『居酒屋 ひさご』第六話:『秘密基地のヒーローと、あつあつハムカツ』
町内に夕方の五時を告げる『赤とんぼ』のメロディが、物悲しく響き渡る。
その音に釣られるようにして、瓢介が店にやってくるのと、『居酒屋 ひさご』の剛大将が暖簾を片手にガラリと格子戸を開けるのは、まったくの同時だった。
大将が手に持った藍色の暖簾を店先にバサリと掛け、柱の「仕度中」の木札を裏返そうとした瞬間、瓢介が「へへっ」と愛想笑いを浮かべながら先回りして木札を「営業中」へとひっくり返す。もう何度も繰り返して、すっかり二人のいつもの風景になっていた。
「大将。おれの仕事の依頼、何かきてる?」
お腹の虫を鳴らしながら訊ねる瓢介に、大将はエプロンのポケットから筆ペンで書かれた半紙の切れ端をぶっきらぼうに突きつける。
「俺はおめーの店番してんじゃねーんだ。……ほらよ。駄菓子屋の繁子バァさんだ。昼間、仕入れの途中でつかまってな。『瓢介をよこしておくれ』ってさ。俺は伝言板じゃねえんだ、見りゃ分かるだろ。行ってきな」
大将はそれだけ言い切ると、すぐに厨房の奥へと戻ってしまった。
半紙に書かれた『駄菓子 岡本』の文字を確認し、瓢介は商店街の端にある『岡本商店』へと足を向けた。
夕方の店内は、ひっそりと静まり返っていた。
放課後の子供たちが引き上げた後だろうか?
そう首を傾げる瓢介の視線の先、奥のレジ椅子に腰掛けた繁子バァさんは、瓢介の姿を見るなり「おお、瓢介、待ってたよ!」と小さく手を振った。
「バァさん、大将から伝言聞いたよ。一体どうしたんだい?」
「それがさぁ……」
バァさんは珍しく弱気なため息をついた。
「毎日うるさいくらいに来てた近所のガキどもが、今週に入ってから急にパッタリ来なくなっちまったんだよ。あたし、何か怒らせるようなこと言っちまったかねぇ……。このままじゃ店も寂しくて畳まなきゃいけないよ」
「なるほどね、ガキどもの一斉ボイコットか。よし、お安い御用だ!」
瓢介は引き受け、さっそっく手がかり探しの目的で商店街の裏手へと回った。
草むした古い倉庫の跡地までやってきた頃、どこからか何やら奇妙な声が聞こえてきた。
「待てい! 悪の組織ブラックシャドウ! この地球の平和は、俺たちが守る!」
「フハハハ、おのれ正義の戦士め、今日こそ決着をつけてやる!」
瓢介がおずおずと段ボールの山を覗き込むと、そこにはガラクタやブルーシートで作られた見事な「秘密基地」があった。常連の小学生たちが集まっている。
「なんだ、お前ら。バァさんの店にも来ないで、こんなところで集まって何やってんだ?」
瓢介が普通に声をかけると、子供たちは一瞬だけ瓢介を見たが、すぐに悪役担当の少年がキリッとした顔で、妙に本格的な節回しを再開した。
「フハハ! 迷い込んできたな、異界の旅人よ! 我らの暗黒の儀式を邪魔する者は、容赦なく闇に葬り去ってくれるわ!」
「は? いや、何言ってんだよ。バァさんが心配して……」
今度は正義の味方役の少年が、ダンボールの剣を構えて割り込んできた。
「案ずるな、市民よ! この光の戦士・タイガが来たからには、奴らの思い通りにはさせん! 共に立ち上がれ、新たなる勇者よ!」
「おいおい、会話が全く成り立たねえぞ!」
完全に役に入り込み、変な喋り方でしか返してこない子供たちを前に、瓢介はハの字の眉を下げて困惑した。どうやら普通に喋っていては拉致があかないらしい。
瓢介はお調子者の本領を発揮して、腹をくくると、大真面目に胸を張ってポーズを決めた。
「ふっ、いいだろう! 光の国の先輩戦士・ひょうすけ、ただいま参上! お前たちの企み、この俺が暴いてみせるぜ!」
