名前をつける日
翌朝。
三日月亭の窓から差し込む光は、昨日よりもずっとやわらかく見えた。
ルーク・フレイアスは、部屋の小机に置いた小さな白い花を見つめていた。
ユウトにもらった花だ。
少し歪んでいて、茎も短い。
けれど、その不揃いな形がかえって愛おしかった。
(助けられた証、みたいだな)
そう思うと、胸の奥が少しだけあたたかくなる。
昨夜は昇格祝いの料理を食べて、部屋へ戻ったあともなかなか寝つけなかった。
疲れているはずなのに、考えることが多すぎたのだ。
Dランク昇格。
これからの依頼。
救い出した子どもたち。
そして――正式なパーティー登録。
「……名前、か」
呟いてみても、まだしっくりくる答えは出てこない。
それでも、昨日までの“いつか考えよう”とは違っていた。
今日は、ちゃんと決めたいと思っている。
◇ ◇ ◇
食堂へ降りると、すでにツネが朝食を並べていた。
「おはよう、ルーク坊。今日は顔つきが少し違うね」
「違いますか?」
「うん。悩んでる顔だ」
言い当てられて、ルークは少しだけ苦笑した。
「そんなに分かりやすいですか」
「分かりやすいよ。あんたは考えごとがあると、ちょっとだけ口数が減る」
そこへ、メリアが焼きたてのパン籠を抱えて現れる。
「おはようございます!」
「おはよう」
「今日はギルドですか?」
「うん。その前に、少しだけ考えごともあるけど」
「パーティーのことですか?」
ぴたりと当てられて、ルークは思わず目を瞬かせた。
「……どうして」
「なんとなくですっ」
メリアはえへへと笑った。
「でも、なんだか楽しそうな悩み方だったので」
楽しそう。
そう言われると、たしかにその通りだった。
悩みではあるけれど、前に進むための悩みだ。
追放されたあの日のような、足元が崩れるような苦しさではない。
「今日はレイナさんとちゃんと話してくるよ」
「はいっ。いい名前、決まるといいですね!」
ツネがスープを注ぎながら言う。
「名前ってのは、思ったより大事だよ。人でも宿でもパーティーでもね」
「やっぱりそうですか」
「そりゃそうさ。名前があると、帰る理由になる」
その言葉に、ルークは小さく息を呑んだ。
やはり、自分が今考えていることと、ずれていない。
強そうな名前よりも。
かっこいい名前よりも。
帰る理由になるような名前がいい。
◇ ◇ ◇
ギルドへ着くと、受付にいたリーナがすぐに顔を上げた。
「ルークさん、おはようございます!」
「おはようございます」
「レイナさん、もう来てますよ。保護室の方に」
「分かりました」
リーナは何か言いたそうにして、それから少しだけにやっとした。
「……今日、決まりそうですか?」
「え?」
「パーティー名です」
ルークは思わず苦笑する。
「まだ何も言ってないですよね」
「顔で分かります」
ついさっき、ツネにも似たようなことを言われたばかりだ。
そんなに分かりやすいのかと少し不安になりながら、ルークは保護室へ向かった。
◇ ◇ ◇
保護室の空気は、昨日までとまた少し変わっていた。
怯えと緊張だけだった場所に、ようやく“生活”の気配が戻ってきている。
窓辺でパンをちぎっている子。
毛布を畳む子。
小さな子に水を渡している年上の子。
その中心に、やはりノアがいた。
そして、レイナも。
「おはようございます、ルークさん」
「おはよう」
レイナは、年下の女の子の髪を整えてから立ち上がった。
「みんな、だいぶ落ち着きました。今日は少しだけ声も出るようになってきて」
その時、ユウトがぱっとルークに気づいて駆けてくる。
「ルーク!」
昨日は“おにいちゃん”呼びだったのに、今日はもう名前だ。
それが少しおかしくて、ルークはしゃがみ込んだ。
「おはよう、ユウト」
「おはよう!」
「ちゃんと食べた?」
「たべた! スープも!」
胸を張るその姿に、レイナがくすっと笑う。
「さっき、おかわりまでしてました」
「それはすごい」
ユウトは誇らしげにうなずき、それから少しだけ真面目な顔になった。
「ルーク、きょうもくる?」
「うん。来るよ」
