第12話 怪異になった少女
栄子は普通の女の子だった。
勉強も運動も平均的。友人もいるが、人気者でもない。平凡な家庭に生まれ、平凡な子として学校に通う。
しかし、人生というのは何が起こるか分からない。
平和な日常が崩れたのは、小学校五年生の六月だった。
「栄子! 栄子! 拓也がお前の事が好きだって!」
浮かれた男子の声。
昼休みの教室内にいた子達が一斉に栄子を見た。
「ちょっと! やめろって!」
拓也が顔を赤らめながら止める。
囃し立てる声が複数人の男子から上がる。調子に乗った男子が黒板に相合傘を描いて遊び出す。小学生といえど、男子も女子も恋愛を意識している子は多い。
クラスでも人気の拓也に好かれている事が信じられず、栄子は固まった。
「ちょっと……」
「信じられない」
女子達のヒソヒソ声が耳に届き、栄子は顔を青ざめさせる。
恐る恐る視線を向ければ、教室でお喋りをしていた女子三人組が、恐ろしい目で栄子を睨みつけていた。
三人組の内のボス的な存在である一人が口元を歪める。
『消えろ』
悪意を持って紡がれた三文字の言葉に、栄子は震え上がる。
消えろと言った女子は、拓也の事が好きだと三年生の頃から周囲の女子に言って牽制していた。拓也と一緒の班になる為に周りに色々と手を回し、毎日のように拓也を追いかけ回していた。
拓也に想いを寄せていた女子からしたら、栄子は『憎い敵』でしかない。
三人組は、栄子の怯え顔に笑みを深くした。
いじめの切っ掛けなんて、日常に転がっている。
学校という小さな社会。
閉鎖的で独特のルールを押し付けてくる小さな檻。檻の中で『いじめの標的』にされてしまえば、弱い子供にとって逃げる手段はない。
地獄の日々が始まった。
授業中に消しゴムを投げられるのは、まだいい方。持ち物を隠されたり、靴の中に糊や画鋲を入れられたり。椅子に墨汁を零されていたり。
酷い時には、汚れた水に浸した雑巾を顔に投げつけられたり、机の引き出しに虫の死骸や腐った物を入れられる事もあった。
『いじめられる君に原因がある。皆と仲良くする努力をしなさい』
『学校に行きたくない? やめてよ恥ずかしい。学校に行かないと、皆に笑われるわよ。早く学校に行きなさい!』
『いじめられた? お前に嫌われる原因があるんだ。弱い奴は社会でやっていけないぞ? お父さんも疲れているんだ。これ以上疲れさせないでくれ』
先生や両親は栄子の話なんて聞かない。
頼る事が出来る筈の大人達は、栄子を責めた。
「原因? そんなもの分からないよ! 原因が誰にあるかじゃなくて、私が今辛い事をどうにかしたいの! 皆と仲良く出来るなら、仲良くしたいよ! 出来ないから、こうなっているのに!! お母さんは人の目を気にするのに、私の事を気にしてくれないの!? お父さん、弱い人は生きてちゃダメなの!?」
心の叫びは誰にも届かない。
救いの手が差し伸べられる事もない。
栄子にとっての救いは、この先に待つ夏休みだけ。暫く学校に行かなくていい日が来る事を指折り数えて命を繋いでいた。
あと三日で夏休みだという日の放課後。
かくれんぼをしようと言う三人組に、栄子は無理やり連れて行かれた。
初めて存在を知った本校舎の四階の知らない教室。
カビ臭い匂いのする教室で、キャビネットの扉が開く音がする。
強い力で腕を引っ張られた。
三人組がキャビネットの中に栄子を閉じ込めようとしているのだと気づき、必死で抵抗する。
三対一で敵う筈も無く、栄子はキャビネットの中に閉じ込められた。
「開けて! 開けて!! やだ!!」
栄子は錯乱して叫ぶ。スチール製のキャビネットの下部にある細い線状の穴から、三人組の姿が見えた。
栄子は「ヒッ」と息を呑む。悪意に塗れた醜悪な顔が並んでいた。
