『居酒屋ひさご』第十二話:『親父の作業場と、思い出の柘榴石』
町内に夕方の五時を告げる『赤とんぼ』のメロディが響く。
その音に釣られるようにして、瓢介がいつものようにやってくる。
『居酒屋 ひさご』の大将が暖簾を片手に格子戸を開けた。
「待ってました、へへっ」
瓢介は愛想笑いを浮かべながら、手際よく木札を「営業中」へとひっくり返す。
「大将、おれに依頼きてる?」
大将は無言のまま、大きな手をエプロンのポケットに突っ込んだ。
一枚の紙きれを取り出すと、瓢介の顔にぶっきらぼうに突きつける。
それには筆ペンで『只野さん』とだけ書かれていた。
「ほらよっ。近所の只野のご隠居がきて、作業場の整理の依頼だそうだ」
凄みのある顔で腕組みをしながら、大将が低く太い声を響かせる。
「ここはおめーの店番じゃねーんだぞ」
「おっと、さっそく行ってくるわ!」
瓢介は半紙のメモを摘み、ヒラヒラとさせながら、お調子者らしく下町の路地へと駆け出していった。
*
下町の路地を抜けた先にある、古びた平屋の只野家。
庭の隅にある古い作業場には、かつて只野さんのお父さんが趣味で使っていたという、古びた研磨機や金属製のヤスリ、様々な工具が山積みになっていた。
瓢介は用意してきた「処分委任の同意書」をすっと取り出した。
「はい、じゃあまずはこれに署名をお願い。これがないと、俺も勝手に物を処分したりできない決まりだからさ!」
お調子者の瓢介だが、そこはプロの便利屋。法律に触れるようなポカはしない。
只野さんの旦那さんがサインをしてくれたのを確認し、瓢介は腕をまくって作業場の仕分けを始めた。
ほこりにまみれながら道具を整理していると、作業台の奥、えらく黄ばんだ古い新聞紙に包まれた、異様な存在感を放つ「塊」が目に留まった。
「……なんだ、これ?」
軽くずらそうと手を添えてみるが、びくともしない。
新聞の包みを通しても、カッチカチな硬さが伝わってくる。
両手でしっかりと持ち上げてみようとした瓢介の腕が、ズシリと下へ引っ張られた。
「うおっ!? 重っ……!」
見た目の大きさを遥かに超える、異様な密度の重さ。
ふと、その石を包んでいた新聞紙の大きな見出しに目を落とした瓢介は、そこに躍る文字に釘付けになった。
『謎の発光体、日本上空を通過! 北から南まで、各地で大火球の目撃相次ぐ』
記事には、夜空を明るく照らしながら流れる、巨大な流れ星のイラストまで載っている。
ずっしり重い、謎の塊。
そして、それをつつむ「巨大な流れ星」のニュース記事。
すべての点と線が、脳内でガチリと火花を散らして繋がった。
「これだーーーーーっ!!! 間違いない、この記事の流れ星を、おやじさんが拾ってたんだ!!!」
瓢介の目が、みるみるうちに血走り、これ以上ないほどの特大のドヤ顔へと変わっていった。
「宇宙のロマンが、只野さん家に眠ってたんだよ!」
瓢介は鼻息を荒くし、新聞紙ごと塊を慎重に抱えて庭へ運び出した。
「只野さん! 大変だ、とんでもねえものを見つけちまったよ!」
うんとこしょ、と勢いをつけて、縁側でお茶を飲んでいた夫婦の前に、瓢介は割れ物を扱うようにそっとその塊を置いた。
「これ、なんだと思います? 驚かないでくださいよ。おそらく隕石……そう、宇宙の宝です! この包みの新聞を見てください、大流れ星の記事ですよ! 数千万円の値がつくかもしれません!」
「ええっ!? 数千万円!?」
只野さん夫婦は目を丸くして驚いたが、すぐに旦那さんが困ったように眉を下げた。
「そんなバカな。処分しようとしているもんの価値を見つけてくれてありがたいがねぇ、瓢介さん。専門の機関へ送る送料や、ちゃんとした鑑別書を作ってもらう費用だってバカにならないだろう? 私らはもう終活の身だし、そんな大金がかかるなら、やっぱりただの鉄クズとして処分しておくれよ」
真っ当な老夫婦は、出所の分からない石のために余計なお金を使いたくないと首を振る。
だが、すっかり宇宙のロマンと大儲けの妄想、長年の新聞記事のヒントに取り憑かれた瓢介は、ここで引き下がらなかった。
「何言ってるんですか、もったいない! いいですか只野さん、ここは大船に乗ったつもりで、この瓢介にぜーんぶ任せてください!」
