遠くの街から来た依頼
雨上がりの翌朝、王都グランヴェルドの空気は澄んでいた。
石畳にはまだ少しだけ水気が残り、朝の光を受けてきらきらと反射している。
ルーク・フレイアスは、三日月亭の窓を開けて、ひんやりした風を胸いっぱいに吸い込んだ。
(昨日は、いい仕事だったな)
《星灯の止まり木》としての初仕事。
大きな戦いはなかった。
派手な討伐もなかった。
けれど、あの依頼は間違いなく自分たちらしい仕事だった。
必要な物を運んで。
不安な人のそばに立って。
「助かった」と言ってもらえた。
昨日の小さな女の子の言葉が、まだ耳に残っている。
――じゃあ、やっぱりつよい。
そのまっすぐな言い方が、少しだけくすぐったくて、でも嬉しかった。
◇ ◇ ◇
階下へ降りると、もう食堂には焼きたてのパンの匂いが広がっていた。
「おはよう、ルーク坊」
ツネが片手を上げる。
「おはようございます」
「今日は顔色がいいね。昨日より、よっぽど」
その言葉に、ルークは少しだけ笑った。
「たしかに、昨日よりは軽いかもしれません」
「そりゃそうだろうさ。人を助けたあとにちゃんと役に立てたんだ。気分も違うさね」
ツネはそう言って、皿をどんと置いた。
ふかふかのパン。
刻んだ野菜と肉の入った温かいスープ。
それに、少し甘めの卵焼き。
「今日はよく食べな。なんかね、朝からギルドの使いが来てたよ」
「ギルドの?」
「うん。急ぎじゃないけど、来たら受付に顔を出してほしいってさ」
そこで、メリアが奥から顔を出す。
「レイナさんにも伝わってるみたいです!」
「そうなんだ」
「はいっ。たぶん、昨日の依頼の続きとか……かなって思ったんですけど」
ルークは席につきながら、少し考えた。
東部の支援依頼なら、ありえる。
でも、わざわざ使いが来るほどのことだろうか。
少しだけ胸がざわつく。
けれど、不安というよりは、何か次が動き出すような感覚に近かった。
◇ ◇ ◇
ギルド本部へ着くと、受付にはすでにレイナがいた。
「おはようございます、ルークさん」
「おはよう。こっちにも連絡来てた?」
「はい。朝早くに、受付から伝言があったみたいで」
レイナも少しだけ不思議そうな顔をしている。
そこへ、リーナが奥から小走りで出てきた。
「お二人とも、来てくれましたね!」
「何かあったんですか?」
ルークが尋ねると、リーナは一枚の書状を胸の前で持ち直した。
「はい。……王都の外から、名指しの依頼が来ています」
「名指し?」
ルークとレイナの声が重なる。
リーナはうなずいた。
「正確には、《星灯の止まり木》宛て、です」
その一言に、二人は思わず顔を見合わせた。
昨日、正式に登録したばかりの新しいパーティーだ。
もう名指しの依頼が来るなんて、想像していなかった。
「詳しくは、応接室でお話しした方が早いです。依頼主の方も、まだギルドにいらっしゃいます」
◇ ◇ ◇
通された小部屋には、見知らぬ男が一人座っていた。
年の頃は三十前後。
焦げ茶色の短髪に、長旅の埃をかぶった外套。
腰には剣を提げているが、冒険者というよりは街の警備役に近い雰囲気だった。
男はルークたちを見ると、立ち上がって深く頭を下げた。
「突然のお願いを聞いていただき、ありがとうございます。私はミハイルと申します。南街道の先にある地方都市、ベルクハイムから来ました」
ルークとレイナも軽く会釈を返す。
ベルクハイム。
聞いたことのある地名だ。
王都から馬車で数日ほど南へ行った先にある、中規模の交易都市だったはずだ。
「ベルクハイムで、何かあったんですか?」
レイナが静かに尋ねる。
ミハイルは頷いた。
「はい。正確には、街そのものではなく、その手前の街道沿いの集落で問題が起きています」
彼は机の上に、簡単な地図を広げた。
「この一帯では、数日前の豪雨で橋が一部崩れ、物資の流れが止まりました。本来なら王都から送られる予定だった食料や薬も届かず、集落のいくつかで困窮が出ています」
ルークは地図へ目を落とす。
橋が壊れ、物資が届かない。
それだけなら災害対応だ。
だが、ミハイルの表情はそれだけでは済まないことを示していた。
「それと、もうひとつ」
彼は声を少し落とした。
「夜になると、街道沿いで魔物の目撃が増えています。普段なら森の奥にいるはずの個体が、人の住む場所の近くまで下りてきている」
