第14話 怪異の為の惨禍
「栄子ちゃんが知らない男の人に連れて行かれるのを見ました」
行方不明になった栄子について何か知らないかと大人達に聞かれ、私達はそう証言した。
誘拐事件として、すぐに学校周辺で捜索が行われた。
私がビニール袋に包んで持ち出した栄子の靴を、学校の近所にある雑木林に捨てた事も良かったのだろう。
幸運の力も働いているのか、私達を疑う人は誰もいなかった。
暫くは栄子の話で持ちきりになり、子供達の安全を考慮して大人が登下校に同伴していたが、いつしかなくなり、皆が忘れていった。
私達三人も、栄子の事はすぐに忘れた。
だって、人生が楽しくて仕方がなかったから。
私達三人には、いい事しか起こらなくなった。
私は拓也と付き合う事になり、その後もずっと男性達にモテ続けた。友人の一人は親の転勤が決まり、ずっと住んでみたいと言っていた海外へ行く事になった。もう一人は親の会社が上手くいって、お金持ちのお嬢様になった。
二人とは小学校卒業後に会わなくなったが、私と同じように幸せだっただろう。
全ての不幸を閉じ込めたから。これからも幸せになる。ずっと幸せだけが貰える。順風満帆な人生。たくさんの幸福。
だけど、それは十五年前に何故か突然終わりを告げた。
結婚する筈だった恋人に捨てられ、今まで褒めそやしてくれた周囲の男性達も夢から覚めたように、私への興味を無くした。
贅沢も出来なくなって、じわじわと追い詰められ、生活は困窮していった。
鏡の前の自分を見る。
実年齢よりも年老いて見える女がいた。疲れた顔を撫で、私は呟く。
「また、さんかをやらなくちゃ」
***
月曜日。帰りの会が終わり、私は息を吐く。
「先生さようなら」
無邪気に挨拶をして帰っていく子供達を張り付けた笑顔で見送る。
(今日も苛つく事がたくさんあったわ。子供ってだけでも嫌いなのに、一年生の担任なんて。外聞がいいからって、教師を目指したのは失敗だったわ)
私は溜め息を吐く。
今年の三月に母校の小学校への異動が決まり、四月から一年生の担任になった。
すぐに辞めるつもりだった仕事も、結婚が流れたせいで続ける事になった。
小学校教師の仕事は想像よりもずっと忙しい。この後も、授業の準備やテストの採点がある。
(もう一度、あのおまじないが出来たら。でも、探しても四階への扉は見つからないし。手掛かりになりそうなのは、あのノートね)
昨日、生徒から取り上げたノートを思い出す。
黒いノートでは無いが、見た事のある魔法陣が描かれていた。
(あの子供が黒いノートを手に入れたのかしら? ノートの落書きは、練習する為に模写したとか? 調べたいけど、あの子供は学校に来なかったし。後で引き出しを探ってみてもいいかもね)
「先生」
すぐ後ろで私を呼ぶ声が聞こえた。
舌打ちするのを堪えて振り返ると、今まさに考えていた子供が立っていた。
「結人間君」
私は嫌悪感に顔を歪める。
「今日は体調悪くてお休みって連絡が入っていたけど。もしかして、仮病なの? もう放課後よ?」
霊が見えると嘘を吐く面倒臭い子供。
この子供が入学式翌日に騒ぎを起こしたせいで、パニックになった子供を宥める事になって仕事が捗らず、遅くまで残業しなければいけなくなった。
生意気な態度も気に食わない。腹いせに叩いてやったり、言葉で追い詰めて泣き出しそうな顔を見れた時は胸がすく思いだった。
「僕、先生にお話があったんですよ」
「先生は忙しいの。また今度にして頂戴」
私は踵を返して廊下を歩き出す。
「黒いノートに書かれた『幸せになる為の”さんか”のお呪い』」
私は弾かれたように振り返る。子供が後ろ手に持っていた黒いノートを取り出す。
「それを何処で?」
「土曜日の中休みに黒い扉を見つけて入ってみたんです。そうしたら、誰もいない知らない教室に落ちているのを見つけました。誰かの落とし物だと思います」
私はゴクリと唾を飲み込む。
あの日、四階の教室に置いて帰ってしまった黒いノート。
長い間探し求めていた物が目の前にあった。
「先生が預かっておくわ」
子供から黒いノートを取り上げる。私は逸る気持ちを抑えながらノートを開く。細かくは覚えていないが、同じだと感じた。目当てのページを見つけ、私の口元に笑みが込み上げる。
(ああ、そうだ。この歌! この魔法陣! 間違いない!!)
私はノートから顔を上げ、子供に微笑みかける。
「結人間君。黒い扉は何処にあったの?」
「こっちです」
先導する子供の後ろを歩く。
子供は階段へ向かわずに廊下を進み、一年五組の教室の隣で立ち止まる。
「ここです」
私は目を見開く。三階にあると思っていた黒い扉が廊下の柱の影にあった。
(どうして一階に? もしかして、四階だと思っていたのは記憶違い? だから、三階を探しても見つからなかったの?)
