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無限インベントリで世界を変える ~収納魔法はチートです~  作者: 華詩手


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19/43

祈りの形をしたもの

 資料室の空気が、一瞬で張りつめた。


 “修道服を着た何か”。


 その言葉が落ちた途端、レイナの顔色が変わったのを、ルークは見逃さなかった。


「詳しく、聞かせてください」


 ルークが立ち上がると、伝令に来た職員は慌てて手元の記録板を見た。


「東部封鎖線の第三警戒路です。巡回中の衛兵二名が、林道を横切る人影を確認。最初は避難の遅れた民間人かと思って声をかけたそうですが……」


「……反応は?」


 レイナが静かに問う。


「返事はなかったそうです。ただ、立ち止まって――そのまま、聞き取れない言葉を口にしていたと」


 職員の喉がひくりと鳴る。


「その後、急に一人へ襲いかかった、と。負傷した衛兵は肩口を裂かれています。目撃したもう一人の話では、袖口から見えた腕が……人間の腕じゃなかったそうです」


 資料室に沈黙が落ちた。


 ルークはレイナを見る。


 彼女は唇を引き結んだまま、机の端をぎゅっと握っていた。


 怖がっている。


 けれど、逃げる顔ではなかった。


「ラザン様は?」


 ルークの問いに、職員は即座に答える。


「すでに封鎖線へ追加の衛兵を出しています。ただ、対象が本当に“人に見える何か”なら、討伐より確認を優先すべきだと。お二人にも現地確認をお願いしたいそうです」


「行きます」


 ルークが答えるより早く、レイナが言った。


 その声は少し掠れていたが、はっきりしていた。


「……レイナさん」


「大丈夫です」


 そう言いながらも、彼女の指先には力が入っている。


「修道服、ということは……たぶん、教会絡みです。だったら、私も見なきゃいけないと思います」


 ルークは一瞬だけ迷った。


 だが、止める言葉は出なかった。


 彼女が無理をしているのではなく、自分で立つと決めているのが分かったからだ。


 そこへ、資料室の扉が再び開いた。


 入ってきたのはリーナだった。息を切らしながら、小さな革袋を差し出してくる。


「これ、薬師会からです。封呪布、簡易浄化塩、それと……もし人型の異常個体だった場合の拘束札」


「ありがとうございます」


 ルークが受け取ると、リーナは真っ直ぐに二人を見た。


「無茶はしないでください。確認優先。討伐しか選択肢がないと判断するまでは、できるだけ情報を持ち帰ってください」


「はい」


「……行ってきます」


 レイナの返事に、リーナは小さく頷いた。


 その目には、不安が滲んでいた。


 でもそれ以上に、信じようとする意志があった。


◇ ◇ ◇


 東門を出た頃には、空はまだ高く、陽は強かった。


 けれど封鎖線へ近づくにつれ、風の温度が少しずつ下がっていく。


 道中、しばらくレイナは無言だった。


 ルークも、無理に話しかけることはしなかった。


 ただ、第三警戒路へ向かう枝道に入ったところで、彼女がぽつりと口を開いた。


「……私、教会で育った時期があるんです」


 ルークは歩幅を少しだけ緩める。


「育った、って……」


「両親が亡くなったあと、しばらく弟と一緒に、北区の小さな教会に身を寄せてました。そこで、読み書きと、簡単な治癒の祈りを教わったんです」


 レイナは前を見たまま続けた。


「神官になりたかったわけじゃないんです。ただ……弟の発作がひどくて。少しでも、楽にしてあげたくて」


 ルークは何も言わずに聞く。


 彼女が自分から過去を話すのは、初めてだった。


「でも、教会って優しいだけの場所じゃありません。人を救う場所だからこそ、壊れた人もたくさん集まるし……捨てられたものも、隠されたものも、ある」