ルークの胸が、わずかにざわつく。
東部で起きていた異変を、すぐに思い出したからだ。
「異常個体……ですか?」
ルークが聞くと、ミハイルは少し困ったように首を振った。
「そこまでは断言できません。ただ、普段と様子が違うという報告はあります。荒れているというか、妙に飢えているようだと」
それなら、まだ東部ほど深刻ではないのかもしれない。
けれど、放っておいていい話でもない。
「本来なら、私どもの街で抱えるべき問題です」
ミハイルは続ける。
「ですが、橋が崩れたせいで物資輸送が滞り、警備も人手が足りない。そこで王都ギルドに相談したところ……」
彼はそこで一度、ルークを見る。
「“運搬と救助に強い新しいパーティーがいる”と聞かされました」
リーナが少しだけ胸を張る。
「ご紹介しました」
そう言われて、ルークはなんとも言えない顔になった。
けれど、悪い気はしない。
自分たちの力が、ちゃんと別の街にも届くかもしれないと思えるからだ。
「内容としては、二つです」
ミハイルは指を折った。
「ひとつは、王都からベルクハイムまでの支援物資の輸送」
「もうひとつは、途中の集落の状況確認と、必要であればその場での救護」
ルークは隣のレイナを見る。
レイナもこちらを見て、小さく頷いた。
話の方向は、ほとんど決まっている。
◇ ◇ ◇
それでも、すぐに返事はしなかった。
ルークは一度、息を整えてから尋ねる。
「どうして、僕たちを名指しで?」
ミハイルは少し驚いたようだったが、すぐに真面目な顔で答えた。
「王都ギルドから、東部での救出のことを聞きました。子どもたちを無事に助け出したことも、避難所への支援物資輸送で成果を上げたことも」
そして、まっすぐに言う。
「今、私たちに必要なのは、ただ強い人ではありません。必要な物を運べて、困っている人を見捨てない人です」
その言葉が、ルークの胸に深く落ちた。
強さだけを求められていた頃とは、まるで違う。
今、自分が必要とされている理由は、ちゃんと自分の中でも誇れるものだった。
「……分かりました」
ルークは答える。
「受けます」
「私もです」
レイナも迷わず続いた。
ミハイルの表情が、目に見えて明るくなる。
「ありがとうございます」
その瞬間、ルークの中で何かが、静かに前へ進んだ気がした。
王都の中でやってきたことが、今、外の街へつながったのだ。
◇ ◇ ◇
依頼の話を詰めたあと、ミハイルは一度下がり、出発時刻などの細かな調整は午後に回されることになった。
部屋に残ったのは、ルーク、レイナ、リーナの三人だけになる。
しばらく静かな間があってから、リーナがそっと言った。
「……いよいよ、ですね」
「うん」
ルークも、静かに頷いた。
「王都の外だ」
レイナが小さく息をつく。
「まだ数日先の街ですけど、それでも初めてですね。こうして、パーティーとして別の街へ行くの」
リーナは笑おうとして、でも少しだけ寂しそうな顔になる。
「寂しくないと言ったら嘘になりますけど……でも、お二人にはそういう場所まで行ってほしい気もしてました」
「リーナさん……」
「だって、《星灯の止まり木》って、王都の中だけで終わる名前じゃないでしょう?」
その言葉は、昨日と同じようでいて、今日はもっとはっきりと響いた。
王都の外にも、人がいる。
困っている街がある。
守らなきゃいけないものがある。
「……たしかに」
ルークは、自分でも少し驚くほど素直にそう言えた。
「そうかもしれない」
◇ ◇ ◇
昼過ぎ。
ルークとレイナは、準備の相談も兼ねて三日月亭へ戻った。
食堂はまだ昼時で、旅商人や冒険者たちが何組か席についている。
そこへ入るなり、ツネが「おや」と目を細めた。
「今日はずいぶん早いじゃないか。どうしたんだい」
ルークとレイナは顔を見合わせて、それから席についた。
「王都の外への依頼が来ました」
ルークがそう言うと、ツネの手がぴたりと止まる。
「外、ってのは?」
「南のベルクハイムって街です。途中の集落も回って、物資輸送と状況確認をする依頼で」
「へえ……」
ツネは腕を組む。
その顔には、意外そうな色と、どこか納得したような色が混ざっていた。
「とうとう来たか、って感じだね」
「とうとう?」