瓢介が全力でそっちのノリを合わせると、子供たちは「おおーっ、先輩ヒーローだ!」と一気に目を輝かせた。ようやく設定が承認され、正義の仲間となった瓢介に、リーダー格の少年が声をひそめて本当の「秘密」を教えてくれた。
「実はさ、今週末、繁子バァさんの誕生日なんだ。だから、バァさんを驚かせるための『サプライズの感謝状』を、みんなで内緒で作ってたんだよ。バァさんの店にいるとバレちゃうから、ここで集まってたんだ」
子供たちはバァさんを嫌いになったわけではなかった。健気な計画を知った瓢介は、一気に涙もろくなり、胸を叩いた。
「素晴らしいじゃないか! よし、その作戦、この頼れる先輩ヒーローがもっと盛大にプロデュースしてやる!」
週末の夕方。瓢介はバァさんを「倉庫の裏に怪しい奴らがいる」と騙して、秘密基地へと連れ出した。
子供たちの準備は万全のはずだった。瓢介の合図で、感動的な音楽と共に感謝状が飛び出す手はずだ。
「さあ、バァさん、あそこを見るんだ!」
瓢介が勢いよく秘密基地の段ボールの扉を開けた、まさにその瞬間だった。瓢介の足が、子供たちが悪者用の罠として仕掛けていた、引っ掛け紐にがっちりと絡まった。
「うおっと!?」
派手な音を立てて秘密基地の天井が崩れ、瓢介の上に、サプライズ用の大量の紙吹雪と、なぜか子供たちが買い溜めていた大量のパチパチ飴が頭上からバラバラと降り注いだ。
「いたたた! 飴が顔に当たってパチパチ痛い!」
完璧にトチってガラクタに埋もれる瓢介を見て、繁子バァさんは一瞬呆気に取られたが、すぐに「ギャハハ!」と大爆笑した。それにつられて、段ボールの陰から感謝状を持った子供たちも飛び出してきて、空き地は大きな笑顔に包まれた。バァさんは嬉しそうに感謝状を受け取り、誤解は完全に解けたのだった。
お礼に繁子バァさんと子供たちから、段ボールと金紙で作られた手作りの「秘密基地特製・光の戦士バッジ」を誇らしげに胸に付けてもらった瓢介は、一度自宅アパートへと引き上げ、その日は静かに夜を終えた。
数日後の夜。仕事を終えた瓢介は、一人の客として『居酒屋 ひさご』の引き戸を静かに開け、カウンターの隅に腰を下ろした。
ひと息ついてビールを喉に流し込むと、瓢介は我慢できずに、胸にピンで留めた手作りの金紙バッジを指さし、大将と隣の席の古今亭志ん米師匠に向かって得意のドヤ顔を浮かべた。
「いやぁ大将、師匠! 見てくださいよ、このバッジ! 駄菓子屋の件、俺の見事な演出のおかげで、子供たちに『伝説の先輩ヒーロー』として認められちゃいましてね。これぞ男の勲章、商店街の未来は明るいね!」
カウンターの奥で、剛大将は腕組みをしたまま「へえ、大したもんだな」とぶっきらぼうに呟く。その隣の席では、志ん米師匠がいつもの百パーセントの笑顔で、おっとりと話し始めた。
「おや、瓢介さん。その立派なバッジ、さっき岡本商店の前を通ったら、バァさんがお店を手伝ってくれたご近所のじいさんやばあさん達全員の胸に、嬉しそうに同じものを付けて回っていましたよ。みんな『光の戦士』だそうです」
「……え?」
瓢介のドヤ顔が凍りついた。
「じいさん達も……? じゃあ、俺の先輩ヒーローの特別感は……」
瓢介はハの字の眉をこれでもかと下げ、首を傾げて困り果てた。自分だけの特別な勲章だと思っていたものは、今や下町のご隠居たちの微笑ましい「ご近所マーク」になっていた。
「お前は相変わらずのお調子もんだな」 大将が呆れたように鼻で笑い、カウンター越しに小皿をドンと置いた。
「ほらよ。あつあつのハムカツだ。これを食って、自分の甘さも噛み締めな」
「うぅ……美味いけど、ソースの味が目に沁みるぜ、大将……」
瓢介が情けない声を上げる中、志ん米師匠の楽しそうな笑い声が、静かな下町の夜に心地よく響き渡った。




