初仕事
翌朝。
王都グランヴェルドの空は、雲ひとつない青だった。
昨夜までの静かな高揚が、まだ胸の奥に残っている。
《星灯の止まり木》。
自分たちで決めたその名前を思い出すたび、ルーク・フレイアスは少しだけ背筋が伸びる気がした。
もう、ただの臨時の組み合わせじゃない。
自分とレイナが、これから一緒に進んでいくための名前だ。
◇ ◇ ◇
ギルド本部に着くと、朝のホールはいつも通りにぎわっていた。
依頼板の前には冒険者たちが集まり、受付前では報告待ちの列ができている。
そんな中、ルークの姿を見つけたリーナが、ぱっと顔を明るくした。
「おはようございます、ルークさん!」
「おはようございます」
「ちょうどよかったです。これ、できてますよ」
そう言って差し出されたのは、新しいギルドカードだった。
受け取って見ると、ランク欄はD。
所属欄には、はっきりと刻まれている。
《星灯の止まり木》
ルークは無意識に、親指でその文字をなぞった。
「……本当に入ってる」
「もちろんです」
リーナは嬉しそうに笑う。
「こちらもどうぞ」
続いて渡されたのは、小さな金属の札だった。
片面にはギルドの紋章。
もう片面には、同じように《星灯の止まり木》の文字。
「パーティー証です。受注や報告のときに提示すると、手続きがしやすくなります」
大きなものではない。
でも、それが妙に嬉しかった。
目立つ飾りなんてないのに、これが自分たちの“看板”なのだと思うと、胸の奥がじんわり熱くなる。
「レイナさんは?」
「もう来てますよ。資材倉庫の方です」
「倉庫?」
ルークが聞き返すと、リーナは少しだけ悪戯っぽく笑った。
「はい。実は、お二人にぴったりの依頼が朝一番で入ったんです」
◇ ◇ ◇
資材倉庫は、本部の裏手にある大きな石造りの建物だった。
中へ入ると、木箱や麻袋が山のように積まれている。
毛布、水袋、乾パン、傷薬、子ども向けの薄い上着まであった。
その間で、レイナが職員と一緒に荷札を確認している。
「レイナさん」
「あ、ルークさん。おはようございます」
「おはよう。これは……」
そこへ、後ろからリーナが説明を継いだ。
「東部封鎖区の周辺に作られた一時避難所へ、今日中に支援物資を運ぶ依頼です」
差し出された依頼書には、こう書かれていた。
【Dランク支援依頼】
依頼主:王都東部復旧支援窓口
内容:東部封鎖区周辺の一時避難所への物資輸送、および周辺見回り補助
報酬:三六〇〇〇リル
備考:運搬量が多いため、収納系スキル保持者を優先。軽傷者対応が可能であればなお望ましい。
ルークは依頼書から顔を上げた。
まるで、自分たちに向けて置かれたような依頼だ。
「今日の夕方から冷え込むらしいんです」
リーナが続ける。
「避難所の方で、毛布と食料が足りないって。荷車だと何往復も必要で、人手も時間も足りなくて……」
「受けます」
ルークは迷わず言った。
「私もです」
レイナもすぐに頷く。
リーナはほっとしたように笑った。
「よかった。そう言ってくれると思ってました」
◇ ◇ ◇
その後は、ひたすら準備だった。
倉庫番の中年男が目録を読み上げ、レイナが確認し、ルークが《無限インベントリ》へ収納していく。
「毛布、三十束!」
「収納」
「乾パン箱、十二!」
「収納」
「飲み水、特大水袋五!」
「収納」
木箱が次々に消えていくたび、倉庫の職員たちが目を丸くする。
「……こりゃすげえな」
「荷車いらねえじゃねえか……」
倉庫番の男は、しばらく感心したようにルークを見ていたが、やがて低い声で言った。
「お前さん、その力、王都の中だけで使うにはもったいないな」
「え?」
「辺境の村や、街道の宿場町じゃ、物資運び一つで何日もかかる。こういうのをひとりでまとめて運べるやつがいたら、それだけで助かる土地は多いぞ」
ルークは、返す言葉が少しだけ遅れた。
昨日、レイナとも似たような話をしたばかりだったからだ。
王都の外。
別の街。
もっと遠い場所。
そこでも、自分の力が必要とされるかもしれない。
「……そうかもしれません」
ルークがそう答えると、倉庫番の男はふっと笑った。
「まあ、今すぐじゃなくてもな。だが、覚えときな」
◇ ◇ ◇
昼前には準備が整い、《星灯の止まり木》としての最初の依頼が始まった。
王都東門を抜けた先には、封鎖区の外れに作られた一時避難所が点々と並んでいる。
そのひとつ目に着くと、仮設小屋の前で待っていた担当者が駆け寄ってきた。
「来てくれたか! 助かる!」
ルークは必要な物資を取り出していく。
水。
乾パン。
毛布。
薬。
着替え。
それを受け取る職員たちの顔が、目に見えてやわらいでいく。
「これで今夜は何とか持つ……!」
「寝具が足りなくて困ってたんだ、本当に助かる!」
その横で、レイナは避難してきた子どもの擦り傷を診ていた。
「少ししみますけど、すぐ終わりますからね」
「……うん」
レイナの声はやわらかい。
緊張していた子どもの顔が、少しずつ落ち着いていく。
ルークはその様子を見て、胸の奥で静かに思った。
これが、自分たちの初仕事でよかった。
派手な討伐じゃない。
でも、確かに必要とされる仕事だ。
◇ ◇ ◇
二つ目の避難所へ向かう途中だった。
街道から少し外れた坂道で、荷車がひっくり返っているのが見えた。