「そっか」
安心したように笑って、また他の子のところへ戻っていく。
ノアがその背中を見送りながら、ぽつりと言った。
「ちび、もう完全に懐いてる」
「ノアだって、昨日よりだいぶ柔らかいよ」
ルークがそう言うと、ノアはむっとした顔をした。
「してない」
「してますよ」
横からレイナがやさしく言う。
「今の顔、昨日よりずっと柔らかかったです」
ノアは言い返しかけて、結局、諦めたように視線を逸らした。
「……うるさい」
でも、耳が少しだけ赤い。
その様子に、ルークもレイナも笑ってしまう。
空気が、やわらかい。
こういう時間があるから、頑張ってよかったと思える。
◇ ◇ ◇
保護室を出たあと、ルークとレイナは中庭にある小さなベンチへ移動した。
朝の光が石畳に落ちて、風は少しだけ冷たい。
けれど日向は心地いい。
しばらく二人とも何も言わずに座っていた。
こういう沈黙が苦ではなくなったのも、少し前とは違うところだ。
やがて、レイナが先に口を開く。
「……私、考えてきたんです」
「パーティー名?」
「はい」
少しだけ恥ずかしそうにしながら、レイナは指先を組んだ。
「でも、うまくまとまってなくて。言葉って難しいですね」
「僕も同じだよ」
ルークも正直に答える。
「強そうな名前、じゃない方がいいとは思うんだけど」
「はい」
「でも、柔らかすぎても違う気がする」
「分かります」
二人で同じように悩んでいるのが、少しだけおかしかった。
「ルークさんは、どんな意味を入れたいですか?」
その問いに、ルークは少し考える。
そして、ゆっくり言葉を選んだ。
「帰る場所、かな」
「……やっぱり」
レイナは小さく笑った。
「私も、それを考えてました」
「ほんとに?」
「はい。だって、今までのことって、結局そこに繋がってる気がするんです」
レイナはまっすぐ前を見たまま続ける。
「ルークさんの《無限インベントリ》も、ただ入れるだけじゃなくて、守る場所みたいになってますし」
「うん」
「救い出した子どもたちも、暗い地下から出て、やっとあたたかい場所に来られた」
「うん」
「それに……私も」
そこで一度言葉を切る。
「私も、ルークさんと一緒に動いてると、ちゃんと帰れる気がするんです」
ルークの心臓が、どくんと鳴った。
何気ない言葉なのに、妙に胸に響く。
「……それ、すごく嬉しい」
素直にそう返すと、レイナは少しだけ頬を染めた。
でも、目は逸らさなかった。
「だから、そういう意味のある名前がいいなって」
「そっか」
「はい」
ルークは空を見上げた。
三日月亭。
ユウトの花。
ノアの強がり。
セシルの祈り。
レイナの言葉。
全部が頭の中でゆっくり繋がっていく。
「……止まり木、ってどうかな」
「止まり木?」
「うん。飛び続けるだけじゃなくて、ちゃんと休める場所」
レイナはその言葉を口の中で繰り返すように呟いた。
「止まり木……いいですね」
「ほんと?」
「はい。あたたかいです」
さらに少し考えて、ルークは言った。
「でも、それだけだと少し物足りないかも」
「たしかに……」
二人でまた考え込む。
風が、木の葉を揺らした。
その時、レイナがふっと顔を上げる。
「星灯り、ってどうでしょう」
「星灯り?」
「はい。暗い夜でも、帰る道が分かるものですから」
その瞬間、するりと何かが収まった。
強すぎず、弱すぎず。
派手すぎず、でもちゃんと意味がある。
ルークはその響きを心の中で繰り返す。
「……《星灯の止まり木》」
口に出すと、不思議なくらいしっくりきた。
レイナの目が少しだけ大きくなる。
「それ……いいです」
「うん。僕も、すごくいいと思う」
「星灯りがあって、帰ってこられる止まり木」
「僕たちらしい気がする」
二人は顔を見合わせた。
次の瞬間、どちらからともなく笑う。
やっと決まった。
ちゃんと、自分たちで決められた。
◇ ◇ ◇
そのまま二人は受付へ戻った。
リーナは、二人の顔を見るなり表情を明るくする。
「決まりました?」
あまりに早く見抜かれて、ルークは苦笑した。
