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『居酒屋ひさご』第十三話:『悪の組織の瓢介と、舞台の上の「幻の巨大魚」』

「いやぁ、下町のアクションスターこと、この徳利瓢介にお任せあれ!」

 顎に手を当ててフッと気取った笑みを浮かべる。

 便利屋としてのポーズだけは、我ながら一流の物役者のそれだ。

 だが、俺の目の前で半泣きになっている、近所のスーパーマーケットのチーフ大田原が放った一言で、そのドヤ顔は一瞬で崩壊した。

「本当にお願いします、瓢介さん! 今日の夕方までに『悪の秘密結社』のボス役をやってくれる、身長百八十センチ超えのガタイの良いアクターをもう一人見つけてくれないと、明日のヒーローショーが中止になっちゃうんです!」

「……へ? もう一人?」

 俺の眉が、情けないほど綺麗な『ハの字』に折れ曲がる。

 大将が筆ペンで、半紙の切れ端に『スーパーのチーフ』とだけぶっきらぼうに書き残した伝言メモ。それだけを頼りにドヤ顔で飛び込んできたら、これだ。

 受けてしまった以上、今さら断るなんて便利屋のプライドが許さないが、そんな巨漢の知り合いなんて――いや、一人だけ心当たりがある。

 俺はすぐさま、居酒屋『ひさご』へと全力で引き返した。

「大将!大将! 下町の子どもたちの夢を守ると思って、悪の組織のボスになってください!」

 格子戸のガラスから中を覗き込むと、厨房には、腕組みをしているだけで現役の組長か何かに見える強面の巨漢――大将が立っていた。

 大将は俺を一瞥すると、美しく飾り包丁を入れられた大根をトントンとリズミカルに切りながら、地を這うような低い声で一蹴した。

「断る。俺は料理人だ。職人がおめおめとヒーローごっこなどできるか。あと瓢介、また俺の家(梶原剛宅)を勝手に連絡先にして郵便物を受け取ってやがったな。ぶち殺すぞ」

「ヒエッ! すんません!」

 にべもない拒絶。冷や汗を流しながら後退りしながら奥の座敷へと逃げ込んだ。

 お気に入りの湯呑みを手に、のんびりと酒を煽っている師匠の元に来ると。

「師匠〜! 大将になんとか言ってやってくださいよ〜、お願いします!」

「おや、瓢介かい。相変わらず騒々しいねぇ」

 師匠は百パーセントの満面笑顔のまま、おっとりとした口調でこちらを見た。だが、その目は完全にすべてを見透かしている策士のそれだ。

「なんでも自分の都合の通りにゃ行かないもんだ。大将の都合だって聞いてみたのかい?」

「いやいや師匠、明日は日曜日だし、月曜日は『ひさご』だって休みじゃん! 都合はいいはずなんですよ!」

 必死に食い下がる俺を見て、師匠の笑顔がさらに深くなった。そして、チクリと核心を刺す。

「お前さんはカレンダーの曜日を見てるだけで、大将の『都合』を何一つ考えてないねぇ。月曜日が休みだからって、日曜の夜に仕込みをしなくていい理屈にゃあならないよ。大将のあの繊細な料理が、どれだけの手間をかけて仕込まれているか……。それを無視して夢を守れだなんて、野暮極まりないねぇ」

 うぐっ、と声が詰まる。俺の眉は完全にハの字になり、ぐうの音も出なくなった。

 自分の詰めの甘さを痛感した俺は、「分かりました……。明日、俺が全力で一人で二役こなして見せます」と悲壮な覚悟で店を飛び出したのだった。

 ◇

 翌日、日曜日。

 そんな瓢介のドタバタなど知る由もない大将・梶原剛は、定休日前日の夜営業に向けた追加の買い出しのため、件のスーパーマーケットの特設会場付近を通りかかっていた。

 無愛想にネギの束を抱え、さっさと店に戻ろうとした大将の足が、ピタリと止まる。

 ステージのど真ん中に、氷の詰まった特大の魚箱が鎮座していた。

 その中に横たわっていたのは、二十キロを優に超える、丸々と太った見事な天然の一本物――『クエ』だった。

 大将の鋭い目が、獲物を狙う猛獣のように見開かれる。

 あの強靭な身の締まり、皮目に蓄えられた極上の脂。料亭が買い占めるため、普通の居酒屋にはまず回ってこない幻の巨大魚が、なぜかこんな場所にある。

 大将の職人魂が、瞬時に燃え上がった。

「……おい、チーフ」

 バックヤードで頭を抱えていたスーパーのチーフの背後に、ぬっと巨大な影が差す。

「ひえっ!? か、梶原さん!?」

「あのステージの上のクエ、俺に捌かせろ。いくらだ。譲れ」

「いや、無理ですよ! あれは今日のショーのメインアイテムなんです!『悪の秘密結社が、巨大クエのDNAを怪人に吸収させるために、罪もない魚屋さんを襲って奪い取った』っていう設定のために、僕が本格的な演出を狙って奮発して仕入れた本物なんですから! 終わったら瓢介くんに安く譲る約束で――」