「鑑定費用は俺が出しとくから、大船に乗ったつもりで楽しみに待ってな。買い手が付いたら、そっから差っ引いとくから気にしないでくれ。お二人は大金持ちになる準備だけしておいてください!」
「え、ええ……? そこまで言うなら、お任せするけれど……」
「へへっ、決まりだ! じゃあ、手続きは俺が責任を持って進めます!」
瓢介は只野さん夫婦が止めるのも聞かずに、満面の笑みを浮かべた。
「こういうもんは洗ったりしちゃダメなんだから。ほら、磁石がくっつくから間違いねーよ!」
一人で興奮しながらまくし立て、新聞紙に包まれたままの状態で、大急ぎで正規の専門鑑定機関へ発送してしまった。
これが後に、自分の財布を直撃する大トホホに繋がるとは、この時のお調子者は微塵も疑っていなかった――。
*
それから一週間が経った、ある日の昼下がりのこと。
仕込みのために店に入った大将の剛は、郵便ポストの中に一通の、やたらと分厚くて大きな封筒を見つけた。
宛名を見た大将の額に、青筋がピキリと浮かぶ。
「ん? なになに……[梶原 剛宅 徳利 瓢介様]……なんじゃこりゃ?」
大将は低く唸った。
「あの野郎、なんで自分家みたいに俺んとこ使いやがって……!」
そこへ折良く、格子戸のガラスから覗き込むようにして、瓢介がやってきた。
「へへへへへへ、今日辺り届くと思ってました」
瓢介はデレッとした顔のまま、両手をすり合わせて揉み手をする。
「なに、デレッとした顔して揉み手なんかしやがって、なんで俺んとこに送りつけてきてんだよ」
剛は強面をさらに険しくさせ、デレついた瓢介をこれでもかと睨みつけた。
「いいじゃんか大将、おれの事務所みたいなもんなんだからさ! それより早く結果を見ようぜ!」
瓢介は剛の手から封筒をひったくるようにして、勢いよく封を切った。
中から出てきたのは、高級感のあるクリアファイルに綴じられた『鑑別結果報告書』だ。
しかし――次の瞬間、瓢介の目が点になる。
「……え? てつ、ぶんの、多い……ざくろいし……?」
そこには、高価な隕石などという文字は一言もなかった。
『鉄柘榴石の原石塊。市場流通価値:標本としての価値のみ(数千円程度)』
「ざ、柘榴石ぃ!? ただのガーネットの原石塊だってぇぇぇ!?」
瓢介の叫び声が、昼下がりの誰もいない店内に虚しく響き渡る。
「数千万円が、数千円……。送料と鑑定料で、俺の財布は大赤字じゃねえか……」
ハの字の眉を下げてガタガタと震え出す瓢介に、大将は呆れたように鼻を鳴らした。
「だから言わんこっちゃねえ。おい、結果が出たならさっさと只野さんのところへ持ってって、報告してきやがれ」
「ううっ……只野さん、大金持ちになれるって楽しみにしてたのに、なんて言えばいいんだよぉ……」
瓢介は泣きそうな顔で鑑別書を抱えると、トボトボとした足取りで、只野さんの家へと向かうのだった。
*
只野家の門前に着いた瓢介は、手にした分厚い封筒を抱えたまま、完全に立ち往生していた。
インターホンのボタンに指を近づけては離し、ウロウロと行きつ戻りつする。
「ううっ……どの面下げて言えばいいんだよぉ……」
ハの字の眉をこれでもかと下げて悩んでいると、背後から不意に声が掛かった。
「おや、瓢介さん。どうかなさいました?」
振り返ると、ネギの飛び出たエコバッグを腕に下げた、只野さんの奥さんが立っていた。
「あ、奥さん! へへっ、いや、その……」
「そんなところでウロウロして、もしかして……『隕石』の結果が出たのかい?」
「う、うん。まあ、そんなところなんだけどさ……」
「まあ、わざわざ持ってきてくれたのね! さあさあ、外は寒いから中へ入っておくれ。お父さん、瓢介さんが来てくれたよ!」
居間へ通されると、旦那さんが満面の笑みで向かい入れてくれた。
瓢介は胃のあたりがキリキリと痛むのを感じながら、意を決して背中の封筒を差し出した。
「只野さん、奥さん……あの、先に謝っておきます! それ……隕石じゃありませんでした! 『鉄分の多い柘榴石の原石塊』ってやつで……専門の価値としては、ただの大きな岩だから値打ちはつかないって。数千円にしかならないってさ……!」
瓢介は頭をテーブルにこすりつけるようにして、一気に白状した。
居間に沈黙が流れる。
老夫婦はきょとんとお互いの顔を見合わせたが、すぐに旦那さんが書類の束と一緒に送り返されてきた、あの黄ばんだ古い新聞紙へと手を伸ばした。