「決まったみたいです」
「やった!」
リーナは一瞬だけ受付嬢らしからぬ喜び方をしてから、慌てて咳払いした。
「し、失礼しました。では、書類を」
カウンターの上に登録用紙が広げられる。
ルークはペンを持ち、レイナを見る。
レイナも、静かにうなずいた。
そして、ゆっくりと書き込む。
パーティー名――
《星灯の止まり木》
文字にした瞬間、何かが本当に始まる感じがした。
「……素敵です」
リーナが書類を覗き込んで、ほうっと息をつく。
「すごく、お二人らしいです」
「ありがとうございます」
「こちらこそです。こういう瞬間に立ち会えるの、受付として嬉しいので」
レイナが少しだけ笑う。
「リーナさん、ずっと楽しそうですね」
「楽しいです。だって、ルークさんが追放された日に初めてここに来た時から見てますから」
その言葉に、ルークは少しだけ目を見開いた。
追放されたあの日。
たしかに、リーナはそこにいた。
いちばん最初に、自分を信じてくれた人の一人だ。
「……あの時、リーナさんが依頼を勧めてくれなかったら、今はなかったかもしれない」
ルークがそう言うと、リーナは一瞬だけきょとんとして、それから頬を染めた。
「そ、そんな……私は受付として、向いてる依頼を案内しただけです!」
「でも、それが嬉しかったんです」
ルークの言葉は、たぶん自然に出た。
リーナはうまく返せないようで、少しだけ慌てて書類を整える。
「で、では! 正式に登録処理を進めますね!」
声が少し上ずっていた。
それを見て、レイナがこっそりくすっと笑う。
◇ ◇ ◇
登録処理が終わるまでの少しの間、ルークとレイナは依頼板の前で並んで待っていた。
まだ急いで新しい依頼を取るつもりはない。
今日は、名前を付けた日だ。
それだけで十分な気もしていた。
「……なんだか、実感が出てきました」
レイナが小さく言う。
「うん。僕も」
「正式に、私たちのパーティーなんですね」
「そうだね」
ルークは言葉を噛みしめるように頷く。
《白銀の牙》を追放された時、自分にはもうそういうものは縁がないと思った。
でも今は、自分で選んで、自分で作る側にいる。
それが、何より大きかった。
やがて、リーナが小走りで戻ってきた。
「お待たせしました! 登録完了です!」
差し出されたのは、新しいギルドカードと、正式登録証。
そこにははっきりと記されていた。
パーティー名
《星灯の止まり木》
所属メンバー
ルーク・フレイアス
レイナ・リーヴェルト
「……本当に、できたんだ」
ルークが呟くと、リーナはにっこりした。
「はい。おめでとうございます」
レイナもカードを見つめながら、静かに言った。
「……嬉しいです」
その横顔は、泣きそうなくらい嬉しそうだった。
ルークはそんな彼女を見て、胸の奥にじんわりとしたものが広がるのを感じた。
これで終わりじゃない。
むしろ、ここからだ。
◇ ◇ ◇
夕方、ルークは三日月亭へ戻るなり、登録証をツネたちに見せた。
「おや」
ツネが目を細める。
「決めたのかい」
「はい」
メリアもダンも、興味津々といった顔で覗き込んでくる。
「《星灯の止まり木》です」
その名前を聞いた瞬間、食堂に少しだけ静かな間が落ちた。
そしてツネが、ふっと笑う。
「いい名前じゃないか」
ダンも短く言う。
「悪くない」
メリアは嬉しそうに両手を合わせた。
「すごく、すごく素敵です……! なんだか、ちゃんと帰ってこれる感じがします!」
その感想が、まさに欲しかったものだった。
ルークは少しだけ照れながらも、登録証を大事にしまう。
今はまだ、宿暮らしだ。
拠点もない。
仲間も二人だけ。
でも、名前がある。
帰ってこられる場所を作ると決めた、自分たちの名前が。
窓の外には、夕方の空に一番星が灯り始めていた。
《星灯の止まり木》。
その名前が、今日から物語の中で生き始める。
ルークは胸の中でそっと繰り返した。
――ここから、ちゃんと作っていこう。
守れるものを増やして。
仲間を増やして。
いつか本当に、誰かが安心して帰れる場所になるように。