レイナが聞き返す。
するとツネは笑った。
「そりゃそうさ。あんたたちのやってることは、王都の中だけで済むもんじゃないよ」
ダンも厨房の奥から一言だけ言った。
「荷運びと救護、どこでも要る」
「……ですよね」
ルークは自然と頷いていた。
メリアが少し寂しそうにしながらも、ぱっと顔を上げる。
「でも、ちゃんと帰ってきますよね?」
「うん。今回はそんなに遠くないし、長旅ってほどじゃないよ」
「それならよかったです……!」
メリアは胸を撫で下ろし、それからすぐに明るい声を出した。
「じゃあ、出発前に持ち歩きやすいお菓子、作っておきます!」
「助かる」
ルークがそう言うと、メリアは嬉しそうに笑う。
こういう反応があるから、三日月亭はやっぱり“帰る場所”なんだと思う。
◇ ◇ ◇
食事のあと、ルークとレイナは二階の空き部屋を借りて、旅支度の相談を始めた。
机の上には、紙とペン、そして大まかな街道地図。
「まず、必要なのは日数ですね」
レイナが言う。
「王都からベルクハイムまで、普通の馬車で三日から四日」
「でも、途中の集落に寄るなら、もう少しかかるかも」
ルークが地図を見ながら答える。
「物資の量は、僕が持てる。問題は、休憩場所と、途中で何が起きても対応できるようにすることかな」
レイナは頷いた。
「水、携帯食、薬、予備の服、簡易寝具……あと、橋が崩れてるって話でしたから、ロープや工具も少し欲しいです」
「うん」
相談しているだけなのに、自然と気持ちが引き締まってくる。
これは単なる運搬じゃない。
《星灯の止まり木》としての、最初の“外”への仕事だ。
「……ルークさん」
「うん?」
「ちょっと、楽しみでもあります」
レイナはそう言って、少し照れたように笑った。
「怖くないって言ったら嘘ですけど。でも、こうして一緒に王都の外へ出るの、きっと大事な一歩ですよね」
「僕もそう思う」
ルークは静かに答えた。
王都の外に、何があるかはまだ分からない。
でも、行く理由なら、もうある。
困っている人を助けるため。
異変の種が広がっていないかを見るため。
そして、自分たちの力がどこまで届くのかを知るため。
◇ ◇ ◇
夕方。
ギルドへ戻って最終確認をしたあと、ルークは一度保護室へ顔を出した。
出発前に、子どもたちの顔を見ておきたかったからだ。
ユウトはすぐに気づいて、ぱたぱたと駆け寄ってくる。
「ルーク!」
「おう」
「どっかいくの?」
「少しだけ遠くの街にな」
「またたすけにいくの?」
その問いに、ルークは一瞬だけ言葉を失いかけて、それから素直に頷いた。
「うん。そうだよ」
ユウトはそれを聞いて、なんだか得意そうな顔をした。
「じゃあ、だいじょうぶだね」
「どうして?」
「ルーク、つよいから」
あまりにまっすぐに言われて、ルークは少しだけ困ったように笑う。
「ありがとう」
その少し離れた場所で、ノアもこちらを見ていた。
「また外に行くんだって?」
「うん。少しだけ」
「ふーん」
ノアは窓の方へ顔を向ける。
「じゃあ、次はもっと強くなって帰ってきて」
その言い方は偉そうなのに、妙に真剣だった。
「なんでノアにそんなこと言われるんだろう」
「言っとかないと、あんた普通に無茶しそうだから」
ルークは吹き出しそうになる。
たしかに、否定できない。
「分かった。できるだけ格好悪く帰ってこないようにするよ」
「絶対ね」
ノアはそう言って、ふいっと背を向けた。
でも、その声には前よりずっと温度があった。
◇ ◇ ◇
夜。
三日月亭の自室に戻ったルークは、明日の持ち物をもう一度確かめた。
物資。
予備装備。
水。
薬。
毛布。
携帯食。
そして、机の上には、ユウトにもらった小さな白い花がある。
それを見つめながら、ルークは静かに息を吐いた。
《星灯の止まり木》として、初めて王都の外へ出る。
まだ、ほんの小さな旅だ。
でも、きっとこれは始まりになる。
新しい街。
新しい人たち。
もしかしたら、新しい仲間との出会いもあるかもしれない。
そう思うと、不安より先に、少しだけ胸が高鳴った。
ルークは窓の外を見た。
王都の夜空に、星がひとつ灯っている。
あの光の先にも、きっと誰かの暮らしがある。
守りたいものがある。
《星灯の止まり木》の旅は、ここから始まるのだ。




