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途中  作者: 古江 門
第一部

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8/21

第二話 公園の老人 (三)

三 使わなくなった道具


 老人が鞄を閉じようとすると、航が中をのぞき込んだ。


「ほかにも入ってる」


「入ってるな」


「全部、直すやつ?」


「だいたいはな」


 老人は短い工具を一本取り出した。


 先の平たい部分だけ、色が薄くなっている。


「これは?」


「ねじを回す」


「何の?」


「いろんなものだ」


「これも仕事で使った?」


 老人は工具の先を見た。


「似たものは使った」


「何を直してたの?」


「機械だ」


「大きい?」


「大きいのもあった」


 航は遊具のほうを振り返った。


「すべり台くらい?」


「もっとだ」


「一人で?」


「一人で触るなと怒られるくらいには、大きかった」


 航は老人の顔を見た。


 冗談なのか分からなかったらしい。


 老人は工具を鞄へ戻した。


「止まると、人が集まってきた」


「見に来るの?」


「早く直せと言いに来る」


「おじいさんが直すの?」


「俺だけじゃない」


「夜も?」


「あったな」


「寝る時間でも?」


「機械は寝ないからな」


 航が少し笑った。


「お父さんも、遅い日あったよ」


 老人が航を見る。


「そうか」


「ぼくが寝てから帰ってきた」


「朝は?」


「いた。でも、またすぐ行った日もあった」


 老人は小さくうなずいた。


「似たようなものだ」


「おじいさんも、すぐ行った?」


「帰らなかった日もある」


「ずっとそこにいたの?」


「ああ」


「眠くなかった?」


「眠かったさ」


「じゃあ、帰ればいいのに」


 老人は鞄の留め具へ手を置いた。


「帰れるならな」


「帰れなかったの?」


「帰ろうと思えば、帰れた」


 航は首を傾げた。


「じゃあ、帰れたんじゃないの?」


 老人は少し黙った。


「そうだな」


 返事をしながら、留め具を閉じた。


 航はまだ老人を見ている。


「おうちの人、待ってた?」


 美紀が航を止めようとしたが、老人が先に答えた。


「寝てた」


「いつも?」


「遅くなる日はな」


「帰ったの、分かった?」


「朝になれば分かっただろう」


「話した?」


 老人はハルの首輪へ目を向けた。


「何をだ」


「遅かったこと」


「見れば分かる」


「でも、お父さんは言うよ。遅くなってごめんって」


 老人は鞄の持ち手を指でなぞった。


「そうか」


「おじいさんは言わなかったの?」


「言わなくても分かると思ってた」


「分かったの?」


 老人はハルの首輪を見たまま答えた。


「さあな」


 足元のハルが、老人の靴へ顎を乗せる。


 老人はその耳の後ろへ手を伸ばした。


「今は、夜に行かないの?」


「ああ」


「機械、壊れない?」


「壊れる前に分かる。壊れても、俺が呼ばれる前に直る」


「じゃあ、寝てていいね」


「そうだな」


「楽になった?」


 老人の手が一度止まった。


「楽にはなった」


「よかったね」


 老人はハルの耳の後ろを撫で直した。


「ああ」


 航は老人の鞄を見た。


「でも、道具は持ってるんだ」


「邪魔にならんからな」


「使うかもしれない?」


「使わんかもしれん」


「今日は使ったよ」


 老人はハルの首輪を見る。


「あれくらいなら、道具がなくてもどうにかなった」


「でも、あったからすぐ直った」


 航は直った金具を指した。


「ハル、逃げなかったし」


 老人は何も言わず、ハルの頭を軽く押した。


 ハルはそれを撫でられたと思ったのか、老人の膝へ鼻を押しつけた。


「次からは、お前が先に見ろ」


「忘れたら?」


「忘れるつもりで聞くな」


「また曲がったら?」


「簡単には曲がらんように直した」


「おじいさんが?」


「ほかに誰がいる」


 航は金具をもう一度見た。


「じゃあ、大丈夫だね」


 老人は鞄を足元へ戻した。


「ああ」


 今度の返事は、少しだけ早かった。


 美紀がベンチから立ち上がった。


 航が振り返る。


「もう行く?」


「そろそろね」


 美紀は服の裾を整えながら、ゆっくり息を吐いた。


 老人がその様子を見る。


「家まで遠いのか」


「公園を出れば、あと少しです」


「無理なら車を呼べ」


「はい」


「返事だけして歩くやつがいるからな」


 美紀は少し笑った。


「もう少し歩いて、だめなら呼びます」


 老人は美紀の足元を見たあと、それ以上は言わなかった。


 航がリードを持つ。


 ハルは立ち上がったものの、老人の前から動こうとしなかった。


「ハル、帰るよ」


 航が軽く引く。


 金具が小さく鳴った。


 老人の目が、すぐにそこへ向いた。


「強く引くな」


「ちょっとだけだよ」


「ちょっとでも、毎日やれば曲がる」


 航はリードを緩め、ハルのそばまで戻った。


「ハル、行くよ」


 今度は声をかけながら歩き出す。


 ハルは一度老人を見てから、航についていった。


「できるじゃないか」


 老人が言った。


 航は少し得意そうに振り返った。


「ぼく、犬のことは分かるから」


「金具のことは分かってなかっただろ」


 航の顔から、得意そうな表情が消えた。


「今日、分かった」


「なら、明日は忘れるな」


「明日も見るの?」


「毎日だ」


 航はハルの首元を見た。


「毎日壊れるの?」


「壊れてないか見るんだ」


「壊れてなかったら?」


「それで終わりだ」


「何もなくても見るの?」


「何もないと分かる」


 航はまだ少し不思議そうだった。

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