助けに行く理由
王都へ戻るまでの道を、ルークはずっと早足で進んでいた。
《無限インベントリ》の中には、墓地で出会った修道服の女がいる。
人間だった。
襲いかかってきたのに、最後に聞こえたのは「助けて」という声だった。
(まだ、生きてる)
それが、ルークの足を止めなかった。
隣を歩くレイナも、顔色はよくなかったが、しっかり前を向いていた。
「……ルークさん」
「うん」
「さっきの人……助けられるでしょうか」
その問いに、すぐには答えられなかった。
分からない。
けれど、分からないから諦めるのは違うと思った。
「助けたい」
ルークは、まっすぐに言った。
「それに、あの人、子どもたちのことを言ってた。だったら、まだ終わってない」
レイナは小さくうなずいた。
「はい。私も、そう思います」
その目には怖さもあったが、それ以上に、見捨てたくないという気持ちが見えていた。
◇ ◇ ◇
冒険者ギルド本部へ戻ると、受付にいたリーナがすぐに二人に気づいた。
「ルークさん! レイナさん! 何か分かりましたか?」
「……分かりました」
ルークは息を整えながら言う。
「異常個体は、人間でした。修道服を着た女性です。侵されてはいましたけど……まだ、生きています」
「えっ……!?」
リーナの表情が一変した。
周囲の職員たちもざわつく。
「今、どこに?」
「《無限インベントリ》の中です。出したらまた暴れるかもしれないけど、入れてる間は悪化が止まってるみたいで」
リーナは一瞬だけ呆然としたが、すぐに気を取り直した。
「分かりました。すぐ奥へ来てください。ギルド長にも伝えます!」
案内されたのは、ギルド本部の奥にある小さな治療室だった。
そこにはすでにラザンと、教会から呼ばれた治療役の女性が待っていた。
三十代くらいだろうか。落ち着いた雰囲気で、白い服の上に淡い青の羽織を重ねている。
「教会から来ました。マリエンです。回復と清めの魔法を使えます」
難しい肩書きはない。
ただ、それだけで十分だった。
「話は聞いたわ。人なら、助けられるかもしれない。まずは状態を見ましょう」
ルークはうなずいた。
ラザンが低い声で言う。
「ルーク。無理はするな。危ないと思ったら、すぐ戻せ」
「はい」
ルークは深く息を吸い、《無限インベントリ》へ意識を向けた。
「……限定展開」
淡い光が揺れ、治療室の中央に修道服の女の上半身が現れる。
「……っ」
レイナが小さく息を呑んだ。
左半身は、やつれてはいるが、確かに人間の女性だ。
けれど右半身は赤黒く膨れ、肌は裂け、指先は獣の爪のように変わっている。
それでも胸はかすかに上下していた。
まだ、生きている。
「始めます」
マリエンが両手をかざす。
あたたかな光が、女の体を包んだ。
「《ヒール》」
続いて、レイナも杖を向ける。
「《ライト・ヒール》」
二つの光が重なり、異形化した部分の表面から黒い靄のようなものがじわじわと浮き上がる。
女の喉が震えた。
「……ぁ……」
「聞こえますか?」
マリエンが優しく声をかける。
「あなたは今、守られています。話せるなら、教えてください」
閉じていた目が、ゆっくりと開いた。
焦点は定まっていない。
けれど、その唇が確かに動いた。
「……こ……ども……」
レイナが顔を上げる。
「子ども……?」
「……した……に……」
ラザンが目を細めた。
「地下、か」
女は苦しそうに息を吐きながら、なおも言葉を絞り出す。
「……かね……の……した……」
「鐘の下……鐘楼の下か」
リーナがすぐに机の上へ地図を広げた。
「東部にある古い修道院の中で、鐘楼が残っているところ……」
紙をめくる音。
ペン先が走る音。
そして、リーナがはっと顔を上げた。
「ありました。《東聖母庇護修道院》です。昔、孤児たちを預かっていた修道院で、火事のあと閉鎖されたことになっています」
レイナの表情が固くなる。
「……そこ、聞いたことがあります。北区の教会でも名前だけは」
その時だった。
修道服の女の異形化した右腕が、びくんと大きく跳ねた。
黒い靄が一気に膨らむ。
「まずい!」
マリエンが叫ぶ。
「戻して!」
「はい!」
ルークはすぐに手を伸ばした。
「再収納!」
光が女を包み、再び《無限インベントリ》の中へ沈める。
治療室に静けさが戻った。
ルークは大きく息を吐く。
「……まだ、大丈夫です。中に戻したら、また落ち着きました」
マリエンもほっと息をついた。
「ありがとう。今の状態なら、しばらくは保てると思う。……でも長くは無理ね」
ラザンが腕を組む。
「十分だ」
そして、その場の全員を見回した。
「場所は決まった。子どもたちが地下にいる可能性が高いなら、今すぐ動く」
重い声が、はっきりと部屋に響く。
「これより、《東聖母庇護修道院》跡への救出任務を発令する」