そこに印刷された日付を見た瞬間――旦那さんの手が、ピタリと止まった。
「……お父さん? どうしたんだい?」
旦那さんは、眼鏡の奥の目を丸く見開いたまま、古い新聞紙を愛おしそうに両手でそっと撫でた。
「おい、ばあさん。この新聞の日付を見てみろ……。これ、俺たちの娘が生まれた日の新聞だよ」
「えっ……? まあ……本当ね……!」
「そういやオヤジが娘のおいわいに1月の誕生石ガーネットでブローチを作ってやるって言ったっけ……」
旦那さんの声が、微かに震え始める。
「オヤジはこれを手に入れた直後に急に体調を崩しちまって、そのまま作業場に放置されちまったんだ。きっと購入元の業者が偶々娘の誕生日の新聞で包んだんだろうな」
ポツリ、ポツリと、途切れていた記憶のパズルが、数十年の時を超えてガチリと噛み合っていく。
「だけど……道具を握れなくなっても、初孫への夢だけは、あの作業場に大切に遺してあったんだなぁ……」
旦那さんの目から、大粒の涙がハラハラと溢れ、黄ばんだ新聞紙に小さなシミを作った。
奥さんも、旦那さんの肩にそっと手を置き、目元をエプロンの端で拭っている。
頭を下げていた瓢介は、おずおずと顔を上げた。
「只野さん……」
「ありがとう、瓢介さん。これは宇宙の宝なんかより、私たち家族にとって、何物にも代えがたい最高の宝物だよ。お前さんがこの片付けを引き受けて、その石を大切に扱ってくれなきゃ、一生気づかれねえままゴミになってたところだ」
「この石はね、業者に売ったりなんかしないよ。瓢介さんに頼んでよかったよ」
そう言って涙を拭い、深く頭を下げる老夫婦の姿に、瓢介は自分の財布の大赤字のことなど一瞬だけ忘れ、じんわりと胸が温かくなっていた。
ちょっとだけ心が晴れた瓢介でした。
*
数日後の夜。
仕事を終えた瓢介は、一人の客として『居酒屋 ひさご』の格子戸を静かに開け、カウンターの隅に腰を下ろした。
ビールを喉に流し込むと、瓢介は我慢できずにバッと立ち上がり、急に偉そうなコンサルタントのような役者口調のセリフを口走ってポーズを決めた。
「フッ、下町のガラクタに隠された家族の記憶を見抜き、時空を超えて親孫の絆を再生せし至高の仲介人・ひょうすけ! 俺があの石をしかるべき場所に届けたからこそ、おじいちゃんの夢は未来へ受け継がれたのです! これぞ下町の守護神、商店街の未来は明るいね!」
大真面目にポーズを決める瓢介を、志ん米師匠はいつもの百パーセントの満面の笑顔でおっとりと見つめた。
「なるほど、至高 of 至高の仲介人ですか。ですが瓢介さん、あの只野さんのご夫婦、お前さんが立て替えてくれたその『本物のガーネットの鑑定書』を最高の証明書代わりにしてね、あの大きな原石をそのままドンと、下町の知り合いの彫刻職人に預けたそうです」
「……え?」
格好良く決めていた瓢介のドヤ顔が、一瞬で凍りついた。
「職人に預けた……? じゃあ、業者に売ってないから……」
志ん米は老眼鏡を外し、クスクスと楽しそうに目を細めた。
「ええ。お孫さんの成人式の着物の、立派な帯留めに仕立ててもらうんだって嬉しそうに話していましたよ。ですから、お前さんの立て替えた鑑定料と送料は……全額、お前さんの骨折り損さ。誰も傷つかない、実によいオチじゃないですか」
瓢介はハの字の眉をこれでもかと下げ、上げた手をどう下ろしていいか分からずに困り果てた。
家族を救った英雄のつもりだった男は、財布が大赤字のまま、ただの「いい人」で終わるトホホな現実へと逆戻りしていた。
「お前は相変わらずのお調子もんだな」
大将が呆れたように鼻で笑い、カウンター越しに小皿をドンと置いた。
「ほらよ。お前みたいな野暮天へのアテじゃねえ。只野さんのお父上の夢をオマージュした、大将特製のいくら大根だ」
箸がすっと通るほど柔らかく、時間をかけて芯までしっかりと出汁を吸わせた大根の白。そこに、お父さんが孫娘のために夢見た美しい1月の誕生石を思わせる、鮮やかで艶やかな『いくらの醤油漬け』が宝石のように散りばめられた一品。
お互いの頑固な旨味が一つに溶け合った、一番優しくて、温かい味がした。
「うぅ……美味いけど、いくらの輝きが財布の寒さに沁みるぜ、大将……」
瓢介が情けない声を上げる中、志ん米師匠の楽しそうな笑い声が、静かな下町の夜に心地よく響き渡った。