 チーフの言葉を聞いた大将の腕組みに、さらに力がこもる。

 口で誘いを掛けられても大将は興味を持つことはしなかった。。だが、今まさに目の前に、最高級の食材がある。そして、それを手に入れるための『条件』が、目の前に転がっているとなりゃ話は別だ。

「……だったら、台本通りにやればいいんだな?」

「え?」

「その悪のボスとやら、俺がやる。ただし、瓢介には絶対に俺だとバラすな。バレたらクエは置いて即座に帰る」

「本当ですか!?」

 チーフの顔が歓喜に染まる。

 実はこのチーフ、息子とテレビを観てるうち自分迄ハマってしまい最強のステージを目指して最初からこの界隈で一番ガタイの良い大将をイメージして、衣装を発注していたのだ。

「これ、チーフ特製の悪のボスのコスです! 梶原さんなら絶対に似合います!」

 手渡された巨大な黒マントは、大将の規格外の巨体に、恐ろしいほど『シンデレラフィット』した。

 大将はそれを無言でひったくると、仮面を被って舞台袖へと歩き出した。

 ◇

「はーっはっは! ノビシロンダーめ、今日こそお前を血祭りにあげてくれるわ!」

 特設ステージの上。瓢介は一人で悪の戦闘員を演じ、ヒーローに殴られては自分で転がり、息も絶え絶えになりながら孤軍奮闘していた。

 客席の子どもたちからは「がんばれノビシロンダー!」と声援が飛ぶが、瓢介のライフはもうゼロに近い。ハの字の眉で「早く終わってくれ……」と祈っていた、その時だった。

 ずしん、ずしんと、ステージの床を揺らすような足音が響く。

 舞台袖から現れたのは、圧倒的な威圧感を放つ、巨大な黒マントの怪人だった。

「な、なんだあいつは……!? 台本にないぞ!?」

 瓢介が本気でビビって声を裏返らせる中、その怪人は一言も発しないまま、ステージのど真ん中へと堂々と歩を進めた。

 そして、氷の詰まった魚箱――怪人吸収用のクエを、太い腕で豪快に、かつ大切そうに箱ごと抱え上げたのである。

 襲いかかるヒーローの攻撃を、怪人は巨体をビクともさせずに片手でねじ伏せた。

 そのまま大将は「(よし、クエは確保した)」とばかりに、圧倒的なボスとしての風格を撒き散らし、一言も喋らずに風のようにステージから立ち去っていった。

「す、すげえ……! チーフのやつ、俺に黙ってどっかのプロの凄い役者を雇ったんだな!? 無言なのに存在感がケタ違いだ!」

 ボロボロになりながらも、瓢介は「これならショーは大成功だ!」とドヤ顔を取り戻し、舞台袖に向かって興奮気味に叫んでいた。

 ――だがその頃、舞台裏のバックヤードでは、スーパーのチーフとショーのスタッフたちが真っ青な顔で大慌てしていた。

「ちょっとチーフ! あの怪人、本当にクエの箱を持ったまま会場の外へ歩いて行っちゃいましたよ!?」

「ええっ!? だ、台本通りに強奪して持って行っていいとは言ったけど、本当にそのまま帰っちゃうの!? 待って、この後のエンディングでヒーローがクエを取り返して、魚屋さんと握手するくだりはどうするんだよ!」

 完全に想定外のクエ強奪(ガチ)。

 だが、ステージの上ではヒーローと戦闘員(瓢介)が、ボスの帰還を信じて必死にポーズを決めて待っている。客席の子どもたちも「クエはどうなっちゃうの?」とザワつき始めていた。

 後戻りはできない。チーフはキッと涙目をむくと、音響スタッフに叫んだ。

「マイクだ! マイクをくれ! こうなったら力技だ!」

 チーフはステージの袖から大音量のマイクパフォーマンスで、無理やりショーの幕を引くための大嘘をぶち上げた。

『――はーっはっは! 見事クエのDNAを手に入れた悪の組織は、さらなる強敵となって帰ってくるだろう! 正義の味方よ、この続きは……テレビの番組本編を待つがいい! 新怪人・クエ男、近日テレビに登場決定だ! みんな、毎週の放送も絶対に見逃すなよなーっ!!』

 大音量で流れる特撮のテーマ曲。

「ええええっ!? 本編に出るの、あの怪人!? 聞いてないよチーフ!」

 舞台の上で一人、瓢介だけがハの字の眉をこれでもかと曲げて驚愕する中、会場は大歓声に包まれ、ショーは力技で大成功(?)のまま幕を閉じるのだった。

(第14話へ続く)


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