『居酒屋ひさご』第十四話:『大盤振る舞いのクエ祭りと、シンデレラフィットの秘密(後編)』
火曜日の夜。
下町の路地裏に佇む居酒屋『ひさご』の店前には、いつになく威勢のいい文字で書かれた紙が貼りだされていた。
『本日、幻の天然クエ祭り! 大盤振る舞い!』
暖簾をバサリと潜った先は、溢れんばかりの常連客たちの熱気と歓声で満ちていた。
カウンターの奥では、大将・梶原剛がいつも以上の強面で、だが恐ろしいほど繊細な手つきで包丁を握っている。引かれているのは、透き通るような純白の身。大将のミリ単位の包丁捌きによって、大皿の上にまるで大輪 の白菊が咲いたかのような、見事な『クエの薄造り』が完成していく。
「お待たせ。クエちりだ」
ぶっきらぼうに差し出された土鍋の中では、クエのアラから取った黄金色の出汁がふつふつと煮立っていた。火が通り、ぷりっと身の縮んだクエを口に運んだ客たちが、次々に歓声をあげる。
「うおぉ、美味い! 身が引き締まってて、脂が上品に溶ける!」
「料亭じゃなきゃ喰えねえ代物だぞ、これ! 大将、どうやって仕入れたんだよ!」
客たちの絶賛の嵐の中、奥の座敷では志ん米師匠がクエのヒレ酒をくいっと煽り、百パーセントの満面笑顔で目を細めていた。
「いやぁ、実に見事なクエだねぇ。この濃厚な出汁と、噛むほどに旨味が溢れる身の締まり。大将、よくぞこれだけの上物を手に入れたもんだ」
「……まぁ、ちょっとしたツテでな」
大将は腕組みをしたまま、フンと鼻を鳴らしてシラを切る。
――実は、月曜日の朝。
大将は、瓢介が自分の事務所代わりに勝手に使っている自宅(梶原剛宅)の郵便受けから、一通の封筒を見つけていた。宛名は案の定、瓢介の便利屋宛て。中身は、スーパーの大田原チーフからの『クエの振込依頼書』だった。
『瓢介くんへ。怪人役の人がクエをそのまま持って行っちゃったから、安く譲る約束の代金はこっちに回しておくね。あの怪人、本当に迫力すごかったよ!』
それを読んだ大将は「あのお調子者が……」とフンと鼻を鳴らし、瓢介に何も言わずにその振込依頼書を自分の懐に仕舞い込んだ。そのまま銀行へ向かって私費できっちり代金を振り込み、大田原チーフには「瓢介には絶対に俺が払ったと口止めしておけ」とぶっきらぼうに釘を刺しておいたのだ。
そんな裏事情など、一ミリも知らない瓢介が、格子戸を勢いよく開けて店内に飛び込んできた。
「いや〜! 店に入る前からいい匂いがしてると思ったら、クエですか! 大将、俺にも一切れ――って、それよりチーフの大田原さんからの伝言!」
「チーフだ?」
大将の眉がピキッと微かに動いた。瓢介は懐から、大将が渡してきた半紙の切れ端を出しながら、ハの字の眉をさらに下げてボヤく。
「そう、スーパーの大田原さんだよ。さっき通りかかったらさ、『梶原さんによろしく。昨日の怪人役の人に、無事にクエの箱が渡ったようで良かったです!』だって。あいつ本当に相変わらず無茶苦茶なんだから! 自分がノビシロンダーにハマってるからって演出に暴走しやがってさぁ。昨日だって、怪人がクエ持ったままどっか行っちゃったからって、場内アナウンスで『テレビ本編に新怪人・クエ男が出るぞ!』なんて大嘘ついて幕引きしやがってさ。俺、ステージの上で一人だけハの字の眉でフリーズしちゃったよ!」
瓢介は憤慨しながらも、ふと思い出した疑問を口にする。
「……ねぇ大将、それにしても昨日の怪人って結局だれだったの? 大田原さんが用意したあの特注のコス、あの巨体に信じられないくらいサイズぴったりだったじゃん。まさにシンデレラフィットってやつ? 俺、どこのプロの役者か気になって夜も眠れないんだけど!」