ルークの胸が強く打った。
討伐ではない。
救出だ。
助けに行くための任務だ。
「戦える者は先行して道を開く。ルーク、レイナ、お前たちは救護を最優先にしろ」
ラザンの視線がまっすぐに向けられる。
「お前の《無限インベントリ》は、今や一番安全な避難場所だ。傷ついた子どもも、動けない者も、まずはお前が確保しろ」
ルークは、その言葉を受けて、ようやく自分の役割をはっきりと理解した。
今まで“荷物持ち”と呼ばれた力が、今は人を守るための力として見られている。
それが嬉しかった。
「……はい」
隣で、レイナも強くうなずく。
「私は回復を担当します。助けられる人は、できるだけ助けたいです」
マリエンも頷いた。
「私も同行するわ。きっと、現場で治療が必要になる」
リーナが続ける。
「必要なものはすぐに揃えます。担架、包帯、水、食料……あと、子どもたちを運ぶための毛布も」
「お願い」
レイナの声には、もう迷いがなかった。
◇ ◇ ◇
準備のため、いったん治療室を出たあと。
廊下の端で、ルークとレイナは少しだけ足を止めた。
「……レイナさん」
「はい」
「大丈夫?」
レイナは、少しだけ困ったように笑った。
「大丈夫じゃないです。正直、すごく怖いです」
でも、と続ける。
「それでも、あの人を見たら……行かないわけにはいかないです。最後まで子どもたちのことを言ってたから」
「うん」
「もし私があの立場でも、きっと同じことを言うと思います」
ルークはその言葉に、胸の奥がきゅっと締まるのを感じた。
レイナは、弟のことを思っているのだろう。
守りたい相手がいるから、あの言葉が分かる。
「……助けよう」
ルークは静かに言った。
「子どもたちも、あの人も。できる限り」
レイナはまっすぐルークを見て、しっかりとうなずいた。
「はい」
◇ ◇ ◇
その時、廊下の向こうから重い足音が近づいてきた。
振り向くと、《白銀の牙》の四人がやって来るところだった。
ヴェルト。
アゼル。
カイル。
リーネ。
一瞬だけ、空気が止まる。
ルークもレイナも、言葉を選べなかった。
だが最初に口を開いたのは、ヴェルトだった。
「……救出任務だと聞いた」
「はい」
ルークが短く答える。
ヴェルトはそれ以上余計なことは言わなかった。
「なら、前は俺たちが受け持つ。お前は中にいる人を助けることだけ考えろ」
その言葉は、昔のような見下しではなかった。
ちゃんと、ルークの役割を認めた上での言葉だった。
ルークも静かにうなずく。
「分かりました」
アゼルは少しだけ気まずそうに視線を逸らしたが、ぼそりと言った。
「……助ける人数が多いなら、荷物も増えるだろ。準備は多めにしとけ」
カイルは腕を組んだまま、ぶっきらぼうに言う。
「取りこぼすなよ」
リーネだけが、まっすぐレイナを見た。
「回復役は最後まで立ってるのが仕事よ。無理しすぎないで」
「……はい」
短いやりとりだった。
でも、それで十分だった。
今は昔のことよりも、目の前で待っている人たちの方が大事だ。
◇ ◇ ◇
ギルドの準備室では、救出用の物資が次々と運び込まれていた。
水袋。
包帯。
予備の服。
毛布。
軽食。
小さな子ども向けの薬。
ルークはそれらを、一つずつ丁寧に《無限インベントリ》へ収めていく。
以前なら、ただの荷物だった。
けれど今は違う。
これらは全部、助けた人が生き延びるために必要なものだ。
ルークが最後に毛布をしまい終えた時、リーナがそっと近づいてきた。
「ルークさん」
「はい?」
「……絶対に、帰ってきてくださいね」
いつもの明るさを少し抑えた声だった。
それでも、その中には確かな想いがこもっている。
ルークは小さく笑った。
「はい。帰ってきます」
レイナも、その隣でうなずいた。
「みんなで、です」
その言葉に、リーナの表情が少しだけやわらいだ。
◇ ◇ ◇
やがて、出発の時が来る。
王都東門の前には、ラザンを先頭にした救出隊が集まっていた。
《白銀の牙》。
ルークとレイナ。
マリエン。
そして数名の衛兵。
夜の空気は冷たい。
けれど、全員の目は前を向いていた。
ラザンが低く告げる。
「目的は討伐ではない。救出だ。中にいる者を最優先で助ける。以上だ」
無駄のない言葉だった。
けれど、それで十分だった。
ルークは東の空を見た。
その先に、閉ざされた修道院がある。
助けを待つ子どもたちがいる。
そして、最後まで彼らを守ろうとした誰かがいる。
(今度は、間に合う)
そう心の中で強く思った。
出発の合図とともに、救出隊が一斉に動き出す。
分かりやすくはっきりした目的が、今のルークには心強かった。
――助けに行く。
それだけでいい。
夜の道を駆ける足音が、ひとつの方向へ重なっていった。




