第一話 新しい街 (四)
四 今日からの家
直人が呼び止めるより先に、門の脇へ家族の名前が表示された。
《入居者を確認しました》
門が開く。
「もう、ぼくの家?」
航が女性を振り返った。
「今日からは」
航はハルと一緒に庭へ入った。
ハルは植え込みの周りを一周し、門へ戻り、また同じところを嗅ぎ始めた。
美紀は庭の端に立つ細い木を見た。
「何か植えられそう」
「家の管理AIに聞けば、植えられるものを教えてくれますよ」
「花でも?」
「もちろんです」
女性は門の内側で立ち止まった。
「中の案内は、家のAIが引き継ぎます。私の連絡先も登録されていますので、分からないことがあれば呼んでください」
美紀が頭を下げた。
「今日は、ありがとうございました」
「体調が変わったときは、遠慮せず医療へつないでください」
「はい」
航が門まで戻ってきた。
「もう帰るの?」
「ええ。ここからは、皆さんの家ですから」
女性は航へ手を上げた。
航も手を振り返す。
女性が道を曲がるまで、家族は門の前から見送った。
門が閉じると、庭が急に静かになった。
航は玄関へ駆けていった。
「開いたよ」
扉の向こうには、木と、わずかな清掃剤の匂いがした。
居間には、移住前に選んだ卓と椅子が置かれている。壁際には、ハルが寝られる大きさの敷物もあった。
航は靴を脱ぐと、そのまま奥へ走った。
「二階、見てくる」
「走るな」
返事の代わりに、階段を上る足音がした。少し遅れて、ハルの爪が床を叩く音が続く。
美紀は玄関に立ったまま、居間を見回した。
「思っていたより明るい」
庭に面した窓から、先ほどの大きな木の枝先が少しだけ見えていた。
直人は天井と壁へ視線を動かした。
「設備の仕様を見たい」
《居間の壁面から、保守記録と手動停止の方法を確認できます》
壁の一角に、空調、電力、給水、防火、通信の項目が開いた。
一つ目を選びかけたところで、美紀が寝室の前から呼んだ。
「ちょっと来て」
表示を閉じる。
一階の寝室には、二人分の寝台が並んでいた。壁際には、美紀が使っていた医療器具の箱が、閉じたまま置かれている。
《医療用品の設置場所を指定してください》
「まだ開けていないんですね」
《ご本人の許可が必要なため、封を維持しています》
美紀は二つの寝台を見比べた。
窓に近い側には小さな棚があり、反対側は廊下へ出る扉に近い。
「私はこっちで寝る」
美紀は扉側を指した。
「窓側のほうが明るいんじゃないか」
「夜に起きたとき、扉に近いほうが楽だから」
「そうか」
美紀は医療器具の箱の前へ移った。
「棚をこっちへ動かしたい」
《棚を移動しますか》
「お願いします」
棚が床を滑り、美紀の示した壁際で止まった。
箱の封が外れる。
直人が中の器具へ手を伸ばした。
「これはどこに置く?」
「上。予備は下にして」
美紀の示した順に、器具を一つずつ棚へ置いていく。
「これは?」
「寝台から届くところ」
棚の端へ置き、位置を確かめた。
「近すぎないか?」
「寝たままでも届くほうがいいの」
美紀は寝台へ腰を下ろした。
一度横になり、起き上がってから、枕の位置を少し直す。
「これで大丈夫」
そのとき、二階から航の声がした。
「お父さん、部屋が二つある!」
直人が階段の下まで行く。
「小さいほうが航の部屋だ」
「大きいほうは?」
「まだ決めてない」
「じゃあ、ハルの部屋?」
ハルが階段の上から顔を出した。
「犬だけで一部屋は使わない」
「でも、誰にも貸さないんでしょ」
「だからといって、ハルの部屋にする必要はない」
「誰も使ってないよ」
後ろから来た美紀が笑った。
「そのうち、お父さんが使うんじゃない?」
「俺が?」
「家に入ってすぐ、設備を開いてたでしょう」
直人は、閉じたままの設備表示へ目を向けた。
航は納得したような、していないような顔で、ハルと一緒に二階へ戻った。
しばらく、誰も話さなかった。
二階から下りてきたハルが居間を一周し、用意されていた敷物へ身体を落とした。航はその横へ座り、犬の背中を撫でた。
美紀は居間の椅子へ腰を下ろした。
「静かね」
直人は閉じていた設備表示を開いた。
「外の音が入らないようになってる」
「そういう意味じゃなくて」
美紀を見る。
笑っていた。
「誰もいなくなったから」
「ああ」
表示を閉じる。
航が二階から持ってきた薄い端末を床へ置いた。
「これ、ぼくの部屋にあった」
学校からの案内だった。
建物の写真と、見学できる時間、学習内容が並んでいる。
航は項目を指で送っていった。
「前の学校と同じのもある。言葉と、計算と、自然と……」
途中で指が止まった。
「通過主義の基礎」
「これ、前の学校でもやったよ」
「何を習った?」
「昔、工場とか土地を持ってた人が、ずっと決めてたから変えたって」
「だいぶ短くなってるな」
「でも、そういうことでしょ?」
直人は項目の説明を開いた。
制度の成り立ち。生活基盤の使い方。活動への参加と退出。決定に異議を出す方法。
書かれている言葉は、移住前に読んだものと変わらなかった。
航が「退出」の文字を指した。
「やめ方も勉強するの?」
「始め方だけ知っていても、困るんだろう」
「何をやめるの?」
「活動とか、役割とかじゃないか」
航はしばらく文字を見つめていた。
「こっちでも勉強するの?」
「ここでは、実際に使うからだろう」
航は玄関のほうを見た。
「もう使ってる?」
「たぶんな」
航は納得したのか分からない顔で、次の項目へ指を動かした。
直人は「退出」の項目を閉じなかった。
「学校、明日から行くの?」
「見に行ってから決めるみたい」
美紀が答える。
「お母さんも来る?」
「明日の体調を見てからね」
「お父さんは?」
直人は家に届いていた面談の案内を開いた。
三件とも、翌日以降の候補が残っている。
「午前なら、一緒に見に行けそうだ」
航は学校と面談の案内を交互に見た。
「お父さん、もう忙しいね」
「まだ何も始めてない」
「でも、もう三つ来てる」
面談案内を閉じた。
美紀が立ち上がり、台所をのぞく。
数日分の食材と、調理できる料理の一覧が表示された。
美紀は料理の一覧を見たあと、調理台へ手を置いた。
「何か作る?」
美紀は少し考えた。
「今日は、任せようかな」
「そのほうがいい」
航が台所へ顔を出す。
「何でもいいよ。お腹すいた」
美紀は温かいスープとパンを選んだ。
《三人分を用意します》
「ハルのは?」
《犬用の食事も準備されています》
航がハルを振り返った。
「四人分じゃないの?」
美紀が笑った。
直人も、少し遅れて笑った。