一円も払っていないからこそ、あの最高のクエは謎の役者の手に報酬として渡ったのだと、瓢介は完全に信じ込んでいる。
呑気に首を傾げる瓢介を、大将は現役の組長のような凄みのある視線で睨みつけた。
「……知らねえ。俺は日曜日、ずっと仕込みで店にいた」
「え〜、でも大田原さんは確かに――」
言いかける瓢介の声を、座敷からクエの薄造りを箸で贅沢にすくい上げた志ん米師匠が、おっとりとした口調で遮った。その顔は相変わらず満面の笑顔だが、目は完全にチクリと核心を刺しにいっている。
「お前さんは相変わらず詰めが甘いねぇ、瓢介。地元の人間を知り尽くした大田原チーフが、あの『規格外の巨体』を必要とする役に、誰をイメージして衣装を用意したか、考えてごらん。それこそ、おあつらえ向きのサイズだったんだろ?」
「へ? いや、大田原さんは確かに、あの人しかいないって自信満々でしたけど……」
「検分してみなさい。あの劇中で怪人が強奪していった『怪人吸収用のクエ』が、なぜか今、この店でみんなの胃袋に大盤振る舞いされている……。これでもまだ、あの悪のボスの正体が分からないのかい?」
師匠の粋な謎解きを聞いた瞬間、大将の顔から一瞬だけ余裕が消えた。バラされたら置いて帰るという密約がある。大将の額に青筋が浮かび、大根をツマにする包丁のスピードがガチガチと恐ろしい速さに跳ね上がった。
師匠にそこまでヒントを出され、瓢介は「あーーーっ!」と手をポンと叩いた。
「分かった! 分かっちゃいましたよ、師匠!」
瓢介は顎に手を当て、ドヤ顔で胸を張る。大将が「ちっ、ついにバレたか……」と包丁を止めて観念しかけた、その瞬間だった。
「大田原のやつ、大将の体格を勝手に盗み見てコスを発注して、それをどっかのプロの役者に着せたんだな!? で、大将への嫌がらせに、ショーのアイテムだったそのクエを、そのままその役者に報酬として渡しやがったんだ! 大好物のクエを目の前で横流しされるなんて、大将、これ以上の侮損はありませんよ! なんて卑劣な奴だ、大田原! 仇は俺が討ちます!」
ハの字の眉を吊り上げ、正義感に燃えて憤慨する瓢介。
……静寂が、店内の熱気を一瞬だけ止めた。
あまりの瓢介の詰めの甘さ、圧倒的なポンコツっぷりに、大将は大きくため息をつき、志ん米師匠は呆れ果てた笑みを浮かべて肩を揺らした。
「……あぁ、そうだねぇ。お前さんの言う通りかもしれないねぇ」
「ちょっと師匠、他人事みたいに! 大将、悔しくないんですか!」
「うるせえ」
大将はいつもの強面に戻ると、瓢介の胸ぐらを引き寄せてどすの利いた声で言い放った。
「お前にはクエは一切れもねえ。ガタガタ抜かしてねえで、早くその辺の皿を洗え!」
「え〜っ! なんで俺が怒られるの〜!?」
瓢介がハの字の眉で困り果て、タワシを握りしめる。
そんな姿を見ながら、志ん米師匠がクエの出汁をすする大将に、おっとりと声をかけた。
「なぁ大将。しかし、そのスーパーの大田原って男も、たいした玉だねぇ。本物のクエを仕入れて、挙げ句の果てにゃテレビの本編告知まででっち上げちまうんだから」
大将は腕組みをしたまま、フンと鼻を鳴らした。
そして、呆れたように、だけどどこか楽しげに口元を少しだけ緩めて呟いた。
「……ああ。あいつはまるで、瓢介と瓜二つだな」
「ちょっと大将! 今さらっと俺の悪口言いました!? 俺とあんな行き当たりばったりの大田原さんが一緒なわけないでしょ! あー、もう、クエの匂いでお腹空いたー!」
ハの字の眉をこれでもかと情けなく曲げて騒ぎ立てる瓢介の声を、店中の客たちのどっと沸いた笑い声が包み込んでいくのだった。
(第十四話・了)