子供が黒い扉を開くと、あの日と同じ光景があった。
「じゃあ、僕は帰りますね」
帰ろうとする子供の腕を掴む。周囲を見回し、人がいない事を確認する。
「来なさい」
私は子供の腕を引っ張り、黒い扉の中へ足を踏み入れる。
階段を一段登る度に、気分が高揚していった。
(少なくとも、十年くらいは持つかしら? 今度はノートを忘れずに持って帰って、効果が切れた時に、またやればいい。ノートのついでに、生贄まで手に入ったのは幸運だわ。この子供は嫌われているし、親も干渉して来ないから、いなくなっても誰も探さないでしょう)
私は上の階へと辿り着く。
何も書かれていない黒いプレート。人気のない廊下。
廊下を歩くと、赤い魔法陣が描かれたキャビネットがある教室を見つけた。
「あははははは!!」
私は声を上げて笑う。子供が身じろぎをした。
「離して。痛い」
「うるさい! こっちに来なさい!!」
私は子供を引きずり、子供の頃に儀式で使った教室の隣の教室に入る。儀式の詳細までは覚えていなかったが、不幸を閉じ込めたキャビネットの扉を開けてはいけない事は覚えていた。
教室の後方には、同じようなキャビネットが置かれていた。私はニタリと笑う。
「栄子さん」
振り返った視線の先で、子供が笑っていた。
「覚えていますよね? 先生の同級生で、二十八年前に誘拐されて行方不明になった女の子。彼女が行方不明になった日の放課後、先生は”かくれんぼしよう”と、友人達と一緒に栄子さんを誘った」
「……何を言っているのかしら?」
声が震える。どうして、私達三人しか知らない事を知っているのか。
目の前の得体の知れない子供が気持ち悪かった。
「聞いたんです。先生が子供の頃、栄子さんをいじめてたって。彼女、本当に誘拐されたんでしょうか? 僕、そのノートとこの場所を見て思ったんです。もしかして、彼女は先生達の手で『さんか』にされたんじゃないかって」
私は子供の腕を強い力で掴む。子供の顔が痛みで歪んだ。
「そうね。お前の言う通り。栄子は私達が『さんか』にした。私達の幸せの為に」
私はキャビネットの前まで子供を引っ張る。生意気にも、子供は抵抗してきた。しかし、所詮は六歳の子供。大人の力には敵わない。
「僕を『さんか』にする気ですか? 先生は『さんか』の意味が分かっているんですか?」
「ええ。幸せを讃える歌でしょう?」
「違います。惨い禍です」
「どっちでもいいわ。私が幸せになる事に変わりない。世の中に必要無い人間の命を私が有意ギィっ!?」
強力な電流を流されたような痛みが全身に走り、私は悲鳴を上げる。思わず子供の手を離してしまった。
子供に体を突き飛ばされ、私は床の上に尻餅を付く。
子供は私の後ろにある何かに触れる仕草をすると、私から離れて教室のドアへと走る。
「先生。かくれんぼするなら、ちゃんと見つけてあげないとダメですよ。じゃないと、鬼はきっと寂しくて、自分と同じ仲間を作ろうとするから」
教室の外へ逃げた子供を追いかけようとした私の右肩に何かが置かれる。
私は首を動かして右肩を見る。黒い斑点が無数に散った不気味な色の手が置かれていた。
耳元で聞こえる荒い息遣いと、多量の湿気を帯びた空気が肌に張り付いて気持ち悪い。
心臓が早鐘を打つ。
振り返ってはならないと本能が告げる。
私の肩に置かれた手が何かを指差す。導かれるように視線を動かすと、魔法陣が描かれたキャビネットがあった。キャビネットの扉が僅かに開かれている。
(どうして? ここは儀式をした教室じゃない筈なのに)
キャビネットの扉に貼られている紙を見て、私は息を呑む。
真新しい白い紙に、私の名前が書かれていた。
『サ……カ』
しゃがれた声が耳元で聞こえる。冬でもないのに、歯がカチカチと煩く鳴り合う。私は眼球を動かし、右横を見る。カラカラに乾燥した茶色の唇がニヤリと笑った。
『次ハ、オマエガ『惨禍』ネ』
強い力で体を引っ張られ、キャビネットの中に押し込められる。
扉が閉まる時、不気味な化け物が笑っているのが隙間から見えた。
(栄子!)
化け物は栄子だと直感で分かった。
栄子が私を『惨禍』にしようとしているのだ。
閉じ込められた暗闇の中で、私は狂ったように扉を叩く。スチール製の扉が揺れる音の奥で、しゃがれた歌声が響いた。
『惨禍、惨禍。我等ノ不幸ヲ閉ジ込メテ、我等ニ幸ノミヲ残セ』
黒い何かが私の体を這う。悲鳴を上げる事も出来ずに、涙だけが溢れた。
(やめて! やめて!! お願い!! 栄子!!)
『惨禍、惨禍。柱ニシタ者ノ幸モ我等ニ与エタマエ。惨禍、惨禍。全テノ不幸ヲ閉ジ込メヨ』
耳から入り込んだ何かが脳みそを掻き回す。
グチャリ、ブチッと嫌な音が体の中から響き、生温かい液体が肌を伝っていく。
意識を失う事も出来ず、私は黒いモノに喰われ続けた。




