第一話 新しい街 (五)
五 一日目
食事ができるまで、航は二階から箱を一つずつ運んできた。
自分の本。小さな模型。前の家の窓辺に置いていた石。どれも新しい部屋へ持っていくはずだったが、居間の卓の上へ並べていく。
「二階に置くんじゃないのか」
「どこに置くか見てから決める」
航は石を窓際へ置き、少し離れて眺めた。
「これはここ」
「自分の部屋じゃなくていいの?」
「みんなが見えるほうがいい」
ハルが鼻を近づけたため、航は石を一段高い棚へ移した。
三人で卓を囲むと、ハルの食事も壁際へ置かれた。
航はパンをちぎりながら、明日見る学校の話をした。
校庭が広いこと。犬を連れて入れる日があること。毎日同じ教室で学ぶとは限らないこと。
「ハルも学校行ける?」
「見学の日によるみたい」
「じゃあ、ハルが行ける日にする」
「学校を見るのは航だろう」
「ハルも見るよ」
直人は面談案内を開きかけたが、美紀がスープを飲むのを見て手を止めた。
「味は大丈夫?」
「うん。思っていたより普通」
航もスープを飲んだ。
「こっちの料理って、もっと違うのかと思ってた」
「国が変わっても、スープはスープだろう」
航はパンをスープへ浸した。
食事を終えると、美紀は器を片づけようとした。
直人が先に立つ。
「今日はいい。座ってて」
「運ぶくらいできるよ」
「さっき具合が悪くなっただろう」
美紀は器を持ったまま直人を見た。
「全部やらせてほしいわけじゃないの」
直人の手が止まった。
「そういう意味じゃない」
「分かってる」
美紀は自分の器だけを台所へ運び、残りを直人に渡した。
「これで半分」
航が自分の器を持ち上げる。
「ぼくのもあるよ」
「落とすなよ」
「落としても割れないって書いてある」
「だから落としていいわけじゃない」
航は両手で器を抱え、慎重に台所まで運んだ。
夜になると、航は新しい部屋で何度も寝台の向きを変えた。
窓を暗くし、また少し明るくする。ハルを自分の部屋へ連れていったが、しばらくすると犬だけが階段を下りてきた。
ハルは一階の寝室の前で伏せた。
航も枕を抱えて下りてきた。
「ハルが一人で寝たくないって」
「航がだろう」
「ぼくはハルに付き添ってる」
美紀が寝台の上から笑った。
「今日だけ、ここで寝る?」
「うん。今日だけ」
直人は寝室の隅へ簡易寝具を広げた。
航は毛布に入り、ハルはその横で丸くなった。
灯りを落としても、航はしばらく天井を見ていた。
「明日、学校見るの?」
「見に行こうか」
美紀が答える。
「お母さんも?」
「体調がよければね」
「悪かったら?」
「そのとき考える」
航は直人のほうを向いた。
「お父さんは面談?」
「学校を見たあとにする」
「三つとも?」
「一度には無理だ」
「どれにするの?」
直人は枕元の端末を見た。
「話してから決める」
航は少し考えた。
「選んでもらったのに?」
答えるまでに間が空いた。
「面談に呼んでもらっただけだ」
「ふうん」
航は毛布へ顔を埋めた。
しばらくすると、ハルの呼吸に航の寝息が重なった。
直人は家に届いていた面談案内を開いた。
三つの活動から、それぞれ聞きたい内容が並んでいる。
古い設備の更新経験。停止判断。引き継ぎ。直近の確認漏れについての説明。
最後の項目を閉じた。
「まだ見るの?」
美紀が尋ねた。
「明日の準備だけ」
「明日にしてもいいんじゃない」
「何を聞かれるか分かっていたほうがいい」
美紀はそれ以上言わなかった。
直人は、学校の見学と美紀の医療案内に重ならない時間を選んだ。
すべてを閉じると、窓に寝室が映った。
床で眠る航とハル、美紀の寝台。その向こうに、昼間見た木の枝が黒く重なっていた。
「今日は疲れたな」
「うん」
「でも、来てよかったと思う」
美紀は枕へ身体を預けたまま、直人を見た。
「まだ一日目だよ」
「面談が三つも来てる。美紀も、治療のたびに残高を確かめなくていい」
「心配はするでしょう」
「金のことは、という意味だよ」
「そうね」
直人は窓に映る自分へ目を戻した。
「ここなら、今度こそうまくいくよ」
美紀はしばらく黙っていた。
「直人」
「何?」
「うまくいかなくても、すぐに全部なくなるわけじゃないみたいだけどね」
直人は美紀を見た。
美紀は天井を見たまま、寝台の上へ手を置いていた。
直人がその手に触れると、美紀の指がゆっくり重なった。




