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『居酒屋 ひさご』第二話:下町の黄金湯と、カボチャのいとこ煮

 ガラガラと引き戸を開けると、ホクホクとした甘い香りが湯気と共に店内に満ちていた。

「おう、瓢介。えらい顔色だな。お前、昨日の夜、商店街の骨董屋の旦那と二人で泥まみれのままキャバクラに雪崩れ込んで、大散財したらしいじゃないか。噂がもうここまで聞こえてるぞ」

 カウンターの奥で、腕組みをした剛大将がいつもの強面をさらに険しくして声をかけてきた。小上がりの特等席では、古今亭志ん米師匠が楽しそうに目を細めて湯呑みを傾けている。

「うう……大将、師匠……聞いてくださいよ……」

 瓢介はいつものドヤ顔をする元気もなく、ハの字の眉をこれ以上ないほど下げて、完全に困り果てた顔で丸椅子に腰掛けた。

 注文もしないうちに目の前に差し出されたのは、じっくりと炊かれた『カボチャと小豆のいとこ煮』。カボチャは角が一切崩れず、ツヤツヤとした小豆の餡が美しく絡んでいる。

「いやね、話は昨日の昼過ぎに遡るんです。骨董屋の旦那から、庭石を動かしてくれって頼まれて、俺が汗だくになって移動先の穴を掘ってたんですよ。そしたら、なんと穴の底から、ポコポコと温かい湯が湧き出てきたんです!」

 瓢介はカボチャを一口頬張り、その素朴な甘さに少しだけ元気を取り戻しながら、熱弁を振るい始めた。

「旦那と二人で『温泉だ!』って大喜びですよ。下町初の本物の温泉だ、温泉旅館を建てて温泉王だ!って、流れ出るお湯を浴びながら大はしゃぎです。でもね、下手に近所にバレたら利権を奪われるかもしれないって焦って、二人で必死になって泥と石で穴を埋め戻したんです。そしたらお湯がピタッと止まってね。泥だらけの顔を見合わせて大笑いしながら、『これは未来の温泉王への前祝いだ!』って、昨日の夜、そのまま綺麗なお姉ちゃんのいる店に雪崩れ込んで、浴びるようにお酒を飲んで大散財しちゃったんです。何でも屋の日当どころか、手持ちの金を全部使い果たして……」

 そこまで言って、瓢介はまたがっくりと肩を落とした。

「で、さっき、今日分の片付けをしに旦那の家に行ったら、すべてが判明したんです……」

 剛大将は呆れたように大きなため息をつき、小上がりの志ん米師匠は100%の満面の笑顔をこちらに向けた。

「瓢ちゃん、そのハの字の眉毛、本当に情けないねぇ。松の湯の親父さんから、さっき真実を聞かされたんだろ?」

「師匠、知ってたんですか……?」

 瓢介の手から箸がピタリと止まる。

「知ってるも何も、ちょうど昨日のお昼過ぎ、旦那の家の真裏にある銭湯の『松の湯』さんでお湯の配管が途中で壊れて、床下に漏水しちゃってたんだよ。お前さんたちが穴を掘ってた時間にね。親父さんが大慌てで裏の配管を修理したら、地中を伝って隣に漏れていたお湯が、ちょうど止まったのさ。ひとまず埋め戻したらお湯が止まったっていうのも、お前さんたちの努力じゃなくて、ただ松の湯さんの修理が完了した時間と重なっただけさね。温泉王どころか、お前さんは銭湯の漏水をありがたがって浴びて、昨日の夜に大金を全部キャバクラに置いてきちゃったんだ。ただ泥だらけになって、一銭も残ってないじゃないかねぇ。粋じゃないねぇ」

「ええ……本当にその通りで……」

 瓢介は自分のマヌケさと、すっからかんになった財布の現実に、そのままカウンターに突っ伏して小さくなった。

 店内を温かい沈黙が包む。その時、トントン、と小気味よい包丁の音が響き、剛大将が瓢介の前にコトンともう一杯の酒を差し出した。

 そこへ、引き戸が重そうに開き、同じく二日酔いとショックで魂の抜けたような顔をした骨董屋の旦那が、トボトボと店に入ってきた。

「大将……俺にも、強いやつ一杯くれ……。全部、昨日の夜の夢だったよ……」

 旦那は財布の中のすっからかんの札入れを見つめ、深いため息をつく。剛大将は、呆れ顔のまま二人の前に熱燗をコトンと置いた。

「お前らには、そのカボチャくらいが丁度いいんだよ。カボチャってのはな、土に這いつくばって、泥にまみれて育つから、あんなに甘く美味くなるんだ。あぶく銭の温泉なんかより、泥臭く汗かいて、その小銭で飲む酒の方が、よっぽど身体が温まるぞ。ほら、冷めないうちに食え」

 大将の不器用で優しい言葉に、旦那は自分のマヌケさを自嘲するようにふっと笑い、猪口を持ち上げた。

「大将、すまねえ。……よし、明日からまた地道に働くか。ほら瓢介、お前も飲め」

「あ、ありがとうございます……」

 瓢介もハの字の眉を少しだけ戻し、お猪口を合わせようとする。大将が「もう一杯いくか?」と一升瓶を傾けようとしたその時、旦那が苦笑いしながら、そっと手でお猪口に蓋をした。

「いや、よそう。また夢になるといけねえ。明日は朝から、庭の片付けの続きだ」

 師匠の厳しい、けれど愛のある教訓。旦那の粋なサゲ。値千金のカボチャの甘み。

「うんめぇ……!」

 瓢介の顔に、いつもの、街の永遠の弟分らしい本物の笑顔が戻った。下町の夜は、今夜も『ひさご』の灯りと同じように、丸く温かく更けていくのだった。

(第二話・了)

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