「……レイナさん」


「だから、昨日の礼拝堂を見た時、すごく嫌な感じがしたんです。ああいう場所って、信仰の形を借りると、簡単に“閉じた空間”になるから」


 その言葉に、ルークは胸の奥が少し重くなるのを感じた。


 祈る場所。


 救う場所。


 そういう場所が、実験や隠蔽の舞台にされていたのなら――レイナが動揺するのも当然だった。


「……話してくれて、ありがとう」


 ルークがそう言うと、レイナは少しだけ困ったように笑った。


「黙ってると、たぶん、余計に変な顔しそうだったので」


「それは少し分かるかも」


「えっ」


「考えごとすると、表情に出るから」


 それを聞いて、レイナは一瞬だけ目を丸くしたあと、ほんの少しだけ笑った。


 その笑顔が見られただけで、ルークは少し安心した。


◇ ◇ ◇


 第三警戒路の仮設詰所には、すでに数名の衛兵が集まっていた。


 そのうち一人は肩を布で縛られ、椅子に座っている。血は止まっているが、顔色は悪い。


「来たか」


 年嵩の衛兵長が二人へ向き直った。


「話は聞いてる。異常案件の優先協力者だな」


「ルーク・フレイアスです」

「レイナ・リーヴェルトです」


 衛兵長は短く頷き、負傷した若い衛兵を示した。


「襲われたのはこいつだ。命に別状はないが、傷が妙だ。爪で裂かれたようでいて、焼けた跡もある」


 レイナがすぐに膝をつき、傷口を確認する。


「……軽い浄化反応があります。でも、聖属性じゃない。似せてるだけです」


「似せてる?」


「はい。祈りや祝福に近い“形”を真似してる感じです。だから、余計に気持ち悪い」


 その表現に、衛兵たちが顔をしかめた。


 ルークは負傷者へ近づく。


「見たものを、できるだけ正確に教えてください」


 若い衛兵は乾いた唇を舐めた。


「……最初は、修道女かと思ったんだ。頭から白いベールを被ってて、手には数珠みたいなものを持ってて」


「顔は?」


「ちゃんと見えなかった。いや……見えた、のかもしれないけど、覚えてない。気づいたら、すぐ近くにいて――祈るみたいに両手を合わせたと思ったら、次の瞬間、爪が伸びてた」


 衛兵の肩が震える。


「声は、ずっと聞こえてた。祈りみたいな、歌みたいな……でも、言葉は一つも分からなかった」


 ルークはその証言を頭の中で繋げた。


 修道服。数珠。祈るような仕草。擬似的な浄化反応。


 礼拝堂地下の実験施設と、あまりにも符合しすぎている。


「最後に見た場所は?」


 衛兵長が地図を広げ、指を置く。


「ここだ。古い巡礼路の分岐。今は使われてない道だが、南東……つまり古い神殿跡の方面へ続いてる」


 やはり、と思う。


 流れは全部、そちらへ向かっていた。


「案内します」


 衛兵長が言ったが、ルークは首を横に振った。


「封鎖線は維持してください。もし相手が人型で、しかも人間だった場合、衛兵の通常戦闘では逆に危険かもしれない」


「だが……」


「俺たちは、できるだけ確認と回収を優先します。見つけたら、すぐ連絡を返します」


 レイナも隣で頷く。


「傷の浄化だけ先にやっておきます。この方は、絶対に安静に。変な発熱や錯乱が出たら、すぐ薬師会を呼んでください」


 衛兵長は少し迷った末に、深く頭を下げた。


「……頼む」


◇ ◇ ◇


 古い巡礼路は、すでに道の形を半分失っていた。


 踏み固められていたはずの地面は苔と落ち葉に覆われ、ところどころ石碑の残骸が顔を出している。


 その道を進みながら、ルークは何度も《状態解析》を使った。


 そして、すぐに気づく。


 周囲の空気そのものに、薄く魔力の滓が混じっている。


【周辺残留反応:祈祷系波形に偽装された異常魔力】

【進行方向:南東】


(偽装……)


(やっぱり、祈りを真似してる)