「……あれ」
レイナが足を止める。
近づくと、若い男がひとり、必死に木箱を押さえていた。
箱の中身はほとんど転がり出ていて、近くでは年配の女が困ったように立ち尽くしている。
「大丈夫ですか!」
ルークが声をかけると、男が顔を上げた。
「うわっ……冒険者か!? 頼む、少し手を貸してくれ! 避難所に持っていく食料なんだが、車輪がぬかるみに取られて……!」
ちょうどその時、空からぽつりと冷たい滴が落ちた。
雨だ。
レイナが空を見上げる。
「早いですね……」
「すぐ本降りになるかも」
ルークは男の前にしゃがみ込み、転がった箱をひとつ持ち上げた。
「全部、避難所まで運べばいいんですよね?」
「そ、そりゃそうだが……」
「じゃあ、大丈夫です」
ルークは《無限インベントリ》を開いた。
転がった食料箱。
毛布の束。
ひっくり返った荷車そのものまで、順番に収納していく。
「えっ」
「は!?」
「荷車まで入った!?」
男も年配の女も、目を丸くした。
ルークは立ち上がる。
「避難所はどっちですか?」
「こ、この先を曲がったとこだが……」
「じゃあ、一緒に行きましょう」
レイナが少し笑う。
「今日は、こういう依頼なんです」
男はまだ信じられない顔だったが、やがてぶんぶんと頭を下げた。
「助かった……! 本当に助かった!」
◇ ◇ ◇
その避難所に物資を届け終えた頃には、雨は本降りになっていた。
屋根を叩く雨音が強い。
だが、その分だけ、ルークたちが運んだ毛布や食料のありがたみも大きかった。
「間に合ってよかった……」
避難所の女職員が、毛布を抱えながら呟く。
「この雨で夜はかなり冷えます。小さい子もいますし、本当に助かりました」
「まだ必要なものはありますか?」
ルークが尋ねると、彼女は少し迷ってから答えた。
「薬草茶が切れかけてます。でも、そこまで急ぎじゃ……」
「あります」
レイナがすぐに言った。
「予備、少し持ってきてます」
そして《星灯の止まり木》の荷の中から、すぐに必要な包みを取り出した。
女職員は目を見開く。
「そこまで考えて……?」
「避難所だと、冷えと咳が出やすいと思ったので」
そう答えるレイナの横顔は、少し誇らしげだった。
ルークはその姿を見て、小さく笑う。
レイナは、確実に自分の役割を掴み始めている。
◇ ◇ ◇
雨宿りを兼ねて、避難所の軒先で少しだけ休んでいると、ひとりの少女が近づいてきた。
年は十歳前後だろうか。
腕に大事そうに布人形を抱えている。
「……あの」
「どうしたの?」
レイナが目線を合わせると、少女はおずおずとルークたちを見た。
「おにいさんたち、ぼうけんしゃ?」
「うん」
「つよい?」
ルークは少し考えてから答えた。
「……すごく強い人たちには、まだまだかな」
すると少女は不思議そうに首を傾げた。
「でも、いっぱいもってきた」
「それは得意かも」
「じゃあ、やっぱりつよい」
あまりにまっすぐな言い方で、ルークもレイナも思わず笑ってしまった。
少女は布人形を抱きしめたまま、小さく続ける。
「ありがと」
短い言葉だった。
でも、それだけで十分だった。
ルークはその「ありがとう」を、心の中でそっと受け取った。
◇ ◇ ◇
王都へ戻る頃には、雨も弱まっていた。
濡れた石畳に夕方の光が反射して、街が少しだけきらきらして見える。
「……いい初仕事でしたね」
レイナが言う。
「うん」
「戦いはなかったですけど……でも、ちゃんと《星灯の止まり木》の仕事だった気がします」
ルークはその言葉に頷いた。
「僕もそう思う」
ただ運んだだけじゃない。
必要なものを、必要な場所へ届ける。
不安な人たちを少しだけ安心させる。
それはきっと、自分たちのパーティーにしかできない役目だ。
「ルークさん」
「うん?」
「王都の外にも、こういう場所、いっぱいあるんでしょうね」
レイナの視線は、濡れた街道の向こうへ向いていた。
王都の外。
まだ見ぬ村や街。
困っている人たち。
「……あると思う」
ルークは静かに答える。
「王都の外にも、助けが必要な場所はたくさんあるはずだし」
「ですよね」
「それに、東部のことだって、これで全部終わったわけじゃない」
雨上がりの空気の中で、その言葉は妙にくっきり聞こえた。
異変の元。
ゼオのこと。
自分の《無限インベントリ》のこと。
知りたいことも、追いたいものも、まだ残っている。
「いつか、王都の外にも行こう」
気づけば、自然にそう言っていた。
レイナが少しだけ驚いた顔をして、それからやわらかく笑う。
「はい」
その返事は、迷いのないものだった。
「《星灯の止まり木》なら、たぶん行けます」
ルークも笑う。
「うん。そう思う」
王都は大切な場所だ。
ここで立ち直った。
ここで名前をもらった。
ここで仲間ができた。
でも、ここだけが世界じゃない。
この先の街にも。
この先の旅にも。
きっと、自分たちの出番はある。
ギルドの灯りが見えてきた時、ルークは胸の奥で静かに思った。
《星灯の止まり木》は、ただ王都に留まるための名前じゃない。
誰かが安心してたどり着けるように。
暗い道の先でも見失わないように。
そういう旅の中でこそ、本当の意味を持つ名前なのかもしれない。
雨上がりの空に、雲の切れ間からひとつ、星が覗いていた。