「じゃあ、皆で幸せになるおまじない『さんか』をしよう」
三人組はキャビネットに何かを描き始める。ただならぬ雰囲気が怖くて必死に扉を叩いてみたが、無常にも開かない。
三人組は手を繋ぎ、口を開く。
『サンカ、サンカ』
紡がれた言葉を聞いた瞬間、息を吸う毎に肺に石が詰められていくような感覚がして苦しくなる。
『我等ノ不幸ヲ閉ジ込メテ、我等ニ幸ヲ残セ』
栄子は恐る恐る自分の体を見下ろす。
キャビネットの中にいる何かが、栄子の体を這い上がってくる。
『サンカ、サンカ』
肌の上を這っていたモノが栄子の口の中に入る。
食道から内臓へ侵入していくモノへの嫌悪感と息苦しさに栄子は喘ぐ。
『柱ニシタ者ノ幸モ我等ニ与エタマエ。サンカ、サンカ。全テノ不幸ヲ閉ジ込メヨ』
グチャりと嫌な音が体に振動して伝わる。腹部を見れば、黒いモノが栄子の内臓を突き破って体からはみ出していた。
栄子は震える手でキャビネットを引っ掻く。
助けを求めたいのに、声が出ない。体に次々と穴が開けられ、何かに侵食されていく。
グチャグチャと言う音が体内で響く。栄子の視界は黒に染まって行った。
***
今すぐ起きなければいけない。
微睡の中で強い感情が湧き出し、暗闇に沈んでいた栄子の意識が浮上する。
重たい体を動かせば、ガタリとぶつかる音がする。栄子はハッと目を開いた。
キャビネットの扉が僅かに開いていた。
(ここから出られる!!)
外から差し込む希望の光に、栄子は歓喜に震える。扉へ伸ばした手を見て、栄子はギョッとした。
栄子の肌は灰色と赤と黒を混ぜ合わせたような不気味な色に変わっていた。黒い斑点が散らばる手はやせ細り、骨に皮がついただけにしか見えない。自分の体を見下ろせば、お気に入りの白のワンピースは薄汚れて黄ばみ、茶色のシミが広がっている。足も手と同じように変色し、変形していた。
栄子は顔に手をやる。
骨の硬い感触がして、頬の肉も削げ落ちている。髪はゴワゴワとしていて、手櫛など出来そうにない。
『……ァ……ノ?』
”これは何なの?”と呟こうとした栄子は、自分の口から出たしゃがれた声にギョッとする。
(一体、これは何? 夢なの? 怖い。私、どうなっているの?)
「やめて!!」
キャビネットの外から、怯えた悲鳴が聞こえた。栄子は扉の隙間から外を覗く。
怯えて体を縮こませる女の子。その女の子に、別の女の子が近づく。
「やめるわけないじゃん。お前は調子に乗りすぎなんだよ!」
眉を吊り上げた女の子が、怯えた女の子の体を踏みつける。何度も、何度も。女の子の顔が苦痛に歪む。
栄子は声を失い、その光景を見つめる。
女の子を踏みつけている子に、栄子をいじめていた子の姿が重なった。
栄子の耳に、三人組が歌っていた唄がこだまする。
ジワジワと指先が黒く染まる。目の前の景色が歪み、三重にぶれた景色が真っ赤に染まる。体を侵食される痛みを思い出し、全身から怒りが湧き出した。
(いじめる奴らのせいで、私は、私は……)
三人組が楽しそうに笑いながら小学校を卒業し、幸せな中学、高校生活を送り、大学生になっていく姿が側で見ていたように鮮やかに栄子の頭に浮かんだ。
『アイツ等ガ、私ノ幸福ヲ奪イ、私ニ不幸ヲ押シ付ケタ』
何かが栄子に囁く。
栄子が生きて受け取る筈だった幸福は、三人組に奪われたのだと。
自分達の不幸を栄子に押し付けて幸せだけを受け取って生きていたのだと。
栄子の存在が歪み、何かが栄子を支配していく。
『サ……ンカ』
軋む音を立てて開いたキャビネットの中を、空き教室にいた女子二人が見る。いじめていた女子の顔だけが引き攣る。
『許サナイ』
怯えて引き攣った顔をした女子に掴みかかる。
心地よく響く悲鳴に、七番目の怪異は笑みを浮かべた。




