルドははっきり言った。
指先で肩の盛り上がった箇所を押し、裂けた皮膚の内側を見せる。
赤黒い筋。
腫れた肉。
不自然な血の色。
ルークの背中に、ぞくりとしたものが走った。
見覚えがあったからだ。
「……東部の個体に似てる」
思わず口に出すと、ナディアとミハイルの顔色が変わる。
「やっぱり、そうなのね」
ナディアの声は低かった。
「同じだと断言はできん」
ハロルドは慎重に言う。
「だが、自然の傷や栄養不足でこうはならん。何か別の負荷がかかっている」
その時だった。
扉が勢いよく開いた。
「ナディアさん!」
飛び込んできたのは、若い伝令役の男だった。
息を切らし、顔色も悪い。
「どうしたの!」
「南の第二集落から早馬です! 今朝、家畜小屋が壊されて、見張りの男が一人戻ってません! しかも――」
男はそこで息を飲み、震える声で続けた。
「森犬じゃありません。もっと大きい足跡が、森の方へ続いてるって……!」
室内が、しんと静まり返る。
ベルクハイムへ来て、まだ半日も経っていない。
けれど、もう次の問題はすぐ目の前まで来ていた。
ナディアがルークたちを見る。
その目には迷いがない。
「《星灯の止まり木》」
呼ばれた瞬間、ルークはすぐに背筋を伸ばした。
「はい」
「明日の朝じゃ遅いかもしれない。休む間もないけど……動ける?」
答えは、最初から決まっていた。
ルークはレイナを見る。
レイナも、もう迷っていない。
「行きます」
「私もです」
ナディアは短く頷いた。
「なら、詳しい話は移動しながらする」
ハロルドはまだ森犬の肩口を見つめたまま、低く呟いた。
「……嫌な広がり方だ」
その一言が、ルークの胸に重く落ちる。
東部だけの話じゃない。
その予感が、今、はっきり形になろうとしていた。