「レイナさん。こっちだ」


 ルークが低く言うと、レイナはすぐに隣へ寄った。


「何か分かるんですか?」


「うまく言えないけど……スキルが、痕跡を拾ってる。たぶん対象はこの先にいる」


 その時だった。


 風に混じって、かすかな声が聞こえた。


 歌っているようにも、泣いているようにも聞こえる、細い声。


 二人は同時に足を止める。


「……聞こえましたよね」


「うん」


 声は道の先、木立の向こうから流れてくる。


 そこにあったのは、小さな墓地だった。


 古い石の十字標が並び、半ば崩れた塀に囲まれている。


 そして、その中央に――


 一人、立っていた。


 白ずんだ修道服。


 泥と血で汚れた裾。


 肩まで垂れたベールの下から覗くのは、痩せ細った顎の線。


 両手には、確かに数珠が握られていた。


 ただし、その指は人のものではない。


 関節が不自然に長く、爪が骨のように尖っている。


「……っ」


 レイナが息を呑む。


 その“何か”は、墓標の前で祈るように膝をついていた。


 口元はぶつぶつと動き続けている。


 だが近づくにつれ、その祈りの言葉が、だんだん聞こえるようになった。


「――み、みちび、き……たま、え……」


 レイナの顔色が変わる。


「これ……古い聖語です」


「分かるの?」


「一部だけ。でも、完全に正しくない……文が壊れてる」


 ルークは喉がひりつくのを感じた。


 それは祈りの真似事ではなかった。


 祈りを、壊れたまま反復している。


 まるで、最後の記憶だけがそこに残っているみたいに。


 その時、ベールの奥の顔が、ゆっくりとこちらを向いた。


 ルークは息を呑んだ。


 顔の半分はまだ人間の女のものだった。


 やつれてはいるが、確かに人の輪郭が残っている。


 けれどもう半分は、赤黒く膨れた筋と裂けた皮膚に覆われ、片目だけが異様に白く濁っていた。


 口元は裂け、牙のように変質した歯がのぞく。


「……人、だ」


 ルークの口から、低く声が漏れる。


【対象:人間・女性】

【侵食率:六八%】

【精神状態:崩壊寸前】

【異常因子:高濃度】

【警告:急激な刺激で暴走確率上昇】


 《状態解析》が、冷たく告げた。


 人間。


 異常個体ではあるが、元は間違いなく人だ。


「ルークさん……!」


 レイナの声にも動揺が混じる。


 その瞬間、修道服の女が立ち上がった。


 ぎこちない。


 だが次の一歩は、人とは思えない速度だった。


「下がって!」


 ルークが叫ぶ。


 同時に、女の数珠がばらりと千切れた。


 珠が宙に散り、その一つ一つが白く発光する。


 次の瞬間、それは小さな光弾となって二人へ降り注いだ。


「《フレアライト》!」


 レイナが咄嗟に光で相殺する。


 白い閃光がぶつかり合い、墓地の空気が爆ぜた。


「聖術……いや、違う!」


 レイナが歯を食いしばる。


「形だけです! 中身が全然、別物!」


 修道服の女が、祈るように両手を組んだまま、地を滑るように迫る。


 その袖口から、刃のように伸びた爪。


「収納展開!」


 ルークは足元に光円を開く。


 だが女は異形ハウンドの時のように跳ばない。


 むしろ真正面から踏み込んできた。


 その瞬間、光円に片足が沈む。


 体勢が崩れた。


 ルークはそこへ煙幕玉を投げつける。


「レイナさん、目を閉じて!」


 白煙が墓地を包んだ。


 女の動きが一瞬止まる。


 今なら行ける――そう思った時、煙の向こうから、かすかな声が聞こえた。


「……たす、け……て……」


 ルークの手が止まる。


「っ……!」


 人間の声だった。


 苦しげで、掠れていて、けれど確かに“助けて”と言った。


「ルークさん、迷わないで!」


 レイナが叫ぶ。


「死なせないなら、今しかありません!」


 その一言で、ルークの中の躊躇が切れた。


 殺すんじゃない。


 助けるために、止める。


 そう決める。


「生体指定――隔離収納!」


 煙の中、複数の小さな収納口を同時に展開する。


 片腕。

 片脚。

 背後。


 逃げ道を削るように、光の口が女を囲んだ。


 女が悲鳴とも祈りともつかない声を上げて暴れる。


 だが、ルークは押し込んだ。


 自分でも驚くほど、迷いなく。


「入れ――!」


 最後に白煙ごと空間が歪み、修道服の女の姿が消えた。


 静寂。


 墓地には、千切れた数珠と、泥に汚れた足跡だけが残る。


 ルークはその場に膝をつき、荒く息をついた。


「……入った」


「はい……!」


 レイナも肩で息をしながら、ルークのそばへ駆け寄る。


「大丈夫ですか!?」


「うん、なんとか」


 そう答えた瞬間、インベントリの内側で、またしても新しい感覚が弾けた。


【対象を隔離保管中】

【侵食因子と宿主反応を分離観測可能】

【警告:宿主生体反応、微弱ながら維持】


 ルークの目が見開かれる。


「……生きてる」


「え?」


「まだ、生きてる。完全には侵食されてない」


 レイナが息を呑み、次いで強く頷いた。


「じゃあ、急がないと……!」


 彼女の声は震えていた。


 怖さからではない。


 希望が、ほんの少しだけ見えたからだ。


 ルークは墓地に落ちた数珠の残骸を拾い上げる。


 珠の一つに、小さな銀の飾りが付いていた。


 そこに刻まれていた紋章を見た瞬間、レイナの表情が凍りついた。


「……これ」


「知ってるの?」


「はい……北区の小教会で、昔見たことがあります」


 レイナの声がかすれる。


「王都東部に昔あった、孤児保護院付き修道院の印です。もう十年以上前に、火事で閉鎖されたって聞いてました」


 ルークは数珠を握る手に力を込めた。


 閉鎖された修道院。


 古い神殿跡へ続く巡礼路。


 礼拝堂地下の実験施設。


 そして、人間を素材にしたかもしれない異常個体。


 全部が、一気に現実味を帯びて迫ってくる。


「……戻ろう」


 ルークは立ち上がる。


「今すぐ、ラザン様に報告しないと」


 レイナも頷いた。


 その横顔は青ざめていたが、目だけは逸らしていなかった。


 もう、この件は“異常な魔物”の話ではない。


 人が巻き込まれている。


 しかも、おそらくかなり前から。


 林道を引き返しながら、ルークはインベントリの奥を意識した。


 隔離された修道服の女。


 その命の火は、まだ消えていない。


 救えるかもしれない。


 でも同時に――


(もしこれが、一人目じゃなかったら)


 その考えが頭をよぎった瞬間、背筋を冷たいものが這い上がった。


 木々の間を抜ける風が、祈りの残響のように耳元を掠めていく。


 そして王都へ続く道の先には、もう次の波が待っている気がした。

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